蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

領域

2014-04-03 | わたし
なにかを書こうとするのだが、なかなか進まない。
個人個人の顔が浮かび、その人に関する内容になるのだが、その人が読んでおられると、困る。
リアルと、ネットの併用版ブログは、こういう時に中途半端。
どっちつかず。

ネットならネットで、バーチャル。そのまま突っ走ったらよいのだが、
リアル人が知っているというのは、それはそれで、悪いことばかりでもない。
日頃、口に出して言えない胸のうちをわかってもらえることもある。
逆に、なんとまあ、こんなことを思っていたのか、と、
にこやかな顔の裏を覗いてしまったような、気分の悪さを感じるかも知れない。

わたしは長文ブログを毎日のように更新しているので、
忙しい人にとっては毎回毎回チェックしていることはないだろうと思われる。(というか、期待している)
書きたい対象のリアル人のことを思い浮かべながら書くときは、
「お願い、読まないでね、きっと忙しくて読む暇はないよね」と祈りながら書いているのだが、
書き始めると、そんなことはアタマからすっ飛んでしまう。

ふいに地雷を踏んで、気分を損ねたリアル人は、しばらくわたしのブログから遠ざかるだろうから、
それはそれで、いたしかたない外科的・治療処置。


ちなみに、
わたしは、身近なリアル人のブログを読むことができない。
読むとすると、ほんの差しさわりのないテーマの時。
シリアスなテーマだったりすると、自分や自分の近しい人々のことが書かれていると、
どんなに良いことが書かれていたとしても、恐ろしくて読めない。


・・・

義母が、30年近く昔、お姑さんが亡くなった後に、日記を発見したそうだ。
そこには、次男がこれこれを贈ってくれた、とか、三男が、なになにをしてくれた、とかが書かれていた。
客観的なことだけをさらっと記した覚書であった。
わたしのように、つらつらと恨み言、愚痴を募らせたような内容は、一切ない。
じつに、あっさり、すっきりしたものだ。

にもかかわらず、その覚書を見て、義母は、ショックを受けた。
いい気分にはならなかった。アタマにきた。
日頃、こんなに尽くしている自分をさしおいて、遠くに住む次男や三男、他の嫁たちが、ご機嫌取りのようにあれこれして、
それをメモっていることに、腹が立つやら、情けないやら、だったそうだ。
たんなるメモなのに、義母の姑が嬉々とメモっているかのごとくに、義母は感じ取れる。
そこには読み手の感情が入る。


・・・

人の感情やら、領域やらには踏み込みたくない。
こうして欲しい、・・・こうしてくれたら喜ばしい、こうしてくれて嬉しい、
こうしてくれない、・・・こうしてくれないなら哀しい、こうしてくれないから恨めしい、

・・・

これは、人として、素直な感情である。

が、そんな感情を先読みして、
あるいは、喜んで欲しくて、恨まれたくないから、動くわけだが、
動かないという選択もできる。

気持ちを察して自主的に動いているかのように見えるが、じつは自分は、その人に動かされて動くわけだ。
その人の思いに、振り回されている。
してあげると喜ばれる、評価される。
してあげないと、悲しまれる、けなされる、恨まれる。
無理をしてでも、頑張る。
無理をしてでもしないと、評価が下がる、非難される。


白濁した水が、やがて、混ざり物が分離して透明になる。
そこまで待つか、待たないか。待てるか、待てないか。
いっしょになって、洗濯機の中でぐるぐる回されるかのように、巻き込まれると、
見えるべきものが、見えない。
自分もいっしょに、カオスの中。

じっと動きや流れの推移を観察していると、自分のすべきこと、すべき時機が読めるようになる。
それは、決して振り回されているのではなく、自分を軸に、自分の意思で動いている。

この心理は、一定の法則、真理として、心理学者が説いているそうだ。
わたしは、そんな心理学者の存在も説も、ほんのつい最近まで、まったく知らず、気付かず、
同じような事を無意識にしていることを、ごくごく最近、知った。
こうしよう、とアタマで考えてやっているわけではなく、自分の性格、性質から、たまたまそうしていたようだ。

人の領域を侵すな、入り込むな。
入り込むと、ろくなことがない。
自己チューといわれようが、なんであろうが、個人が個々に確立して、べったりくっつくのではなく、
少し距離を置いて、モノゴトを見て、行動するのも、決して、間違いではないようだ。

・・・

わたしは自分のことを、のろまで、サボりだと思っている。
動きたくても動けないほど、お尻が重い。
でも、そういう捉え方もあったのかと、目からウロコ。

(わたしが自己擁護のために、言っているのではありません。
有名な心理学者の説であります)

ただし、あまり、堂々と開き直っていてはいけない。
あくまでも、のろまで、サボりは、どうしようもない。


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