蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自慢

2014-04-24 | 人生
前にいつ訪れたのかも忘れた、ずっと以前の、お気に入りブログを覗いた。

ある知人が、自慢話をしてくるんで、うんざりという内容の記事が、中にあった。
「わたしは、恵まれていて、とても幸せだ」と、その知人は仰るそうだ。

それを聞かされたこのブロガーさんは、げんなり。
幸せなのは、あなただけよ!と、嫌な気分になられたようす。

この記事を読み、わたしは、つい最近、「自分は恵まれていて幸せだ」と、同じことを人に言ったことを思い出した。
ということは、聞かされたその人も、気分を害しておられるのか・・・?

と言うことは、決してない。
なぜなら、言う相手を選んで、言っている。
自分と同じ境遇、同等か、それ以上の、自分より恵まれた人に言う。
まかり間違っても、自分より下の人には、絶対に言わない。
(もし言うとすると、その人自身が優位を自覚できるような別ジャンルのことを、おそらく話題にするだろう)

自分のほうが優位に立っている分野を自慢したとすると、
「あっそ、よかったね!」とイヤミを言われる。
「こっちは、それどころじゃないんだよ!」と、はっきり口に出して、態度に現される。
そこまで言われて、やっとわかるというのは、かなりのノー天気を通り越して、究極のアホである。
羨ましがらせてはいけない。刺激してはいけない。

逆に、自慢ばかり、延々とされる場合。
わたしは、けっこう、苦痛でもなんでもない。
なぜなら、わたしのこころのどこかで、わたしは基本的に幸せであると感じている。
あるいは、具体的な実例はなくても、他人や他のコトと比較できるものではないと思っている。
幸せの根拠を検証したり、勝ち負けを競うものではないと確信している。
なので、なにを聞いても、嫉妬心は生まれず、聞く姿勢になる。余裕がある。
そして、その自分の幸せを、なにも人に聞いてもらう必要は、まったくない。
口に出して言うと、かえって目減りする。
言ったことによって、幸せが消えてなくなりそうで、不安になる。
なので、わたしは、ねー、聞いて聞いて、とばかりに、自分の幸せを聞いて欲しくなんかない。

でも、話の流れによっては、言う場合もある。
その流れは、自分の態勢が不利になった時に、奥の手として出してくる。
例えば、ある特殊技能分野で明らかに自分が負けているとすると、
いいもん、わたしのほうが、私的生活は幸せだから、とか、なんとか、こころのなかで自分に言い訳する。
これを「負け惜しみ」という。

そんなことを言われて、技能分野で勝った人は、なんと思う?
(言いませんが)
しかしながら、そんな負け惜しみで、自分を納得させていたら、どんなことだって大成できない。
のほほーんとするばかりで、ぼやけただけの輝きのない人。
なにも、ものに、できない。

・・・

それは、そうと・・・

人と会話するときには、その人が卑屈な思いに駆られないよう、
その人の人生のウイークポイントである話題は、できるだけ避ける。

子どもさんがおられない人には、子どもの話はしない。
子どもさんが、就職がうまくいかない人には、就職の話はしない。
仕事がうまくいっていない、あるいは失業している人には、仕事の話をしない。
配偶者を亡くした人には、配偶者や家庭の話をしない。
お金のない人には、贅沢系の話はしない。
病気の人には、病気の話や、健康な人しかできないような話はしない。
家庭がうまくいっていない人は、家庭の話はしない。

あれこれ、あれこれ、あれこれを間引いていると、できる話は、
お天気の話と、趣味の話ぐらいか。
中には、病気自慢とかいう自慢話もあるようだが、こちらが気が滅入るので、避ける。
政治・経済・文化・芸術・時事ネタは、相手が限定されるので、難しい。
第一、自分も詳しくないと、言いだしっぺが、さっぱり無知では、恥をかくだけだ。

・・・

ある分野では勝っているが、ある分野では負けている。
例えば、プロ並に、スポーツ、芸術、頭脳の能力がバリバリでも、日常生活の家事が、ぜんぜんダメとか、
裕福でも、家庭の愛情的に恵まれてないとか、
容姿端麗でも、頭がパーとか、眉目秀麗でも、性格が悪いとか、
すべてが整って満点の人なんていない。
パーフェクトの人が、ある日、突然の不幸に見舞われるとか、そういうこともありえる。

自慢でもしようものなら、弱点をほじくられて、突っつかれかねない。
なので、いくら自分では、世界一、宇宙一と自負していても、自慢など、しないほうが無難である。

「恵まれた幸せな人生に感謝してます」なんてことは、脳内だけで言っていればいい。
あるいは、ブログにでもツラツラ綴って、ニヤけておけばいい。


幸せは、いかに守るか、キープするか、維持するか、である。
口に出した瞬間、溶けてしまいかねない。
目に見えない努力の継続が必要である。
日々、どこというわけではないが、幸せにどっぷり浸かるだけでなく、
どのポイントを守れば、幸せが維持できるかを把握し、その部分だけは手を抜くことなく、
あとの部分はそれなりに、省エネでいけばいいのではないだろうか。

その押さえるべきポイントは、人によって、まちまち、さまざまである。
なので、具体的に、ここをこう、そこを、そうしましょう、とは指摘できない。
各人、おのおの歩んできた軌跡を振り返りながら、点検していただきたい。


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