蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

子育て

2014-04-10 | 子育て
わたしの子育ては、肉体的には大変だったが、精神的には楽だった。

年子で3人なので、忙しいかったが、一気に、カタがついた。

なんでもまとめてのほうが、めんどくさくなくていいわ~と甘く考えていたが、
3人一度だと、せいぜい2人分、2倍程度の手間かと思ったが、
やはり3人分、きっちりかかるのだなあと実感した。

今のように紙おしめも日常には使わなかった。
毎回毎回、義母と義母のご近所友人が合同で手作りしてくれた布製おしめを使用していた。
子どもは、複数人、同時におしめをしていた時期もあった。

洗濯は大変だった。
雨の日は、おしめの山を室内に干した。
おしめカバーは、すぐ防水機能が損なわれた。

今のママたちは、いい。
家にいる時(在宅時)も、日常使いで紙おしめを利用している。
わたしは、外出時だけ紙おしめだった。
あんまりおしめ代はかからなかったが、その代わり、手が荒れて荒れて、ぼろぼろに、えらいことになっていた。
洗濯は簡単だが、洗濯機に入れられるよう、トイレでおしめを下処理するのが大変だった。
昔の人は、洗濯機もなく、それはそれはご苦労様である。

食事や入浴、就寝・・・すべて、ひとりで3人分行う。当たり前のことだが。
育メンは、ゼロ。
子育てや家事を手伝うどころか、子どもがひとり増えるかんじで、
夫が帰ってくると、かえって手がかかるので、憂鬱だった。
帰ってこなければ、どんなに楽かと思った。
そういう時代である。(といっても、夫に対して、時代遅れ感は、感じていた)

自分は当時、専業主婦なので、それで当然と思っていた。
ひたすら、たいへんだ~と思って、こなしていた。

幼稚園に入園する日を指折り数えて待っていた。
縁もゆかりもない地に転々と転勤し、地縁も血縁も知人も友人もなく、
来る日も来る日も、もくもくと動物のような乳幼児とだけ過ごしていた。

うっぷんを子どもで発散して、あたる、などというチャイルド・アビューズは、まったくなかった。
手をあげたことは、一度もない。
不思議なことに、彼らはとてもお利口さんだった。
みゃーみゃー泣いている、か弱き動物のような小さな幼子に、手を上げるなどとはありえない。
3人だけの小さな私設保育園のような感じで、ミニコミュニティを形成し、長女を長に、秩序が保たれていた。

園長先生は、わたしである。
現場監督を長女に任せ、遠くから見ている感があった。
(直接の身の回りの世話はするが)

だが、この現場監督は、時々、上司であるわたしに、いろいろ現場改善要求を突きつけてきた。
サボりであるわたしは、重い腰を上げて、しぶしぶ、それに応じた。

が、憎たらしいと感じたことがない。
なぜなら、いつもわたしは手を抜こうと、そればかりを考えていた。
いかにすれば、最低限度の手間で、コトが進むか。世話をカットできるか。
なので、子どもが不平さえ言わなければ、どんどん手を抜いていた。
文句を言われるまで、ほったらかしていた。
一種のネグレクトである。
が、食事を与え、身を清潔に保ち、身辺の世話はちゃんとした。
(とは言っても、自分が出来る程度のこと。教科書のお手本のように完璧、とは決して言わない)


精神的な面でも、ほったらかした。
放任である。
放置と放任は違う。
枠いっぱい、その枠の中でなら、どんなことがあってもOK。
思いっきり遊んでOK。放牧。草食べ放題、走り放題。
ただし、絶対に譲らない部分はあった。
それは、知育面の教育である。

泣いてもわめいても、一日のすべき義務は絶対に果たさせた。
ちょっとかわいそうかとは思ったが、それこそ、こころを鬼にしていた。
上の二人はスイスイ、そこそこいい調子だが、一番下の子は、涙ぽろぽろ、わーわー大声で泣いた。
せっかく無理やり無理して頑張った課題が、回答がほんの1ずつ、ずれていたりして、ぜんぶ、やり直し。
ほんとうにつぶれそうになったら、やめさせようと思っていたが、つぶれる直前に、どうにか持ち直していた。

彼女は、小学校の時も、中学の時も、つぶれそうになっていた。
先生にも個人面談で、注意された。
ほんとうに嫌なら、やめていいのよ、と彼女に言ったり、転校も薦めてみた。
が、彼女は、「やめない」と頑張った。
どうにか、持ち越した。
今は、身体を壊さないかと、こちらがはらはらするぐらい、ハードに仕事をしている。


わたしは、自分がサボりなので、どうもほっておくと手を抜く傾向にある。
相手の様子を見て、まだまだ大丈夫そうだと思うと、どんどん手を抜く。
もう、どうやら雲行きが怪しくなってきたかなと思う頃には、少し動きを見せる。
だが、待ちの構え。本格的に動かない。
しっかり動くのは、もうだめのようだと判断した時。
サボりは一時、中断。

ぎりぎりの限界まで動かない、動けない。

子どものココが許せない、なんていう面は、まったくと言っていいほどない。
少しぐらいはあっても、子どもがわたしのココが許せない、という面のほうが多いように思う。
いつ、わたしのサボりを指摘されるかとヒヤヒヤしている。

子どものココを絶対に直なさければ、なんていうことはない。
いずれ大きくなれば、わかること、理解できることなので、気長に待っていた。
あまりにもヒドイと、注意するが、自分の方針に従わせようと強制的にねじ伏せることは決してない。
とは言いつつ、じつは、子どもたち本人が知らないうちの、こそっと自分の方針に載せている。
走りながら、本人たちは、あまり苦にしてないようなら、そのまま走らせる。

親の思い通りにならなかったり、子どもが自分独自の方針を打ち立てたりすると、
それは自我の確立であり、親から離れて自立したんだと思う。


わたしの基本は、サボりで手抜き。
じっと待つ。
なので、モノゴトがうまくいったりすると、申し訳ないような、感謝の気持ちに転じる。


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