蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

おもちゃ

2014-04-14 | 日々のこと
Windows XP サポート終了に伴い、重い腰を上げた。
大手家電店に行ったが、不評の「8」しかないので、
その店では買うことをやめ、そこの家電店のポイントを溜めるのをあきらめた。
別の小さな、ちょっとマニアックな店で「7」を購入したが、少し、規格品にプラスアルファのオーダー変更をしたので、
入手は、あと3週間ほどかかる。

とは言うものの・・・わたしの役目は、カードで支払う時のみ。
アドバイスをしてもらった、パソコン・ソムリエの婿に、お任せ、丸投げ。

大手家電店で、わたしが最も興味を抱いたのは・・・
幼児用の電子ピアノ。
いろんなリズムやトーン、音階、演奏楽器の選択、編曲、組み合わせ、
特定の曲の自動演奏、あれこれ、いろいろいろできる。
鮮やかな原色の小さなピアノに、ちょこんと赤い椅子が、ちっちゃくて、またカワイイ。
あれは、子どもではなく、大人が欲しいのではないかと思う。
子ども(孫)をダシに親(じじばば)が購入したい魅力がいっぱい。

親の趣味で、電車のオモチャに凝る場合もある。
いろんな私鉄やJRの電車を、複雑な切り替え線路や踏み切りなど、バリエーションを揃えたりする。
お人形さんや、おママゴトも、自分が遊びたい目線で選んだりする。
こんなオモチャが欲しい!!と、当事者の子どもではなく、大の大人である、自分が思ったりする。
実際、子どもは、違う趣味だったり、興味だったりするのだが、最初は親の押し付けとなる。


うちの場合、ふつうのピアノは、家にあり、孫には時々、適当にアットランダムに、ばんばん触れさせている。
リズムや音階など、まったく無視して、たんなる鳴り物として扱っている。
これが、ド、これがレ、とか、まったく教えていない。
右側に寄ると高い音が続き、左側は、低い音。
指一本だとひとつの音だが、両手で、ばんばんと叩くと、重なる音、濁った音。
正統なピアノであるが、使用用途は、たんなるオモチャとしてのピアノである。

わたしは、ピアノに関しては、ぜんぜんうるさくないので、なんだっていいのだ。
自分が嫌いなのに、ピアノを延々と幼稚園児の時から小学6年まで習わされていたので、もう、うんざり。
(子どもにも、幼少の頃、無理やり習わせて、全員ピアノ嫌いにさせてしまった)
でも、今は、そのおかげで、少しぐらいはクラシック楽曲を下手ながらに弾くことができる。
古典音楽に触れる機会を与えてくれた親に、感謝。
ちーちーぱっぱの幼稚園の先生ぐらいの程度なら、即興で子どもの曲は弾ける。
これまた、感謝。

でも、わたしが欲しいのは、あの電子ピアノ。
わたしが子どもの頃も、電子オルガンや、エレクトーンも世の中には出回っていて、
昨日、家電店で見た、オモチャピアノのような機能はついていた。
義母の家にも、エレクトーンがあったが、いつの日からか姿を消した。
誰かに、もらってもらったのだろうか?
(アップライトのピアノは、まだあるが、もらってもらう予定はない)

家電店のあの電子ピアノのオモチャは、売り場で自由に弾かせてもらえるのだが、
どこをどう探しても、値段が表示されていなかった。
いったい、いくらなんだろう?
高いのだろうか?
気にさせて、値段を表示しない、あれは手か?

見かけは、オモチャっぽいが、内容は優れていると感じた。
しかし・・・サル並のやんちゃっぷりで、
電気コードを引っ張ったり、わけもわからず、めちゃくちゃな扱いをして壊されたりすると、嫌なので、
大事に大事に扱い、あまり遊ばせないかも知れない。
あるいは、幼い子どもにはあまり興味を持ってもらえなくて、ほったらかしになるかも。
またもや、自分のコレクションを増やすだけになりかねない。

・・・

ちょっと外に出かけてみると、刺激になる。
欲しいなんて思いもしないようなものに食指が動いたり、注目したり。
なにも今時、今さら目新しくもなんともないものが、ちょっとした味付けを変えることによって、新鮮に映る。
目線が変ると、同じものでも、生きてくる。

モノだけに囚われないと思う。
脳に刺激、感性に刺激を与えると、
いつもながらの味気のないものや、飽き飽きしているものに対しても、
新しい風を感じることができる。

これをお料理に活かせば、家族は泣いて喜ぶのだろうが、
哀しいかな、わたしは料理は・・・イマイチ、イマニ。

掃除、整理、整頓は大の苦手、嫌いなくせに、美しいものや、美術品が好き。
この大いなる矛盾。まったくの矛盾である。
料理は出来ない(ヘタ)けれど、グルメであるのと同じことか。
そういう、世の亭主は、じつにやりにくい。
調理したものを投げつけてやりたい心境になる。
が、自分も同じ穴のムジナなので、あまり言うと、自分の首を絞める。

自分は出来ないくせに理想が高い。有言不実行。
出来ないなら、偉そうに言うことなかれ。
出来てこそ、声に出すべき。
出来るけれど、それも言わないで、ひっそり実行するのが、理想中の理想だ。
が、理想は遠い。

目指す「不言実行」を、いつも呪文のように唱えるだけで、一生が終わりそうだ。


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