いつも、しょーもないことを綴っているが、
今日は、特に、しょーもないことを書きます。。。。。
しょーもない、というのは、わたしの生活そのものが、どんなものであれ
もっと、真摯に、まじめに、明るく、肯定的に生きるべき。
自己分析するには、
読んでいる人を含めて、否定してしまっているのではないかと。
高い理想像に到達しない自分を嘆く・・・ということは、
わたしの描く、ある理想に到達していない人は、
自分では気持ちよく機嫌よく満足していても、わたしみたいな人間は、満足していない。
それって、不快。おもしろくないですよね。
あたたかい、だとか、やさしい、柔和な深みのある人間性を持っていればいいのですが
苦労知らずのわたしには、人に対する労わりというものが欠けている。
だから、選ぶテーマ、見る目、感じるこころ、そういったものが、ちょっと、人とズレてしまう。
それがおもしろいと感じる人は、かなりの少数派。
かといって、平凡な一般的なものは、当たり前すぎて魅力に欠けるけれど、
そこは、書き手の技術や、人間性で、魅力あるものになるようだ。(わたしじゃ、ムリ)
ただただ、自分が書きたいことを書く、というのも、読み手にすると、どうでもいいこと。
読んでいて、落ち着いたり、安らげたり、共感できたり、おもしろかったり、
そういうものが、多くの人の支持を集め、訪問者数を上げるのだと思う。
ごく普通の内容で、とりたてて変わっていないにもかかわらず、多くの訪問者数があるブログを読むと、
どこが、いいのか、どうして、たくさんの人が集まるのか、実は、よくわからない。
なるほど、と、納得できるブログも、もちろん、とてもたくさんあるが、
納得できないブログもある。
わたしの見る目が、おかしいのか???
人それぞれ、好みがあるにしても、
多くの訪問数があるブログは、多くの人が好むということ。
「ひとりひとり」「それぞれ」「個々に」という域を超えていて、普遍性があるってことだろう。
決してブログの内容を否定しているわけではないのだが、多くの人が集まる理由が、
いまひとつ、わからない。
ふつうの人の、毎日のふつうの出来事って、やっぱり、魅力的なのかな???
わたしも、自分自身の生活や考え方は、ふつうだと思っているけれど、ふつうじゃないのかも?
いや、ふつうのはず・・・なんだけど。
なにが、ふつうで、なにが、ふつうでないのか???
生活のことを書かないし、かといって、ユメのあることでも、他人にとってはどうでもいいようなことだし、
「健気(けなげ)に生きている感」がないからだろう。
というか、わたし、鼻持ちならない人なんだろう。
共感できる人が、もし、いらっしゃるとしたら、その人も、ひょっとしてスタンダードから外れているのかも?
書いている内容は、自分が選別したテーマ。
嘘はないが、自分のすべてではない。
ユニークすぎて、アクが強くて、使い心地が悪くて、一般受けしないで
売れ残っている商品みたいのかんじ?