常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

リラの花

2023年04月20日 | 日記
その季節の初見の花。ブログの記事には、これも一つの題材になる。今年の花は、ほぼ2週間、季節を先取りして咲いている。5月も連休を過ぎないとなかなか咲かないリラだが、今年は今朝、近所のお宅に庭に花を咲かせた。しかも、その庭続きのお宅では、フジが花を垂れ、咲き始めていた。確か札幌のリラ祭りは、6月と記憶しているが、先日札幌で桜が開花した。桜からひと月ほどでリラが咲くから、札幌でも今年は5月中にリラが見れるかも知れない。こんな花を見ていると、夏がくるのもさほど先のことではない。

花が早く咲くだけではない。山のなかで、アゲハ蝶が飛びまわている。陽ざしの強いところを選んで、気持ちよさそうに日光浴をする。まちがってだろうか、手の甲にとまるものもいる。人を恐れるということもないようだ。

夕風や野川を蝶の越えしより 白雄

新緑、吹き抜ける風、そこを飛び回る蝶。季節はこんな動きのある風景を、人に提供してくれる。その底には、押しとどめることのできない時のながれがある。一瞬の映画のような風景。人はいつまでその美しい景色を記憶にとどめることができるか。

物を忘れ添いくる心のさみしさは
私がだんだん遠くなること    河野君江

今年の春の景色は、長く記憶のなかにとどめておきたい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワラビの初摘み

2023年04月16日 | 日記
大坊川の土手にツツジが咲く季節になった。記憶では、この花が咲くと、ワラビ出るはずだ。例年より10日以上に早い季節の進みぐあいだが、ワラビの粗朶に近づいてみると、ワラビが2、3本出ているのが見えた。あまり肥料分のない土手のため、細い初ワラビだが、よく見ると方々に萌えだしている。初物
の春の味覚に出会えてうれしい。

石走る垂水の上のさわらびの
 萌えいづる春になりにけるかも (万葉集・巻8 1418)

春いちばんにワラビを見つけて、思い出すのは、志貴皇子の名吟である。春のよろこびの歌にワラビが詠まれるのは、この時代から食用に採取されていた証でもある。わらびにつく「さ」は接頭語。わらびが生き生きと芽吹く活力を喚起する力を持っている。苗にさをつけてさなえ、枝にさをつけてさえだ、乙女にさをつけてさおとめ、どれも奥深い意を添えて、もの存在に充足感を与えている。

これから、山に入って、多種類の山菜を収穫する季節になる。コゴミ、タラノメ、ウド、ネマガリダケ。色々と考えると、方々へ走って、取り歩く体力は、残念ながら失われていく一方だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流山の保育園

2023年04月15日 | 日記
4月からひ孫の保育園通いがはじまった。その様子は、園から届けられる保育日記が孫たちが親やジジババにまで共有してくれる。その日での園での様子が細かく知らされいて興味深い。はじまる前は、一日中庇護されている親から離れるのは不安で大泣きかと心配されたが、いざ始まってみると、ニコニコで園に行くのが待ち遠しいらしい。

「初めての登園でしたが、ニコニコとても愛らしい笑顔でお母さんと離れることができましたね。お部屋の中をとても活発に動き回っていた〇〇でしたが、周りのお友達が泣いていると、私もママがいないことに気がついたようで、泣きはじめましたが、抱っこするとまたニコニコと笑って、沢山の癒しを頂きました」

こんな懇切な記事に写真が添えてある。「流山はすごい」という本にも書いてあったが、保育については首都圏では飛び抜けて頑張っている。園は孫たちの住まいから徒歩2分ほどの場所にあり、保育者は登園の日から文字通り、親がわりになっている。親の心配にも配慮が行き届いた日誌を届けてくれる。都内の保育園では、電車で30分もかけて、園まで送迎しなけれならないことを思うと、孫たちは恵まれた環境だ。もうじき産休の期間が終わって職場に復帰するが、心配なく子育てができそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新緑と高山の花々

2023年04月14日 | 登山
新緑のなかに身を置くことに特別の意味がある。冬の長い眠りから覚めて、新しい生命が動き始める。冬にこもっていた部屋を出て、そんな生命の躍動に出会うとき、生きる喜びをあらためて意識する。人間はそんな風にして年齢を重ねていく。雪が消えて、ウグイスの囀りを聞きながら、新緑をや足元の高山の花々の饗宴を見る時が一年のうちでもっとも刺激的な時間だ。仙台市作並。昔からの温泉の街として名高いが、そこに岩峰を聳えさせるのが鎌倉山だ。標高520mの低山だが、この季節は山の花を愛する仙台市民のいこいの山となっている。
先ず目に飛び込んでくるのは、ほとんどの斜面の埋めつくすカタクリ。花期は終わりに近づいている。そして、これでもかとうち続くニリン草の群落。こちらは咲きはじめ。陽ざしが降りそそぐに合わせるように花が開いていく。花にくわしい人は、葉をみて咲き終わったミスミソウ、これから咲くシラネアオイのありかを示してくれる。里の桜が終わるころ、ヤマザクラの点景が新緑にまじっているのが、またうれしい。

水の音に似て啼く鳥よ
山ざくら松にまじれる深山の昼よ 牧水
花のなかを下って来ると、大きなレンズを構えてニリン草を取るカメラマンがいた。花を専門にしている人の目は鋭い。ニリン草の群落のなかに咲く一輪を指して、「緑ニリン草ですよ。」みれば、花弁のなかに緑の斑点が浮かんでいる。「以前はもっと緑が濃かったんですよ。花も齢で薄くなりました。」と、経年の花の様子まで教えてくれる。花の自然変異というものであろうか。花への愛も、ここまで深まってくると本物だ。
花好きな一行から、「ワー」という歓声が上がる。葉しか見られなかったシラネアオイの魁を一輪見つけたときだ。花の周りに我も、我もとカメラを差し出す。さすがにこの花の紫は奥ゆかしい。たった一輪の上品さに心うたれる。

本日の参加者13名。内男性4名。里山の花の山に人気が集まる。下山して11時20分。時間があるため、日帰り温泉に回ったが、神の湯は木曜定休。断念して帰路につく。検索のもう少ししっかりと反省する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光禅寺

2023年04月11日 | 論語
久しぶりに光禅寺を訪ねた。家の近くの桜は終わりに近づいたが、この寺の枝垂桜と参道の老木がわずかに花を残していた。義母が元気であったころは、この寺の庭を散策することが好きであった。年を経て、庭の花木もだんだんn少なくなっている。池の水はなく、これから花期を迎える牡丹の花芽が伸びつつあった。庫裡のあたりに植えられているオキナグサが、はやくも花を咲かせていた。

外へ出たとき寄り道の定番はブックオフである。100円~200円の棚を中心に、興味のある分野の本を見つけるのが楽しい。思わず新書の棚で手をのばしたのは、高橋源一郎『一億三千万人のための論語教室』。最近ブックオフで買った孔子関連の本は、加藤徹『本当は危ない論語』、井上靖『孔子』とあわせて3冊目だ。高橋はこの本を書くために20年の時間を費やしたと語っているが、80歳を越えた今日まで、論語関連に興味が尽きないのは、その本質をいまだに理解できないためである。

「学んで時に之を習う、亦た悦ばしからずや」誰もが教科書で最初で目にする論語の最初の言葉だ。声にだして、この句を暗記する勉強法をとってきた日本人は、その意味を性格の認識しないまま読み進めてきた。孔子の家は学校のような造りになっていた。時間を決めて、弟子が集まり温習会を開く。みんなで集まって一緒に勉強しているときは楽しいね。この言葉が話された場所、背景が分かるように書かれている。温習会から、友人が遠くから訪ねて久闊を除す楽しみ、そして友達との付き合い方へと話が広がる。高橋が試みた論語の読み方は、一気に現代の舞台に登場した感がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする