桜は満開を迎えたらしい。あいまいな表現は、出かけて桜を見られないためだ。もうコロナが終息を迎えようとしている時期に、うかつにも感染した。熱が37.5ほどに上がったので、念のために発熱外来で、抗原検査を受けた。一週間前のことだ。結果はコロナ陽性。熱も翌日には下がったが、保健所の指示で外出禁止。体調はどんどん戻っていくが、買い物もゴミ出しも禁止。市からの食糧補助で、1週間分の食べ物は確保できた。今日、保健所から明日からの自宅療養の解除が許可された。これほどの軽微な症状でも、人に感染させる恐れがあるという理由で、行動の自由が奪われた。中国のゼロコロナ政策が、どれほどの負担を人々に与えたか、いささかではあるが実感できた。
古事記に、山の神である大山津見神の娘に木花之佐久夜比売(コノハナノサクヤヒメ)がいる。たいそうな美貌の神で、桜の神とされている。だが、妹に木花知流比売(コノハナチルヒメ)、岩長比売(イワナガヒメ)がいることは意外に知られていない。これは、サクラが咲くとすぐに散ることに関連している。花のはかなさを、この二神で表したように思える。咲いて美しく、その年の豊作を予兆するのが、コノハナノサクヤヒメ。花が散り、そのはかなさを示すのがコノハナチルヒメ。古事記の時代から、人々は桜の花にそのような感情移入をしてきた。いろは歌も、その無常観を詠んでいる。色はにほえどちりぬるを我が世たれぞ常ならむ。
ところでもう一人。イワナガヒメは醜女であった。ニニギノミコトが美貌のコノハナノサクヤヒメに惚れ込んで、求婚した。父の大山津見神は、この申し入れを受け入れ、姉のイワナガヒメを加えて結婚させようとした。ニニギノミコトは醜いイワナガヒメを敬遠し、親元に送り返した。大山津見が言うには「私には娘を二人遣わしたのは理由がある。イワナガヒメはニニギノミコトのお命が雪が降っても雨が降っても岩のように長く続くため。コノハナノサクヤヒメはミコトを花のようにはなやかに栄えることを祈ってのこと。イワナガヒメをお返しになったのでは、ミコトの命は、木の花のように、もろくはかなく散るでしょう。」このことから、代々の天皇たちのお命は限りあるものとなった。
田辺聖子の『古事記』を手にとったのは、理由がある。同じ世代の山仲間から一冊の本を借りた。梯久美子の『この父ありて』。ほぼ1920年代に生まれ、戦後のもの不足の時代に小説や詩を書いた女たちの小伝アンソロジーである。島尾ミホ、石垣りん、茨木のり子、田辺聖子、辺見じゅん・・・少しは読みかじったことのある人たちだ。なかに田辺聖子がいて、本棚に『田辺聖子の古事記』があった。体調を崩した娘の本だなから、形見のようにして持参したものだ。「これもらっていく」と本を示すと、「うん、もっと欲しいのあれば持っていって」と快諾してくれた。以後、おりにつけて、古事記のお話を読むのが
日課のようになっている。