新年の気分はなかったが、月日は飛ぶように過ぎていく。それにしても、こんなに雪の少ない寒の内は記憶にない。来週は大寒だというのに、平地には雪が見えない。蔵王のスキー場も雪が少なく、恒例のジャンプ大会のためにシャンツェの雪が運ばれている。道路に雪がないだけ車の運転も楽だが、この季節に見る青空は異常気象のシンボルのように見える。太平洋岸では、この季節普通に見える青空だが、日本海側の小雪はコメの不作の予兆でもあるのだ。
昨日、詩吟の会の初吟会が開かれた。久しぶりに会う吟友の吟を小1時間聞いた。高齢化で会員たちの今年の抱負を聞いて回った。期せずして、「健康第一」という声が方々で聞こえた。そのなかで、「詩吟をもっと上達したい。」「美しい日本語を極めたい。」「仲間を増やしたい。」どのテーブルからの切実な声が聞えた。漢詩や和歌に親しむ時間は、歴史のなかに埋められようとしている。戦後の敗戦を経験した人々は、本当の言葉に飢えていたような気がする。漢詩の難しい表現への回帰は、一億総玉砕などの虚しい言葉への反発であった。紀貫之の春の歌が心に沁みた。
袖ひちてむすびし水の氷れるを
春立つ今日の風や解くらむ