常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

生きる

2019年10月22日 | 日記
今日、即位の礼、今年だけの国民の休日になっている。11時から始まった即位の礼は、テレビ中継でみた。外は雨、台風20号の影響で、新しい時代が、雨に降らて始まった。雨は日本に豊かさをもたらしてきたが、新しい時代は洪水という大きな被害の苦しみのなかで始まった。183ヶ国の元首らが参列する盛大で厳粛な儀式であった。

夜の7時からは400名の内外の賓客を招いて饗宴の儀が行われ、即位の祝福を受けられる。この饗宴の儀に、一人の異色の招待者がいる。たった一人、沖縄の女子高校生、相良倫子さんだ。2018年沖縄県平和記念資料館が募った「平和の詩」に応募した、相良さんの「生きる」と題する詩は、選ばれてその年の沖縄戦没者追悼式で自身が朗読し、聞くの人の胸を打った。曾祖母の体験を聞いて綴った詩は、平和を願う沖縄の人々の切なる気持ちを書いている。

生きる 相良倫子

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
海に打ち寄せしぶきを上げて光る波。
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光り。

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言うやすらぎとなり
私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがいのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前。
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きたきた、私と同じ人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただそれだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

詩はさらに続く。島の悲しみを語り、今を生きる命のための平和とは、普通に生きること。戦力という愚かな力を持つことではないと、訴える。この詩を書いた女子高校生が、令和天皇即位の礼の饗宴の儀に招待された。そのことに、大きな意味がある。沖縄の人々の心が、この詩のなかに書かれているから。

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