女は奥様(おくさま)に微笑(ほほえ)みかけた。でも、その目は獲物(えもの)を狙(ねら)う獣(けもの)のように冷(つめ)たいものだった。それを感じたのか、奥様の顔に不安(ふあん)の色がありありと浮(う)かんでいた。
その時、玄関(げんかん)の扉(とびら)が開いた。中から出て来たのは、この家の主人(しゅじん)。五十代後半といったところか。小太(こぶと)りで頭も少し禿(は)げかけていて、どこかずる賢(がしこ)い目をしていた。どう見ても、女に好かれるタイプではない。奥様がどうしてこの男を選(えら)んだのか? 他にも言い寄(よ)る男はいただろうに。奥様は、それほど若(わか)い頃(ころ)は美しかったはずである。
主人は女の顔を見るなり、ハッとして息(いき)を止めた。女は硬直(こうちょく)している主人に向かって、艶(なま)めかしい笑(え)みを浮かべる。主人は動揺(どうよう)を隠(かく)しながら妻(つま)に言った。
「おい、出かけなきゃならんのに、何をしてるんだ」
「ごめんなさい。すぐにお支度(したく)を…」
妻はおどおどしながら頭を下げると、慌(あわ)てて家の中へ戻(もど)って行った。主人はそれを見送(みおく)ると、女に向き直って何か言いたげな顔をする。女はそれを制(せい)して、
「お出かけですか? 構(かま)いませんよ。あたし、奥様と大事(だいじ)なお話しがあるので」
「大事な話? 何だ、それは。まさか、お前――」
女は意味(いみ)ありげに微笑むと、主人の横をすり抜(ぬ)けて家の中へ入って行った。
「おい、待て。勝手(かって)に入るんじゃない。ここは、お前が――」
主人が何を言っても無駄(むだ)のようだ。女はずかずかと家に上がり込んで行った。
<つぶやき>何なの? ここの主人も、女と関係(かんけい)ありですか。この女は一体(いったい)何者なのか。
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