男は大仏(だいぶつ)を前にして何か考(かんが)えているようだ。それを見ていた老人(ろうじん)が男に訊(き)いた。
「お前さんは、どうして大仏さまに手を合わせないんだね」
男は答(こた)えた。「ふん、大仏を拝(おが)んで何とかなるなら、いくらでもしてやるよ。俺(おれ)はいま、この大仏を鋳(い)つぶして、何を作ればいいか考えてるんだよ」
老人は怒(いか)りを露(あら)わにして、「何て罰当(ばちあ)たりなことを言うんだ! 地獄(じごく)に落(お)ちてしまうぞ」
男は誰(だれ)に言うでもなく、まるで自分に言いきかせるように呟(つぶや)いた。
「神(かみ)も仏(ほとけ)も、何もしちゃくれないさ。お上(かみ)をあてにするなんてバカのすることだ。自分(じぶん)の食(く)い扶持(ぶち)は自分で何とかするしかないんだ。自分から何もしないで、食えないのは世間(せけん)のせいだと叫(わめ)きちらす。いつからこの国は、そんな軟弱(なんじゃく)なものになっちまったんだ?」
男は大仏に背(せ)を向(む)けて歩き出した。歩きながら、男はブツブツと念仏(ねんぶつ)のように呟いた。
「仕事(しごと)がなけりゃ、自分で仕事を作ればいい。売(う)ってる物が売れなきゃ、売れる物を探(さが)してこい。周(まわ)りを見てりゃ、いま何が必要(ひつよう)とされてるか分かるはずだ。何かを作る技術(ぎじゅつ)があるなら、そいつは大(たい)したもんだ。無(む)から有(ゆう)を生(う)むんだから…」
男は何かを探すようにぐるりと見回(みまわ)して、「好機(こうき)はどこにでも転(ころ)がってるはずだ。そいつを見つける目があればいいだけのことだ。助(たす)けを待ってる暇(ひま)があるなら、動(うご)き回(まわ)れ。走(はし)り回れ。形振(なりふ)りかまうな。悪(わる)さをするのはいけないが、それ以外(いがい)なら何だってできるはずだ」
<つぶやき>せっぱ詰(つ)まったとき。それは自分の真価(しんか)が問(と)われるときと覚悟(かくご)を決(き)めましょ。
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父「ほんとに式(しき)を挙(あ)げなくてもいいのか? 何なら、父(とう)さんが金を出してもいいんだぞ」
娘「いいよ。お金がもったいないわ。新婚旅行(しんこんりょこう)だけで充分(じゅうぶん)よ。まぁ、旅行といっても、向こうのご両親(りょうしん)に会いに行くんだけどね」
父「向こうへ行ったら、失礼(しつれい)のないようにな。お前は、そそっかしいから心配(しんぱい)だ」
娘「もう、子供(こども)じゃないんだから。心配しなくても大丈夫(だいじょうぶ)よ。それより、父さんは? 明日から一人になっちゃうけど…。ちゃんとやれるの?」
父「何の問題(もんだい)もないさ。父さんは一人でもやっていける。好(す)きにさせてもらうさ」
娘「そう…。結婚しても、ちょくちょく顔を見に来るね。近いし…」
父「バカを言え。ちょくちょく帰って来られたら迷惑(めいわく)だ。明日は早いんだ。もう寝(ね)なさい」
娘「分かってるわよ。明日、遅刻(ちこく)したら大変(たいへん)…」
父「忘(わす)れ物のないように、ちゃんと確認(かくにん)したか? 手土産(てみやげ)を持って行くんだぞ」
娘「それは大丈夫よ。彼が、ちゃんと用意(ようい)してるはずだから」
父「しかしなぁ…。何か、あの男は頼(たよ)りないんだよなぁ。どうも…心配だ」
娘「もう、蒸(む)し返(かえ)さないでよ。彼はとっても良(い)い人よ。父さんだって認(みと)めてくれたでしょ」
父「それは…、死(し)んだ母さんと、約束(やくそく)したんだ。お前が好きになった人と――」
<つぶやき>きっと、ここまでくるのに紆余曲折(うよきょくせつ)があったんでしょうねぇ。おめでとう。
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今日は、彼のとこにお泊(と)まりをすることに…。朝からそわそわして落ち着かない。そんな私を見て、昼休(ひるやす)みに同僚(どうりょう)の親友(しんゆう)が探(さぐ)りを入れてきた。私は、この娘(こ)に隠(かく)しごとはできない。いつも見抜(みぬ)かれてしまうので、仕方(しかた)なく打(う)ち明けた。
すると彼女は、「そうなんだぁ。彼んちにお泊まりするの初めて?」
「彼の部屋(へや)は初めて……。ごめん、男の人の部屋に入ったことないです」
「じゃあ、部屋に入ったら、さり気(げ)なくチェックしておくといいわよ」
「えっ? 何を……」
「決(き)まってるじゃない。女の影(かげ)がないかよ。洗面台(せんめんだい)とか、お風呂場(ふろば)なんかに女の痕跡(こんせき)があるかもしれないでしょ。男なんて、知らないところで何してるか分かんないんだから」
彼女は、前に付き合ってた人に二股(ふたまた)をかけられていたらしい。
私は、「そ、それはないわよ。私の彼は、そんな人じゃ…」
「それでも、確認(かくにん)は必要(ひつよう)でしょ。それと、部屋の中がだらしなく散(ち)らかってないかも…。まぁ、女を部屋に入れるんだから、片(かた)づけてはあると思うけど…。隅(すみ)の方を見れば、普段(ふだん)の状態(じょうたい)は分かるはずよ。これは、彼と一緒(いっしょ)に暮(く)らすことになったときのためよ」
彼女のレクチャはまだまだ続くみたい。男性経験(けいけん)の少ない私にとっては有難(ありがた)いけど…。あの…、昼休み、終わっちゃうんですけど――。
<つぶやき>こんな現実的(げんじつてき)な話しを聞かされちゃうと、甘(あま)い気分(きぶん)も半減(はんげん)しちゃうかもね。
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久(ひさ)しぶりに旧友(きゅうゆう)と再会(さいかい)した。前に会った時は健康(けんこう)そのもので仕事(しごと)もバリバリやっていたのに、どうも顔色(かおいろ)が悪(わる)く、体調(たいちょう)が良くないようだ。僕(ぼく)は具合(ぐあい)でも悪いのかと訊(き)いてみた。すると彼は、ビールを少しだけ口にして答(こた)えた。
「ああ、どうも…疲(つか)れが抜(ぬ)けなくてね。…おかしな夢(ゆめ)を見るんだよ」
彼は淡々(たんたん)と話を続けた。「いつも、同じ女性が出てくるんだ。顔ははっきりしないんだが、長い黒髪(くろかみ)と、赤い唇(くちびる)が印象的(いんしょうてき)で…。その女性(ひと)は、俺(おれ)に微笑(ほほえ)みかけてこう言うんだ。〈早く来て〉って…。俺が横(よこ)に座(すわ)ると、その女性(ひと)は俺にしなだれかかって、赤い唇を…」
「何だよ。そんな艶(つや)っぽい夢を見るなんて羨(うらや)ましいじゃないか。キスでもしたのか?」
「よく分からないんだ。その後のことは…。俺…、眠(ねむ)るのが恐(こわ)いんだよ」
彼は、それ以後(いご)、口をつぐんだ。彼と別れたとき、彼の背中(せなか)がやけに小さく見えた気がした。彼の訃報(ふほう)が届(とど)いたのは、それから半月(はんつき)後だった。
葬式(そうしき)があった日の夜。僕は、なかなか寝(ね)つけなかった。それでも夜中(よなか)には眠ったようで――。僕は、夢を見た。若い女性が、僕に何か話しかけているようだ。顔は分からない。でも、彼女は長い黒髪をかき上げて…。赤い唇が僕に迫(せま)ってきた。
僕は飛(と)び起きた。横で寝ていた妻(つま)が、不機嫌(ふきげん)そうな顔をして言った。
「サヨコって誰(だれ)なの? うなされて言ってたけど。まさか、浮気(うわき)してるんじゃ…」
<つぶやき>浮気相手が夢に出てきたの? それとも友だちが言ってた女性だったのか…。
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川相初音(かわいはつね)と月島(つきしま)しずくはつくねの部屋(へや)にいた。だが、肝心(かんじん)の神崎(かんざき)つくねはいなかった。どこかへ出かけているのか…。そこへ、父親の神崎が顔を出した。神崎は二人を見て、
「こりゃ、驚(おどろ)いた。娘(むすめ)のお友だちかな? だが、あいにくあの娘(こ)は…」
しずくが声をあげた。「すいません。突然(とつぜん)、来てしまって。私たち、これで失礼(しつれい)します」
「待(ま)ちたまえ。せっかく来てくれたんだ。このまま帰してしまったら娘に何て言われるか。ああ、どうだろ? 私の実験室(じっけんしつ)を覗(のぞ)いてみないかい? 娘が戻(もど)るまで…」
しずくは嬉(うれ)しそうに答(こた)えた。「えっ、いいんですか? 見てみたいです。ねぇ」
しずくは初音に同意(どうい)を求(もと)めた。初音はイヤだとは言えなかった。
神崎に連(つ)れられて、二人は実験室に入った。ここは、つくねが実験台(じっけんだい)にされて洗脳(せんのう)を受(う)けた場所(ばしょ)だ。初音は、しずくが何を考えているのかさっぱり分からなかった。しずくは周(まわ)りにある大きな装置(そうち)を見ながら、楽しそうに神崎を質問攻(しつもんぜ)めにした。
「君(きみ)たちにはちょっと難(むずか)しいかもしれないが、この装置で脳(のう)の働(はたら)きを調(しら)べることが――」
「すごい。そんなことができるなんて…」しずくは目を輝(かがや)かせて、「あの、試(ため)してみてもいいですか? 私、やってみたいです」
「それは、かまわんが…」神崎はほくそ笑(え)んで言った。「じゃあ、このイスに座(すわ)って――」
<つぶやき>自分からいっちゃうんだ。もし、しずくも洗脳されたらどうなっちゃうの?
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