祐太(ゆうた)は会社(かいしゃ)の同期(どうき)の女性(じょせい)に思(おも)いを寄(よ)せていた。彼女(かのじょ)は美人(びじん)というほどでもなく、どこにでもいるようなごく普通(ふつう)の女性(じょせい)だった。彼(かれ)にしても、別(べつ)に彼女(かのじょ)に一目惚(ひとめぼ)れしたというわけでもなかった。職場(しょくば)でたわいのない話(はなし)をしたり、仕事(しごと)のあとの飲(の)み会(かい)とかで仲良(なかよ)くなって。自分(じぶん)でも意識(いしき)しないうちに、なんか良(い)いよな、やっぱり気(き)になる、好(す)きになっちゃったのかも。てな感(かん)じで、<どうしようか>と思(おも)い始(はじ)めたのは一ヵ月前(いっかげつまえ)だった。それからというもの、普通(ふつう)に話(はな)しているつもりでも、なんだかぎこちなくなっている自分(じぶん)がいた。
同(おな)じ職場(しょくば)で働(はたら)き始(はじ)めてもう1年(いちねん)ぐらいになるのだが、彼女(かのじょ)のプライベートのこととなると、祐太(ゆうた)はまったく知(し)らなかった。もしかすると付(つ)き合(あ)っている人(ひと)がいるのかもしれない。そんな不安(ふあん)がよぎり、彼(かれ)の告白(こくはく)の決意(けつい)をにぶらせた。
ある日(ひ)のこと、たまたま会社(かいしゃ)の備品倉庫(びひんそうこ)で二人(ふたり)だけになるという好機(こうき)がめぐってきた。この機会(きかい)を逃(のが)したら、もうこんなことは二度(にど)とないかもしれない。
「あの…」祐太(ゆうた)は思(おも)い切(き)って声(こえ)をかけてみた。「実(じつ)はですね…」
「何(なに)を探(さが)してるんです。よかったら、私(わたし)も一緒(いっしょ)に」
「いや、そういうことじゃなくて。その…」
彼(かれ)がまさに告白(こくはく)を切(き)り出(だ)そうとしたとき、後(うし)ろから先輩(せんぱい)の声(こえ)がした。
「なにさぼってるんだよ。みんな待(ま)ってるんだから、早(はや)くしろよ」
これで祐太(ゆうた)は、せっかくのチャンスを逃(のが)してしまった。祐太(ゆうた)の落(お)ち込(こ)みようといったら。何(なに)かひとつでも彼女(かのじょ)のことを聞(き)くことができたら、少(すこ)しは救(すく)いになったのだが…。
そんな祐太(ゆうた)に突然(とつぜん)チャンスがめぐってきた。街(まち)を歩(ある)いていた祐太(ゆうた)の目(め)の前(まえ)に、彼女(かのじょ)が現(あらわ)れたのだ。彼女(かのじょ)はびっくりしたような顔(かお)をして言(い)った。
「この近(ちか)くに友達(ともだち)が住(す)んでるんです。今日(きょう)はそこでパーティがあって」
「ああ、そうですか。あの、僕(ぼく)、このあたりに住(す)んでて…」
「そうなんですか。あっ、そうだ。もし、よかったら、これから一緒(いっしょ)に行(い)きませんか?」
「えっ、僕(ぼく)と? いや、僕(ぼく)なんかが行(い)ったら…」
「いいんですよ。その友達(ともだち)、新婚(しんこん)なんです。それに、今日来(きょうく)ることになってる他(ほか)の友達(ともだち)も、どうせ旦那(だんな)や彼氏(かれし)と一緒(いっしょ)だし。私(わたし)、そういう人(ひと)っていないんですよね」
「そうなんだ…」
「だから、付(つ)き合(あ)ってもらえると、すごく助(たす)かるんですけど…」
「うーん」と祐太(ゆうた)はうなった。彼(かれ)の頭(あたま)の中(なか)でいろんなことがぐるぐるめぐった。
「やっぱり、だめですよね」彼女(かのじょ)はがっかりしたように言(い)った。
「ごめんなさい。今日(きょう)、田舎(いなか)から母親(ははおや)が出(で)てくるんで、迎(むか)えに行(い)かないといけないんです。ほんとに、すいません」
「そうなんですか。いえ、いいんですよ」彼女(かのじょ)はそう言(い)うと、にっこり笑(わら)った。「田中(たなか)さんって、母親思(ははおやおも)いなんですね」
彼女(かのじょ)と別(わか)れた祐太(ゆうた)は、思(おも)いっきりため息(いき)をついた。彼女(かのじょ)ともっと親(した)しくなれたかもしれないのに。それに、彼女(かのじょ)に悪(わる)いことをしてしまったようで、心苦(こころぐる)しかった。
<つぶやき>なにをするにもタイミングは大切(たいせつ)です。一(ひと)つ間違(まちが)えると、大変(たいへん)なことに…。
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疑似家族計画。これは政府が新しく打ち出した政策で、いよいよ今月から施行されることになった。この計画は、一人暮らしの老人や、親のいない子供たちに家族を作ろうという目的で始まった。それと、結婚適齢期なのに、いまだに独身という男女にも適用された。国が結婚相手を選び出し、少しでも少子化を解消させようという狙いもあったのだ。
この計画が発表されたとき、反対を唱える人たちもいた。だが、その声もいつしか消えてしまった。国民全体が、この計画に期待とあこがれを持つようになったのだ。
のぞみは母親を去年亡くしたばかりで、今は一人で暮らしていた。
大学から帰った彼女は、郵便受けの中に赤い封筒が入っているのを見つけた。差出人を見ると、<疑似家族計画推進委員会>となっていた。封筒を開けてみると、赤い紙の命令書が入っていた。彼女はそこに指定されている場所へ行き、まったく知らない人たちと暮らすことになるのだ。持っていけるものは、トランクひとつと決められていた。もしこの命令に従わないときは、罰せられることになってしまう。
のぞみは不安な気持ちで、真新しい家の呼び鈴を鳴らした。中から出てきたのは中年の夫婦。もちろん、この二人も推進委員会が選び出し、夫婦になることを決められたのだ。
「やあ、いらっしゃい」満面の笑顔で男が言った。「あっ、違うな。お帰りなさいだ」
「あなた、しっかりしてよ。お帰り、のぞみ」女はそう言うと、のぞみを抱きしめた。
「あの、これからよろしくお願いします」のぞみは少しホッとした。そんな変な人たちじゃないみたいだ。これなら、仲良くやっていけるかもしれない。
夕食の後、男はお茶をすすりながら、おもむろに言った。
「のぞみは、マニュアルは読んだかい?」
「マニュアル?」のぞみはしばらく考えて、「ああ、あの分厚い…」
「あら、いやだ」女はあきれた顔で、「だめじゃないの。ちゃんと読まないと」
「ごめんなさい。つい、面倒になっちゃって」
「いいかい」男はさとすように、「これから、私たちは仲良く暮らさなきゃいけない。そして、ポイントをどんどん貯めていく。そうすると、もっと大きな家に引っ越せたり、海外旅行にだって格安で行けるようになるんだ。だから私たちは、これから一致団結して…」
「あなた、そんなに頑張らなくても大丈夫よ。私たちは仲良くやっていけるわよ」
「もちろん、父さんだって。でも、もし意見の食い違いとか、もめ事があると…」
「そうね…」女は声を落として、「私、ちょっと小耳にはさんだんだけど、問題を起こした家族は、更生施設に送られるんですって」
「更生施設?」のぞみは不安になって訊いてみた。「それって、どういう…」
「これは、噂なんだけど」女は二人の耳元にささやいた。「そこへ送られたら最後、二度と出てこられないんですって」
その時、呼び鈴が突然鳴り響いた。三人は顔を見合わせた。玄関の扉を開けてみると、髪を赤く染めた男の子が、ふて腐れた感じで立っていた。彼は三人をにらみつけて、
「なに見てんだよ。息子が帰って来たんだろ。なんか言うことあんだろッ!」
<つぶやき>夫婦も最初は他人です。時間をかけて、少しずつ絆を深めていきましょう。
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エリカはベッドで熟睡していた。昨日で担当していたプロジェクトが一段落したのだ。睡眠時間を削って、なんとかここまでがんばってきた。こんなに心地よい眠りは何日ぶりだろう。彼女は至福のときを味わっているようだった。
朝の穏やかな光が彼女をつつみ、さわやかな風が彼女の頬を撫でた。小鳥たちのさえずりでエリカは目を覚ました。ベッドの中で寝返りをうち、気持ちよさそうに伸びをした。
ふと、彼女は違和感を覚えた。何かが違う。ハッと、彼女は気がついた。色が…、色がないのだ。見えるものすべての色が消えている。目覚まし時計の赤も、観葉植物の緑も、彼女の好きなピンクのカーテンもすべてモノクロになっていた。
「なにこれ」彼女は起き上がると目をぱちくりさせて、「まだ夢の中なの?」
彼女はほっぺたをつねってみた。それも、思いっきり。
「痛い!」彼女は飛び上がらんばかりに叫んだ。「夢じゃない。なんで、どうしちゃったの」
エリカはこの現実をどう受け止めたらいいのか、まったく分からなかった。彼女は恐る恐る窓から外を見た。そこには青い空も、木々の緑もなかった。街の色すべてが灰色に染まっていた。彼女は、しばらくそこから動けなくなっていた。
エリカは診療所へ行くことにした。子供の頃からの掛かり付けの小さな診療所。そこの先生はどんな病気や怪我でも、たちどころに治してくれた。まるで魔法のように。
「大丈夫よ」エリカは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。「色がないだけで、ちゃんと見えてるじゃない。なんの問題もないわ」
彼女は玄関の扉を開けて外へ出た。いつもの光景。エリカはほっと胸をなで下ろした。家を出て、いつもの道を歩く。周りの人たちも、彼女の異変に気がつくはずもなかった。しかし、最初の交差点に来て彼女は愕然とした。信号が、何色か見分けがつかないのだ。
「どうしよう」彼女は必死に考えた。「そうよ。みんなと同じにすればいいじゃない」
彼女は他の人が歩き出したら青、止まっていたら赤と判断した。
その診療所は古びたビルの中にあった。表に看板が出ているわけでもなく、通りすがりの人にはまったく気づかれそうになかった。診療所に入ると、待合室には誰もいなかった。彼女自身、この診療所で他の患者さんと出くわしたことなどなかった気がする。こんなんでよく続けられるなと、エリカは不思議でならなかった。彼女は待合室の椅子に腰掛けた。ここの先生なら治してくれる。なぜか彼女は、そんな確信のようなものを感じていた。
「どうされました?」温和な顔の白髪の先生が聞いた。「どこか、調子が悪いのかな」
エリカは今までのことを説明した。世界が灰色になってしまったことを。先生は、カルテに何か書き込んでいたが、彼女の顔を見て微笑んだ。
「心配ありません。いろんなものを見すぎたんです。インクを交換すれば直りますよ」
「インク…」エリカは首をかしげて、「交換って、どういうことですか?」
「すぐに終わりますよ。カートリッジを替えるだけですから」先生はそう言うと、彼女の両方の耳たぶを引っぱった。すると、彼女はすべての機能を停止させた。
<つぶやき>あなたは、友達の耳たぶを引っぱって確認しないでね。怒られちゃいますよ。
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達也は自分の叫び声で目を覚ました。ひどい頭痛だ。彼は頭をふって、あたりを見回した。なんとか頭痛がおさまると、やっと自分がどこにいるのか理解した。
この部屋の持ち主は、怪盗ブラックと名乗っていた。先月、ある美術館から名画を盗んだことで、世間から注目を集めたばかりだ。なぜ彼がここにいるのか。それは、彼こそが怪盗ブラックだから。というより、彼の中に怪盗が同居しているのだ。
達也は大きなため息をついた。自分の中にいる別の自分が、また悪事を働こうとしている。でも、それを止めることは彼にはできなかった。ふと、彼は手に握りしめている紙に目をやった。テーブルに広げてみると、それは地図と、どこかの建物の見取り図だ。地図には赤い線が引かれ、見取り図にはばつ印がつけてあった。彼は地図の赤い線の行き着く先を見て驚いた。そこは、彼のよく知っている人の屋敷だった。
「ご、ごめんなさい。こんなところへ呼び出して…」達也は落ち着かない様子で言った。
「そんな、いいんです。うれしい。達也さんから誘ってもらえるなんて」
しゃれたオープンカフェにいる二人は、誰が見ても不釣り合いなカップルに見えた。達也は時代遅れの黒縁眼鏡をかけて、何ともさえない服装をしていた。それにひきかえ彼女のほうは、清楚で気品があり良家の子女という雰囲気だ。
「今度、家でパーティがあるんです。よかったら、達也さんも…」
「いや、ぼ、僕なんか駄目ですよ。それより、綾乃さんに聞きたいことがあって…。あの、綾乃さんの家に、家宝と言えるような大切なものってありますか?」
「家宝? そう言えば、子供の頃、家にはお宝があるって聞いたことがあります」
「あの、こ、これから話すことは誰にも言わないで下さい。お願いします」彼は声をひそめた。「実は、そのお宝を盗もうとしている悪党がいるんです」
「えっ!」彼女は思わず小さく叫んだ。
その日の夜中。暗闇にまぎれて屋敷に忍び込む人影があった。身軽に塀を乗り越えて、大きな庭木をよじ登り二階のベランダに飛び移った。そして、ガラス窓をいとも簡単に開けてしまった。部屋に入ると、すぐに隠し金庫を見つけだし、ものの十数秒で開けてしまった。その手口の鮮やかなこと。怪盗は中にあった小さな木箱を取り出し、にやりと笑った。
そのとき突然、部屋の明かりがつき、大勢の警官がなだれ込んだ。怪盗は逃げる余裕すらなく、取り押さえられ観念した。手錠をかけられ連行される男。
屋敷の玄関は大勢の人であふれていた。その中に、綾乃の姿もあった。綾乃は怪盗を見て驚いた。その顔は、まぎれもなく達也の顔だった。達也は綾乃を見つけると、優しく微笑んだ。まるで、すべてのことが分かっていたみたいに。
綾乃は刑事から木箱を渡された。それは昼間、達也から本物とすり替えるようにと渡されたものだった。綾乃は達也との約束を守っていたのだ。彼女はそっと箱を開けてみた。中にはウサギの小さな置物が入っていた。綾乃はハッとした。これは子供の頃、達也にプレゼントしたものだった。添えられていたカードには、「これで終わらせることができます。僕は、綾乃さんのことは忘れません。ありがとう。幸せになって下さい」
<つぶやき>人生にはどうしようもないことってありますよ。でも、負けないで下さい。
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かすみさんがこの手紙を見つけたとき、もう僕はこの世界から消えてしまっていると思います。でも、悲しまないで下さい。僕とあなたが過ごした三十年のあいだ、楽しいことがたくさんあったから。僕は、あなたと一緒にいられて、とても幸せでした。
僕がこんなことを言うと、かすみさんは怒るかもしれませんね。だって、僕は良い夫ではなかったから。仕事にばかり夢中になって、あなたのことを一人ぼっちにしてしまった。子供たちのことも、みんなかすみさんに任せてしまっていたしね。
でも、あなたのおかげで、子供たちも無事に育ってくれました。とても感謝しています。こんなこと、面と向かっては言えなかった。ちゃんと言っておけばよかったね。
あなたはいつも家族のことを考えていてくれたよね。僕が入院したときも、毎日のように来てくれた。僕がそんなに来なくていいよって言っても、あなたは僕と一緒にいられる時間が増えたのよ、こんな幸せなことはないって笑ってくれた。僕は、あなたの笑顔がいちばん好きだったんだよ。あなたの笑顔はみんなを幸せにしてくれる。
僕がいなくなっても、笑顔を忘れないで下さい。これからは、あなたのやりたいことを好きなだけしていいんだよ。僕から、かすみさんへのご褒美です。ありがとう。
「何してるの?」押し入れの前で座り込んでいる娘に、母は声をかけた。
「ねえ、私、すごいもの見つけちゃった」興奮を抑えながら娘は古びた本を差し出した。
「これ、かあさんの…」母は懐かしそうに微笑んだ。「これは、おばあちゃんがとっても大切にしていた本よ。この本のおかげで、おじいちゃんと出会えたってよく言ってたわ」
「そうなんだ。だから…」娘は目を潤ませて、「この中に手紙がはさんであったの。おじいちゃんからのラブレターよ。それも、最後のラブレター」
娘は色あせた手紙を母に手渡した。母は手紙を読み終えると、
「こんな手紙もらってたなんて、ちっとも知らなかったわ」
「おばあちゃん、いい恋してたんだよね。こんなに愛されていたなんて…」
「あなたはどうなの。いい恋、してないの?」
「私は…。どうなんだろ、わかんなくなっちゃった」娘は投げやりに言った。
「隆さんとうまくいってないの?」
「うーん。やっぱり、遠距離って続かないのかな?」
「なに弱音吐いてるの。そんなんじゃ、おばあちゃんに笑われるわよ」
「だって…。逢いたいときに逢えないなんて、つらすぎるよ」
「おばあちゃんだったら、今ごろ飛んで行ってるでしょうね」
「私は…。ひとりでアメリカなんて行けないよ」
「もう、いつまでも子供なんだから。そんなんじゃ、何にも出来ないよ」
「わかったわよ」娘は立ち上がり、「行くわよ、行けばいいんでしょ。私だって…」
「でも、遺品の整理を済ませてからにしてよ。ひとりじゃ大変なんだから。それと、隆さんにちゃんと連絡しときなさい。向こうで、金髪の美女と鉢合わせしないようにね」
「もう、かあさん! なに言ってるのよ。そんなことあるわけないでしょ」
<つぶやき>人生の節目にあたり、心のこもった感謝のラブレターを書いてみませんか。
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