狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

福音鳴る改札

2016-01-19 12:39:18 | Weblog
反転照明トーマス機関車。
何のことかって? 父と子の物語。

ここの大祭司につき評価する点一つあり。 キリスト教文化圏との親和性。 他は不満。 珍走趣味とか左翼放置とか閨閥傾倒とか。 「仕方ない」のかもしらんが。

西の。 が勘違いしてそうな点。 人民には指導者、指導集団が必要だ、これ。 指導者ではなく学者、専門家集団。 指導者が対象とするのは自分に付いて来る、自集団を気に入る人たちだけ。 結果宗団がボコボコ創られ「アポロだポールだ」みたいになる。 もっとたちが悪いのが垂直分離。 「人の上に立つ」とは「下の人たち」を必要とする。 これが欧米キリスト教圏イスラム化進行でありサウジ対イラン、スンニ派圏シーア化進行。

ここから表題の話。 オランダ、アムステルダムで気になった点が、改札が無かった。 駅の外、切符売り場、プラットホーム、電車まで素通りだった。 空港駅では改札があったはず。
カリフォルニアの地下鉄だとたしか改札はあったはずだが券売機でお釣りが出ない。 後進国標準お釣りチョロマカシがそのままシステム化されてやがんの。
アメリカのセレブがセキュリティエリア通過時刃物携行を止められたのを非難していた事があった。
私はこれこのこうした状況、状態を大問題だと目すつまり、国民(人民)が公的機関から公正さを要求される機会が無くなっているのだと。
自宅で暴れるのは(ある程度は)自由だとされている、これが公私の別、一般の(社会)常識だ。 では村ではどうか。 公私の別は有ったり無かったり、というより「殴られるからしない」でありよって「殴られなければする」が常識となっている。
村社会の分別の無さ。 各地にあるこれらは公社会のルール、一般常識でもって踏みにじられなくてはならない。 村社会に改札を据え、監視カメラで撮影し粗暴犯窃盗犯を特定し再教育、それで無理ならば晒し者にしなければならない。 書こう、中国人韓国人が糾弾する、無分別に踏み込み人民一人一人に公正な国民たるを要求し公教育をして強要する所謂「日帝の悪行」は世界各地で行われなければならないのだ、と。
ここに日本人の常識、現代日本人の行動様式がある。 まともな日本人は駅員に従うのだ。 これは「彼らが偉いから」ではない。 「彼らが専門家だから」であり「彼らにそうした公的役割が与えられている」故なのだ。 単なる役割役回り。 それで機能する。 「偉い」という勘違いはここでは馬鹿がする。 そしてそれは機能しなくなる。
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