狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

再編について

2010-07-19 22:42:11 | Weblog
どうもこれ
最初の向きに
よく似てる
何が違うか
何時まであるか

昨日「事故死すれば解決だ」と書いた。
支援者たちは狂っていて支援されるものどもには良さが見当たらない。
そこらへんの考えは昨日も今も変わっていない。
今日の昼ごろよくわからず東京に出たところ相田みつを展をやっていた。
いのち、だそうだ。

さて再編について。
個人が、家族が、地域が、企業が、国家がどうあるべきかが判り
連中も改まりましためでたしめでたし、ってのが当面の目標なわけだ。
そうなれば文化の流れからして他の地域もそれに倣う。

んでだ。 問題はそのプロセス。
連中が再編に悔いた結果めでたしめでたしとなる、というのが
本に書かれている予定だ。
めでたしめでたしが目的なのであって再編に伴う大規模な問題は
机上の空論としては不必要だ。

最終目標は動かない。 それはいい。 そもそも知らないし。
当面の目標も固定。 それもいい。
問題は再編だ。
これが無いことには西の連中は信じない。
逆に東側の常識からすると本当に必要なのかという疑問が付いて回る。
信仰の問題か?

必要だとする。 というか必要なのだろう。
じゃあ今連中の場所をどうするべきか。
ほっといたらいいというのが一つの答え。
考え浮かんだ事を書き続け、結果駄目でしたというのがもう一つの答え。
現状はほっといていると。
今後もそれでいいのかどうか。

再編の邪魔をしないようほっとくのが正しいのか、
無駄に終わる事を信じて書くのが正しいのか、
予定と違う結果になることを信じて書くのが正しいのか、
あるいは再編の邪魔にならない範囲で書くのが正しいのか。

うん。
軽くしようとすればいいんだ。
それなら感情にも思考にも矛盾は無い。
極限まで軽くなれば文言一致程度で済むはずだ。
とすると事故死は無し。

さて問題だ。
「それは駄目だ」と伝えるべき相手は何処に居るのだろうか。
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