計画として分からんでもない。 ユダヤが指揮、アングロ・サクソンが平定し、そこに気付かれず神の種が蒔かれる。
私なら別のやり方を選ぶだろう。 神の国の民の移民賛成派に神の国のモラルが無い。 他人に無責任であるから移民制に賛成する。
結果はどうだろう。 種一粒でもいずれ大収穫となるかもしれない。
種一つ。 ただの覇道だろう。 ヨセフ、ヨセフ族、ユダヤ人の不本意を繰り返すに終わる気がする。
種十つ。 最初は上手く行きそうだが。 腐った欧州が見える。
種百つ。 インドのようだ。
種千つ。 千の畑となるか。 互いに認め合い弱ったものを助けるか。 乱雑に終わるか。
天使たちの。 「イエスに備えて私で好悪を調べよう」などという思惑は、無駄である。
まず個人差がある。
共通して嫌うものならある、例えば「神を利用しようとする者たち」。
つまり現時点で私に遜っていない以上、嫌悪の対象にしかなれない。 理解できる人には「マナー講師はことごとく悪である」とすると解るだろう、彼らは分からない。 美々しく傲慢な新興貴族に旧貴族以上の害が潜んでいるようなもの。 新興貴族にはそれに気付く機会はある。 だが気付かない。
ユダヤ人は「神の計画」を自負する。 私は「失敗作の活用模索」と見る。 出エジプトから直線で引けば彼らは善の教師となっていただろう。 今の彼らは悪の罠だ。 善の教師たらんとする人間は隠蔽を好まないだろう、彼らも彼らの敵も隠蔽に生きている。