『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[クライスト・チャーチ(地震に思う)]

2011-02-23 23:46:17 | 海の向こうでの冒険
☆昨日、数人から、「ニュージーランドで大地震だよ。蘭さん、いたことあるんでしょ?」などとメールがあったのだが、

 私はイメージで、何故か首都のウェリントンで起こったかのような勝手な思い込みを持ってしまい、確かに20年前にワーキングホリデーで、彼の国に1年間滞在したが、オークランドとクライストチャーチしか知らないので、ニュースを聞いた直後は「そりゃ、大変だ」ぐらいにしか思わなかった。

 しかし、今朝のニュースでの映像に絶句した・・・、クライスト・チャーチがグシャグシャになっていた。

 町のシンボルであるカテドラル・スクエアの大聖堂も崩れていた。

 私は、滞在中いつも、この大聖堂の見えるカフェで、フィッシュ&チップスやパイを食いながらコーヒーを飲んでいた。

 夜は、近くのバーで、ステイン・ラガーやDBドラフトを飲んだくれ、

 たまには<クレイジー・ホース>や<ルート66(だったか?)>でストリップを見た、観た、魅た。

 カジノ・バーでは、日本の競馬も賭けの対象で、<トウカイテイオー>で儲けたものだ。

 私は、この中心部から北にあるシャーリー地区で、グレンジャー・ファミリーの家にホームステイしながら、

 町の中心部に近い、大橋巨泉の<OKギフトショップ>の前にある日本食レストラン<くらしき>で働いていた。

 近くには、デザートレストラン<ストロベリー・フェア(だったっけ?)>があり、ここの「デス・バイ・チョコレート」は必食のものだ。

 西には、地震で崩れた銅像が建っていた博物館があり、

 この町に来た当初(オークランドで半年を過ごし、その後、フィジーでのバカンスを経て、厳冬のクライスト・チャーチに来た)、厄介になったユースホステルや、よくふらついたアートセンターがあり、

 その向こうには、よく散歩したハグレー公園があった。

 更に西のリカトンには、<くらしき>のオーナー夫妻の大邸宅があり、

 ガールフレンドとデートした<モナベイル>と言うお洒落なレストランがあった。

 <パーチカ>と言う雑貨屋は楽しかったなぁ。

 南の高台のカシミア・ヒルには、私を超お嬢様学校<セント・マーガレット>の教壇に立たせてくれた女教師ジーナ・マリーの邸宅があった・・・。

 東のニュー・ブライトンの港町では、仲間とバーベキューしたっけ・・・。

 近郊のマウント・ハットでは、ジーパンでスキーを楽しんだ。

 滞在の最後には、売春宿で女を買った。

 そのお嬢の名前は<フォンダ・ポンダ>で、その娘は「日本のHONDAと似た名前でしょ^^」と笑っていたものだ・・・。

 そんな街が、現在、機能不全に陥っている・・・。

   ◇

 少し、写真を載せておきます。

 今、忙しくて、スキャナーで写真を取り込む余裕がないので、写真を携帯で撮った写真でスマソ^^;


   カテドラル・スクエアでの<マーディ・グラス>の一風景。右手奥の建物、地震のニュースで見たでしょ?


   同じくカテドラル・スクエアに隣接する映画館です。『美女と野獣』の看板。


   ホームステイしていたクライストチャーチ近郊のシャーリー地区の公園。


   クライスト・チャーチ郊外。線路の上でパチリ!(私は右)


   箱庭のような港町。


   マウント・ハットのスキー場。私は上手く転ばないので、ジーパンでも平気!(私は真ん中)

   ◇

 地震を身近に思うには、その思い出が、あまりにも時間的に遠く、実際の彼の地の距離も、地球の裏側ほどに遠い。

 しかし、こうして思い出すに、「いい国」だったと心から思う。

 思い出は、人の心の中に、「今」に生きる町を想起させる。

 一刻も早い、遭難者の救助と、町の復旧を願います・・・。

                                                    (2011/02/23)
コメント (5)
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