ブラザーができた。
交通事故で負った怪我の治療のために行った病院の待合室でのことだった。
右のおでこを腫らした黒人さんと目が合った。
ウヮッツァプンド?(どうしたんでい?)と声をかけた。
黒人は、それなりに流暢な日本語で、「スマホをしながら街を歩いていたら、電柱にぶつかった」と答えた。
そして、「日本は電柱が多すぎるよ」と言った。
それは違うな。
スマートフォンをしながら歩いていた君が悪い。
電柱さんは、ちっとも悪くない。
電柱さんは、私たちが生まれる前からそこにいるんだ。
彼はマエストロだ。
電柱さんをもっと尊敬しなければならない。
私がそう言うと、「すげえな」と言って、黒人さんは私に頭を下げた。
そして、「終わったら、カフェでお茶しませんか?」と言った。
断る理由がなかったので、国立駅近くのカフェに行った。
名刺を渡された。
「ジェームズ・テイラー」と書いてあった。
(昔、そんな歌手がいたような記憶があった)
ジェームズは、生粋の黒人という感じではなく白人の血が少し混じっているようだった。
「祖母がフランス人です」とジェームズは言った。
国籍はイギリス。
3年半ほど前に、日本に来たらしい。
ロンドンでは、旅行会社に勤めていた。
アジア旅行の企画を担当していた。
そして、4年半ほど前に、はじめて日本に来たという。
いま日本でも旅行会社に勤めていると言った。
身長は私と同じくらいだが、筋肉質なので、でかく見えた。
きっとゴスペルが上手いだろうな、と勝手に思った。
日本に来たのは、30歳のときだった。
そのときジェームズは、衝撃を受けた。
初めて訪問した日本で、パスポートなどが入ったバッグをなくしたとき、そのバッグが無事に帰ってきたのが、とてもマーヴェラスだったと感激した。
「だって、他の国だったらありえないから!」
そして、日本の子どもたちの親しみやすい笑顔にも惹かれたという。
「僕は色んなアジアやヨーロッパの国の子どもたちを見てきたけど、あんなに親しみやすい子どもはいないよ。イギリスの子どもなんて、大人を皮肉な顔で見つめるだけだからね。ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ(30歳以上を信じちゃいけん)を彼らは、子どものときから実践しているんだよ」
「だけどね、なんで、日本の子どもたちは、カメラを向けると必ずピースサインをするんだろうね。あれは特殊すぎて、理解できないよ」とジェームズが言った。
ちっともおかしくないだろう。
たとえば、中指だけを出したら、相手に失礼に当たるだろ。
だから、日本人は中指の他に人差し指を出すんだよ。
それが、平和へのアピールだ。
私がそう言うと、ジェームスは、最初はキョトンとしていたが、手を叩いて喜んでくれた。
そして、私の両肩を叩いた。
(馴れ馴れしいんだよ)
「でもね」とジェームズが言う。
「他にも理解できないことが僕にはあるんだよね」
「路上の喫煙には、すごい規制があるのに、たとえばカフェとかお店とかでの分煙、禁煙は徹底されていないよね。密閉された場所での喫煙は、他の国と比べて日本は甘い気がするんだ」
それはきっと、日本の政治家や官僚が、喫煙率が高いから、政策的に後回しにされているんだと思う。
煙草に関しては、外国はエキセントリックに規制するけど、日本では逆の意味のエキセントリックで、「煙草くらいはいいだろう」という反発が国民の間にあるんじゃないだろうか。
そもそも煙草産業は、「日本専売公社」という国が主体の会社だった。
日本は、太古から「主上(おかみ)」のすることに盲目的に従う風潮があった。
だから、国が主体の政策に、盲目的に従う風潮がある。
いまは、「日本専売公社」は「日本たばこ産業」になったが、母体は変わらないと国民は思っているのかもしれない。
つまり「主上(おかみ)」がすることだから、目くじら立てるなよ、という空気があるのではないか。
煙草を吸う権利は、世界中の人々に等しくある。
それぞれの喫煙事情も国によって違う。
ジェームズと私は吸わないが、それぞれが納得して吸っているなら、マナーさえ守れば、いいのではないだろうか。
そんな私の意見に、ジェームズは納得がいかないようだったが、そのあと突然ジェームズが爆弾を落としたのだ。
「僕、8月に結婚するんです。モモコさんです。結婚式はしないですけど、レストランを借りて、9月にパーティを開きます。パーティにmatsuさん、来てくれますよね」
え?
会ったばかりなのに、結婚パーティ?
「時間は、関係ないでしょ」とジェームズに言われた。
「だって、僕たち、今日からブラザーだから」
え?
ブラザーって、そういう風に使うの?
俺、あんたより、30歳近く年上だけど。
それで、ブラザー?
「イエス、ブラザー」と言われた。
「アニキ」ってこと?
「そうだね」と頷かれた。
このとき、ジェームズとブラザーになった。
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