日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄氏のことを書こうと思う。
野茂氏の前に、メジャーリーガーになった日本人がいたが、その人は自分の意志でなったのではなく、所属球団の意向で米国に野球留学していたとき、たまたまメジャーに昇格した。
だから、自分の意志でメジャーに挑戦した野茂氏とは、かなり様相が異なる。
どちらも先駆者ではあるが、確かな軌跡を後の人に残したのは野茂氏だ。
その野茂氏がメジャーに挑戦するとき、一悶着あった。
その詳しい事情は憶測としての記事は読んだが、本当の事情は知らない。
ただ、野茂氏が「任意引退」という形で、選手として日本球界に復帰する道を閉ざされた状態で海を渡ったことだけは知っていた。
そのとき、日本プロ野球機構や球団関係者、他球団が、野茂氏を批難した。
そして、それに追随する形で、マスコミも野茂氏を叩いた。
「あの程度で、メジャーリーグで通用するわけがない」
野球に詳しい著名人たちも「無謀だ」と野茂氏の挑戦を責めた。
野球ファンたちも野茂氏を責めた。
人の意見に流されない野茂氏のコアなファンだけが、野茂氏の挑戦を支持した。
当時の私の印象としては、後ろから大量の石を投げつけられるようにして、海を渡った思いが強い。
その後、野茂氏がマイナーリーグから這い上がって、メジャーでも通用することがわかったとき、あからさまな手のひら返しがあった。
しかし、それは感情論でしか事象を判断できない幼稚なスポーツマスコミの常態だから、想定通りというしかない。
だが、私はいつも思うのだ。
なぜ日本人はいつも「異端の人」を叩くのかと。
組織に反抗した人がいたとする。
その場合、当然、その組織は反抗者を叩く。
ただ、それは、組織のあり方としては理解できる。
もともと強固な組織などというものはない。
すべての組織が、もろいものだと私は思っている。
中国共産党が、人民を理不尽に締め付けるのは、組織が少しでも綻んだら、取り返しがつかなくなるからだ(人口が多すぎるからだろうか)。
軍隊なども、必要以上に規律を厳しくして、組織のもろい部分が表に出ないようにする。
そうしないと、戦場に立てないからだ。
その方法が正しいとは思えないが、組織を維持する人には、必要なことなのだろう。
ただ、私がいつも不思議に思うのは、その組織の一員でもないのに、外部の人間までが便乗して「異端の人」を叩くことだ。
その理屈が、私にはわからない。
組織に楯突く人を、自分が組織の一員だと感情移入して叩いているのだろうか。
しかし、外部の人に組織の内部のことなどわからないだろう。
わからないのに、なぜ叩く?
話は飛ぶが、江戸時代に「五人組制度」というのがあった。
江戸の街を5人一組ずつに組織して、その中の長(おさ)が、他の人を管理する。
その中の一人でも、御上(おかみ)に楯突く人を出したら、全員が「連帯責任」で処分される。
だから、そうならないように、お互いが監視をし合って、「不届きもの」を出さないようにする。
要するに、「監視社会」「スパイ社会」だ。
専門家などの意見によると、同時代の世界の都市より、江戸は住みやすかったという。
たしかに、自分は人と同じで構わない、何ものにも逆らわない、自己主張しないという協調性のある人には住みやすかったかもしれない。
ただ、逆らわない、というのは、おのれの個性を殺すことだ。
それが、本当に住みやすい社会なのかどうかは、価値観の違いで変わってくるだろう。
私は、イヤだ。
だから、フリーランスの道を選んだ。
多くの江戸人は、監視されることに慣れた。
そして、そのDNAが「異端の人」を弾き出すシステムを作り、いまも「炎上」という形で引き継がれていると私は思っている。
それが、少しだけ違う空気を持った人をイジメる構図を作った。
野茂英雄氏は、組織に楯突いた結果、「監視社会」のDNAを持った人たちに叩かれた。
しかし、野茂氏は、違う文化を持った国で実績を残し、「異端の人」のまま成功した。
それは、画期的なことだったと思う。
神奈川県で、ある少年が同級生に虐められ、大金を強奪された。
虐める側の人間にとって、彼はきっと「異端の人」だったのだろう。
だから、絶えず監視し、虐めてもいい対象に彼を選んだ。
しかし、彼は「異端の人」だったがゆえに、死を選ばなかった。
どれほど成熟した社会でも、イジメは必ず起こる。
弱いものは、自分より弱いものを見つけ出して、自分を守ろうとするからだ。
ただ、今回のように、イジメを正面から受け止めて、くじけない「異端のヒーロー」もいる。
そんな人が増えてきたら、イジメはなくならなくとも、弱さを克服する人は増えるかもしれない、と私はささやかな希望を持っている。
日本球界やマスコミ、野球ファンから、露骨なイジメを受けた英雄は、海を渡って「ヒデオ ノモ」というヒーローになった。
挫折を怖がらなかったヒーローは、後に続く人のために、太い道筋を作った。
そして、その太い道をさらに太くしたヒーローは、何らかの批判を受けながらも異国で実力を見せつけたイチロー スズキ氏であり、ヒデキ マツイ氏、ヒロキ クロダ氏だった。
誰からも批判を受けない才能あふれる「異端の人」ではない「二刀流」が、いま日本の球界にいる。
その「二刀流」が、先人たちがつけた道を規格外の能力で太くしてくれたなら、「異端のヒーロー」の功績は、さらに大きなものとなるだろう。
野茂氏の前に、メジャーリーガーになった日本人がいたが、その人は自分の意志でなったのではなく、所属球団の意向で米国に野球留学していたとき、たまたまメジャーに昇格した。
だから、自分の意志でメジャーに挑戦した野茂氏とは、かなり様相が異なる。
どちらも先駆者ではあるが、確かな軌跡を後の人に残したのは野茂氏だ。
その野茂氏がメジャーに挑戦するとき、一悶着あった。
その詳しい事情は憶測としての記事は読んだが、本当の事情は知らない。
ただ、野茂氏が「任意引退」という形で、選手として日本球界に復帰する道を閉ざされた状態で海を渡ったことだけは知っていた。
そのとき、日本プロ野球機構や球団関係者、他球団が、野茂氏を批難した。
そして、それに追随する形で、マスコミも野茂氏を叩いた。
「あの程度で、メジャーリーグで通用するわけがない」
野球に詳しい著名人たちも「無謀だ」と野茂氏の挑戦を責めた。
野球ファンたちも野茂氏を責めた。
人の意見に流されない野茂氏のコアなファンだけが、野茂氏の挑戦を支持した。
当時の私の印象としては、後ろから大量の石を投げつけられるようにして、海を渡った思いが強い。
その後、野茂氏がマイナーリーグから這い上がって、メジャーでも通用することがわかったとき、あからさまな手のひら返しがあった。
しかし、それは感情論でしか事象を判断できない幼稚なスポーツマスコミの常態だから、想定通りというしかない。
だが、私はいつも思うのだ。
なぜ日本人はいつも「異端の人」を叩くのかと。
組織に反抗した人がいたとする。
その場合、当然、その組織は反抗者を叩く。
ただ、それは、組織のあり方としては理解できる。
もともと強固な組織などというものはない。
すべての組織が、もろいものだと私は思っている。
中国共産党が、人民を理不尽に締め付けるのは、組織が少しでも綻んだら、取り返しがつかなくなるからだ(人口が多すぎるからだろうか)。
軍隊なども、必要以上に規律を厳しくして、組織のもろい部分が表に出ないようにする。
そうしないと、戦場に立てないからだ。
その方法が正しいとは思えないが、組織を維持する人には、必要なことなのだろう。
ただ、私がいつも不思議に思うのは、その組織の一員でもないのに、外部の人間までが便乗して「異端の人」を叩くことだ。
その理屈が、私にはわからない。
組織に楯突く人を、自分が組織の一員だと感情移入して叩いているのだろうか。
しかし、外部の人に組織の内部のことなどわからないだろう。
わからないのに、なぜ叩く?
話は飛ぶが、江戸時代に「五人組制度」というのがあった。
江戸の街を5人一組ずつに組織して、その中の長(おさ)が、他の人を管理する。
その中の一人でも、御上(おかみ)に楯突く人を出したら、全員が「連帯責任」で処分される。
だから、そうならないように、お互いが監視をし合って、「不届きもの」を出さないようにする。
要するに、「監視社会」「スパイ社会」だ。
専門家などの意見によると、同時代の世界の都市より、江戸は住みやすかったという。
たしかに、自分は人と同じで構わない、何ものにも逆らわない、自己主張しないという協調性のある人には住みやすかったかもしれない。
ただ、逆らわない、というのは、おのれの個性を殺すことだ。
それが、本当に住みやすい社会なのかどうかは、価値観の違いで変わってくるだろう。
私は、イヤだ。
だから、フリーランスの道を選んだ。
多くの江戸人は、監視されることに慣れた。
そして、そのDNAが「異端の人」を弾き出すシステムを作り、いまも「炎上」という形で引き継がれていると私は思っている。
それが、少しだけ違う空気を持った人をイジメる構図を作った。
野茂英雄氏は、組織に楯突いた結果、「監視社会」のDNAを持った人たちに叩かれた。
しかし、野茂氏は、違う文化を持った国で実績を残し、「異端の人」のまま成功した。
それは、画期的なことだったと思う。
神奈川県で、ある少年が同級生に虐められ、大金を強奪された。
虐める側の人間にとって、彼はきっと「異端の人」だったのだろう。
だから、絶えず監視し、虐めてもいい対象に彼を選んだ。
しかし、彼は「異端の人」だったがゆえに、死を選ばなかった。
どれほど成熟した社会でも、イジメは必ず起こる。
弱いものは、自分より弱いものを見つけ出して、自分を守ろうとするからだ。
ただ、今回のように、イジメを正面から受け止めて、くじけない「異端のヒーロー」もいる。
そんな人が増えてきたら、イジメはなくならなくとも、弱さを克服する人は増えるかもしれない、と私はささやかな希望を持っている。
日本球界やマスコミ、野球ファンから、露骨なイジメを受けた英雄は、海を渡って「ヒデオ ノモ」というヒーローになった。
挫折を怖がらなかったヒーローは、後に続く人のために、太い道筋を作った。
そして、その太い道をさらに太くしたヒーローは、何らかの批判を受けながらも異国で実力を見せつけたイチロー スズキ氏であり、ヒデキ マツイ氏、ヒロキ クロダ氏だった。
誰からも批判を受けない才能あふれる「異端の人」ではない「二刀流」が、いま日本の球界にいる。
その「二刀流」が、先人たちがつけた道を規格外の能力で太くしてくれたなら、「異端のヒーロー」の功績は、さらに大きなものとなるだろう。