リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

クラクション

2016-08-14 08:18:00 | オヤジの日記
右耳が聞こえない。
右目が極端な弱視である。

だからと言うわけではないが、ほんの少しだけ障害者の方たちの気持ちがわかる。

・・・と偉そうに言っても、私の場合、日常生活に苦労はしていない。
パソコンを使って、自宅で仕事をしていても、不便に感じることはほとんどない。
きっと、気持ちをわかったつもりでいるだけだと思う。

私が自分から宣言しない限り、右耳と右目が不自由なことなど、誰もわからない。
そして、本当に誰も知らない。

わざわざ宣言する意味がないからだ(ここでは宣言したが・・・まわりが誰も読まないということを前提に書いている)。

家族は知っているが、家族は私に気を使うことなく接してくれていた。
ヨメなどは、毎日わざわざ私の聞こえない右側に立って話しかけるくらいだから、おそらく意識していないのだと思う。


先日、週に何回か、中央線武蔵境駅に向かう道で出くわすご老人が、トラックの運転手に抗議をしている場面に遭遇した。
ご老人が運転手に「クラクションがうるさい」と、少し不自由を感じさせる発声で抗議しているところだった。

ご老人は、どこが不自由なのかはわからないが、三輪の自転車にいつも乗っていた。
その三輪自転車のスピードが、感心するくらい遅いのである。
そして、両手両足が、とても細かった。
ただ、後ろから見ると、ご老人が一生懸命こいでいることは、端から見ても感じ取れた。

暑いときも寒いときも、ご老人はいつも一生懸命に自転車をこいでいた。

自転車の後ろ籠には、伸縮式の杖と黄色いエコバッグがいつも置かれていた。
おそらく、一人暮らしで、毎日買い物に出かけていると勝手に推測した。

歩道のない道。
だから、ご老人は車道を走るしかなかった。
狭い車道だ。

心ない人は、もしかしたら、その姿を見て「邪魔だ」と思うかもしれない。
健常者の数パーセントは、「勝手な生き物」だ。
「健常であることのありがたみ」を知らない。

だから、トラックの運転手も、クラクションをしつこく鳴らして、ご老人に意地悪をしたのだろうと思った。

そこで、ご老人が怒った。

私は勝手にそう思った。

しかし、それは、私の早とちりだった。

トラックの運転手さんが、ご老人の後ろ籠を指さして言ったのだ。
「籠の一部が破れて、杖が落ちそうになっていますよ」

確かに、後ろ籠を見てみると、杖がほとんど落ちかかっていた。
それを運転手さんは、ご老人に知らせるために、クラクションを鳴らしたのである。

多くの人は、ご老人の杖が落ちようが落ちまいが関係ないと思って、知らんぷりをしたと思う。
私も教えないかもしれない。

だが、運転手さんは、それをクラクションを鳴らすことで知らせようとした。

そして、自分のハンカチを籠の穴の空いた部分に当てて、ガムテープで止めることまでしたのだ。

「これは応急処置ですから、自転車屋で直してもらうといいですよ」と運転手さんが、しゃがみながら、ご老人の目を覗き込んだ。

ご老人は、コックリとうなずいて、「ああ・・・悪いね。本当に悪かったね。ありがとう」と、声を無理に絞り出すようにして頭を下げた。
それから、ご老人は、またゆっくりと自転車を動かしはじめた。


トラックは、そのスピードに合わせて、ゆっくりと進んだ。
ご老人がT字路を左に曲がるまで、5分近く、気長にトラックはご老人の自転車の後をついていった。

トラックが大きな通りを左に回ってご老人を追い越すとき、またクラクションを短く鳴らした。
おそらく、ご老人に向けて鳴らしたのだと思う。

私には、その音が、「頑張ってください」に聞こえた。


そんな気持ちのいいクラクションの音を聞いたのは、初めてだった。