白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(291)松下昇<情況への発言>

2018-01-26 10:32:22 | 思い出
松下昇<情況への発言>

 1969年2月 このような文章が神戸大学教養学部掲示板に貼られた
書いたのは同大学教養部でドイツ語を教えていた松下昇

<神戸大学教養部>の全ての構成員諸君!
このストを媒介にして何をどのように変革するのか、そして持続、拡大する方法は何か、について一人ひとり表現せよ
少なくとも、この実現の第一歩が大衆的に確認されるまで<私>は旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働(授業、試験等)を放棄する


この文章は彼が講師を兼ねていた神戸外大、それに僕がいた関学(講師)にも同じ内容のものが貼られたのである 
彼がそれから実際やったこと 教授会欠席、授業や試験の拒否 又試験を受けた全員に0点をつけた 教室の黒板にペンキで落書きなど その一つ一つが彼の言う「表現」だった

我々が渦中にいた学生運動のさ中 学生にシンパシーを持つ教授たちは多くいたが その多くは支持表明を出したり 金銭のカンパで済ます<戦いの傍らで支持する>者がほとんどだった 実際こういうことがあった

関学経済学部のバリケード封鎖した時占拠した経済学部教授室棟のKというドイツ語教授の部屋に入った時 「学生諸君へカンパ」とかいた大きな茶封筒に5万円 それと留学時代からずーっと隠し持っていたであろうクラシックなドイツ製エロ写真が数枚入っていた 
僕はこの教授のドイツ語が苦手だったが一遍に好きになった

松下昇のように これほど自ら闘争の持続を呼びかけるなどする教授は珍しく案の定当然のように懲戒免職処分を受けた

松下昇 神戸大学懲戒処分と同じように処分を受けた教授、講師 助手
小林忠太郎 69年 日大解雇処分
宮内 康  71年 東京理科大解雇処分
河村侑二  71年 関東学院大解雇処分
菅谷規矩雄 72年 東京都立大免職
山元光代  73年 徳島大学懲戒免職
坂本守信  73年  岡山大懲戒免職
萩原 勝  70年 岡山大停職5か月
佐藤信行  75年 新潟大 懲戒戒告
竹本信弘  73年 京都大分限処分
この竹本信弘は別名滝田修 のち逮捕されるが彼を追っかけたドキュメンタリー映画「パルチザン前史」(土本典昭監督1969)はドキュメンタリー映画の大傑作だ
大阪市大バリケード陥落時の放水を浴びながらの「あおげばとうとし」を歌う場面は秀一だ

松下昇
彼は東大在学中共産主義者同盟〈ブント)に加入 60年安保闘争では6・15国会突入を敢行 先頭は虐殺された樺美智子 彼は二列目だった 61年大学院入学 63年大学院終了後神戸大学へ勤務 64年結婚 65年より吉本隆明が主宰する雑誌「試行」に「六甲」を連載 66年頃から文章に<>や( )がやたらに付くようになる 我々は「試行」や「あるかんわ」で彼の文章を読み影響を受けていた 
僕の文章にやたらに「 」が付くのはそのせいだ

1996年(平成8年) 5月22日の毎日新聞朝刊の記事
60年代後半から70年にかけて神戸大学教養部の「造反教師」として知られた元講師(ドイツ語)松下昇氏が今月6日午前10時15分頃 神戸市の道路上で急性心不全のため亡くなった 60歳だった 数々の控訴中の裁判をかかえ 大震災後病気になった妻を抱えての死であった

先日玉川で入水自殺した西部遭も東大時代ブントに加入していたが 60年安保後転向して復学 卒業後64年東大大学院に進学 東大教養学部助教授 カルフォルニア大やケンブリッジ大と留学後保守論客者としてデヴュー 中沢新一を助教授に推薦するが反対され東大を辞職 評論活動や「朝まで生テレビ」の右派論客として活躍 

(1月21日西部邁氏の自殺記事を受けて)