天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

1954年韓国で兵士から大歓迎されたマリリンモンローを新夫ジョーディマジオは包容心で理解すべきだった

2010-12-08 22:38:15 | 日記
今日の日記は、1954年2月韓国に駐留しているアメリカ軍兵士を慰問した『PLAYBOY』誌「今月の恋人」のマリリン・モンローのことです。添付した写真は、大観衆の兵士声援に応え、ステージで歌うマリリン・モンローです。
マリリン・モンローは、1954年1月に元ニューヨーク・ヤンキースの野球選手ジョー・ディマジオと結婚しました。そして、2月になってからディマジオの仕事を兼ねた新婚旅行で日本を初めて訪れます。その時、戦争は前年停戦になり休戦状態ですが、まだ政情不安定な韓国に駐留するアメリカ軍兵士の為に、慰問依頼が彼女に入ります。ディマジオは彼女に「行くな」と言い反対しました。でも、マリリン・モンローは意を決して戦争最前線の基地に出かけます。そして、彼女は米軍のヘリコプター、ジープを乗り継いで各駐屯地を回り、多くの兵士たちを前にして歌いました。
その時のことを、マリリン・モンローは次のように語っています。私の愛蔵書『モンロー・トーク』(フウス・ライテルス編 関美冬訳)から、その彼女の言葉を引用します。
『信じられなかったわ。何千人ものの人達が私に声援を送ってくれた。怖かったけど、またやりたい!朝鮮の駐屯部隊の為に歌を歌ったあの時まで、あれほどたくさんもらったファンレターが本物だと信じたことはなかったの。すごかった!私を大歓迎してくれたの!』
また、後日彼女がアメリカ・カリフォルニア州のペンドルトン基地を慰問した時、ある記者が「バストが本物じゃないと言われた事は?」と、とても意地悪な質問を彼女に投げかけました。そのエピソードに関して、マリリン・モンローは次のように語っています。
『「もちろんあるわ!他の女優に言われたの。」私はこう答えたの。さらに「私をもっとよく御存知の方達は、本物だって事をよく知ってるわ。」と。そういうことなの。「あなた達男は、いつもセーターを着た女の子に口笛を吹くけど、そのセーターを脱がしたら何があるかしら」この記者はなぜかこの発言に参ってしまったの。でも、他の兵隊さん達はたいへんな歓声をあげたわ!』
彼女は結婚しても、全世界すべての男性(特に当時は徴兵制があったアメリカ軍の大勢の若い兵士)の「夢の恋人」だったのです。そのことを結婚したジョー・ディマジオは、もっと理解してあげるべきでした。夫のジョー・ディマジオは、彼女を自分だけで独占できると思っていたのでしょう。だから、彼はマリリン・モンローの美しさ・素晴らしさを独り占めできない苛立ちから、彼女のセクシーな行動にまで、八つ当たりを始めます。
そして、映画出演している彼女に、まったく興味を持たなくなります。その年に製作されていた映画『七年目の浮気』での、地下鉄からの風で巻き上がった彼女のスカートシーンまで、ジョー・ディマジオは強い不快感を抱いていたのです。
結局、この二人の関係は、うまくいかなくなって、その年の10月、結婚生活にピリウドを打ちました。たった9か月のとても短い夫婦生活でした。マリリン・モンローはジョー・ディマジオを評して『仕事をするのも嫌がった。あんな気難しい男、他に知らないわ!』と歎いています。ジョー・ディマジオに「もっと包容力を持て!」と誰も助言しなかったのでしょうか?でも、それは、至極当然なことかも知れません。
だって、マリリン・モンローは、全世界の男性「みんなの恋人」だったのだから。
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