天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ハンセン病を患った大谷吉継は、自身飲んだ茶碗を口にし飲み干した石田三成を、終生の友と糸電話で伝える

2010-10-10 20:42:05 | 日記
今日の続編日記は、古今東西の名作文学・映画で語られている友の深い絆「心には心で伝える:見えない糸電話」の具体的な二つ目の実例のことです。
以下に、私の人生信条『男の美学』を掲載します。
Ⅰ.男は決して嘘をつかない。(武士に一分はあっても、二言はない。)しかし、時として男は真実を隠す例外も有り。(例)『南部坂 雪の別れ』で『瑤泉院(阿久里)』に対する『大石内蔵助良雄』
Ⅱ.男の喧嘩は素手でやる。(お互いに対等な条件で勝負する。)(例)男の理想像を描いた名作映画『静かなる男』(1952年アメリカ製作)での主人公『ジョン・ウェイン』
Ⅲ.男は決して友を裏切らない。(例)『関ケ原の戦い』での『石田治部少輔三成』に対する『大谷刑部少輔吉継』 『銀河英雄伝説』での同盟軍リーダー『ヤン・ウェンリー』に対する『ワルター・フォン・シェーンコップ』
Ⅳ.男は対戦相手に義を見つければ、その勝負の勝ちを相手に譲る。(例)『安宅の関』での義経・弁慶主従の『弁慶』に対する関守『富樫』 『聖闘士星矢(十二宮編)』での『ペガサス星矢』に対する金牛宮・黄金聖闘士『アルデバラン』
Ⅴ.女子と小人は養い難し、されど男はどんな仕打ちを受けても、弱音を吐かない。(例)あまりに現実的すぎて、特定の人物を挙げることは不可能 
このⅠ.の項目の大石内蔵助良雄を昨日一つ目の実例として私は紹介しました。今日は、「Ⅲ.男は決して友を裏切らない。」での『大谷刑部少輔吉継』をその友の深い絆「心には心で伝える:見えない糸電話」の具体的な二つ目の実例として紹介します。
戦国大名・大谷刑部少輔吉継は、壮年になってハンセン病を患ってしまい、いつも絹の白頭巾で顔を隠していました。この大谷吉継と石田三成が一緒に茶会に招かれた時のとても有名な逸話があります。
茶会の席では、一つの茶碗で茶を皆で廻し飲みします。ハンセン病だった吉継の飲んだ茶碗は、廻ってきても皆が嫌って口をつけなかったのです。しかし、ひとり石田三成だけが、吉継が口にした茶をぐいと飲み干してしまいます。その光景を見た大谷吉継は、この人なら終生の友になれると意を強くしたとの史実が伝わっています。
この茶会での二人の関係は、私が言及した友への深い絆「心には心で伝える:見えない糸電話」を、大谷吉継が石田三成に伝えた端的な実例です。
実際その後1600年、大谷吉継は石田三成の大老・徳川家康を撃つ無謀な挙兵に、一度は強く反対します。しかし、終生の友である石田三成の深い義ある決意を知り、三成と行動を共にし死することを、吉継は潔く決心します。添付した写真は、2000年製作NHK大河ドラマ『葵 徳川三代』での大谷吉継(細川俊之)と石田三成(江守徹)です。
このテレビ映画では、関ケ原の戦いで敗れた大谷吉継は乗っていた輿を降りて、供に介錯をするように命じ、最後の言葉を叫びます。『介錯したら、直ちに首を埋めよ!この面相を晒すは恥辱じゃ!憎っくきは小早川秀秋、三年のうちに祟りをなしてくれん!』とても感動的な名シーンでした。
実際、裏切った小早川秀秋の末路は、大谷吉継の予言した通りとても悲惨なものとなりました。何時の時代でも、正義や真実に反した人の道に外れた裏切り行為には、いつの日か?必ず天誅が下るのです。
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