天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

塩野七生著『十字軍物語2』談:国王ボードワンがライ病と知りながら近づくことを嫌がる者一人もいなかった

2011-08-29 20:56:47 | 日記
今日の日記は、トルコ旅行後読んだ塩野七生著『十字軍物語2』(2011年3月・新潮社刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、この十字軍物語1の続編読書を、”トルコ旅行の後にと”この著書が出版された時から決めていました。やはり、そこに登場する中東トルコの風土を直に触れてからのほうが、読書後得るものが多いと私が思ったからです。その思惑通り、今回の旅行訪問先の一つ、エフェソス(注:フランス国王ルイ7世が第二次十字軍遠征の途中で、1147年小アジアのエフェソスでキリスト生誕祭を祝う)が登場しています。
また、この著書では、私が”男の美学”第三番目に挙げた、<3.男は決して友を裏切らない。(例)『関ケ原の戦い』での『石田治部少輔三成』に対する『大谷刑部少輔吉継』 『銀河英雄伝説』での同盟軍リーダー『ヤン・ウェンリー』に対する『ワルター・フォン・シェーンコップ』>での実例人物『大谷刑部少輔吉継』に匹敵するイェルサレムの国王・癩王ボードワン4世が登場しています。そして、その彼に関する塩野七生氏の記述に、私は深く感銘しました。以下に、その著書からその記述を引用・掲載します。
『リーダーにとっての第一条件は、自分がリーダーであることを強く自覚していること、にある。・・ライ病をかかえた少年の王を迎えた人々がいだいていた同情と不安は、少しずつ、感動に変わっていったのである。人間世界には、悪賢い人間は多くいる。この資質が、その人物が率いる共同体のために使われるか、それとも自分個人のためにしか使われないかの別はあっても、悪賢い人間としかない人は多い。だからこそ人間は、「義に殉ずる人」を前にすると、感動するのである。王国内の封建領主も家臣も兵士たちも、イェルサレムの王になったボードワンがライ病を病んでいるのは知っていながら、その彼に近づくことを嫌がった者は一人としていなかった。』
日本の戦国時代豊臣政権中枢にいた義の人・石田治部少輔三成とその無二の親友・大谷刑部少輔吉継(ライ病を病む)と、中世12世紀後半のイェルサレム国民・臣下と義の人・癩王ボードワン4世とは関係がまったく逆の関係ですが、後世の歴史に残したとても美しい感動はまったく同じです。
この「義に殉ずる人」のエピソードを、今日民主党の新代表に選出された野田佳彦氏に私は捧げたいです。
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