天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

沢田研二は観客少ないとドタキャンするが客4人だけの某上野ストリップSM大会興行で私は女王様に調教さる

2018-10-20 14:45:59 | 日記
今日の日記は、ストリップ劇場観劇で観客が私を含めて4人しかいなかった某上野劇場のSM大会興行の懐かしい思い出です。
今月17日歌手の沢田研二(70)が、全国ツアー「さいたまスーパーアリーナ」公演で事前に9,000人の観客動員だと聞いていたが、実際見たところ7,000人しか集まっていない事を契約違反だと言い、そのステージ公演を直前に中止しています。私は、彼をデビュー頃から知っています。このお粗末な出来事は、欧米のビートルズ旋風の追い風で、エレキギターを演奏する若いグループ・サウンズと言うだけで、若い頃から音楽界でチヤホヤされた身勝手な彼の甘えやプライドがそうさせたと、私は今強く得心しています。
”メジャー”的な彼は、観客が2,000人少ない(予定より22%少ないだけ)だけで、自身の大事な興行をドタキャンしています。こんな事は、”マイナー”的なストリップ業界では、考えられないとても信じがたい行為です。以下に、劇場観客数が90%近く少なかった、2004年4月11日から20日までの某上野ストリップ劇場(収容可能人員は50人程度か)のSM大会興行を、期間中5回鑑賞した私のステージ観劇記を紹介します。添付した写真は、その宣伝ポスターと香盤表です。
ストリップ劇場の公演演目でも、SMを題材にする踊り子さん(注:このSM大会16日に出演したお嬢は現在も現役で活躍中)もおり、ステージの一部と立派に認められています。でも、すべてのステージをSMの演目だけにするSM大会は、興行主の大きな冒険ですが、某上野劇場ではそれを実現したのです。それは、快挙と言うべき行為です。
私は、このSM趣味は全くないですが、3月21日に5万円を払ってこの劇場のVIP会員(3か月間何回も無料入場可能)になっていたので、何でも興味を持つ私(一人だけ孤軍奮闘で出演している香盤2番目お嬢の応援もあった)は、この10日間中5回観劇(全て平日の会社帰りで第3・4回目ステージだけ鑑賞)しました。
最初の12・14・16日までは、そこそこの観客(10~12人程度・SMファンは朝から入場しても第3回目頃は退場していたが)が入っていました。でも終盤の19日になると、SMファンのリピーターも少なくなって、10人を切って8人くらいになってしまいました。
そして、楽日(注:普通の公演だと踊り子さんを応援する観客が増える傾向があるが、特殊なSM大会は全く当てはまらない)になったら、第4回目ステージでは私を含めて4人しか残っていなかったのです。その為、ステージに上がってSM女王様に調教される客がおらず、私がこの興行の”常連”(香盤2番目の踊り子嬢の推薦もあった)になっていたので、生まれて初めてSM女王様に”調教”されることになりました。
SM調教といっても、裸になった上半身(注:SMファンはパンツ1枚だけだが、私は固辞しズボン着用)を荒縄で縛られて、天井から吊るされて背中を鞭で打たれ、火の付いたロウソクのロウを垂らされるだけでしたが。調教の女王様は、私に手加減をしてくれたので、鞭打ち(注:本格的な鞭ではないものを使ってくれた)もそれほど痛くなかったです。
このように、”マイナー”な興行であるストリップでは、観客が4人でも演技者と観客が共同で、ステージをお互いに盛り立てているのです。そして、歌手・沢田研二のように20%以上観客が少ないからと公演中止と言っていたら、全てのストリップ劇場は運営不可能になると、私は断言できます。
後日談ですが、SM大会2番目に出演していた踊り子嬢(既に引退済)が、私の”調教”されるシーンを楽屋袖からしっかりと見ており、その後の彼女のステージ鑑賞後ポラ写真の際、”鞭打ちされたSM愛好の〇〇〇さん”と冷やかされてしまいました。今振り返ってみれば、とても懐かしいストリップ劇場の思い出です。
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