天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

2004年晦日応援元お嬢忠告”目当つ行動控えるが大切”を私は全く無視し突っ走った過去を耳順に成り反省

2018-11-13 12:10:39 | 日記
今日の日記は、昨日の日記で私に”逃げないで!”と声かけた私が応援していた元踊り子嬢の懐かしい思い出です。昨日の日記投稿で、補足追加(注:一晩寝てある記憶が私に蘇る)があります。彼女がその言葉を私に言う前に、私に握手を求めてきた事を思い出しました。でも、私はその彼女の突然の行動に躊躇してしまい、彼女が”逃げないで!”と私を責めたのだと、今私は強く得心しました。
この私が応援していた元踊り子嬢は1995年7月1日デビューの某新宿劇場所属の大ベテランでとても素敵なストリッパーでした。私は2003年3月9日某大和劇場で彼女を初観劇以来、76回ほど劇場でお会い(注:私の最終観劇は某渋谷劇場2008年7月31日、2012年12月30日所属劇場で引退)しています。彼女の観劇履歴は、私自身の前回2009年8月までのストリップ観劇歴に、ほとんどラップしていますが、その観劇は、前半に多く集中していました。後半には同じ劇場所属の引退した踊り子嬢のトラウマが私には有り、あまり彼女のステージを見なくなってしまったからです。今当時をよく思い出すと、彼女と全く関係ない事で彼女を責めたのでは全く酷な話であると、私は強い自責の念を持っています。私は今、自身の行動を強く恥じて深く反省しています。
彼女は、自分自身の考えを持っていて応援客に全く媚びず、しっかりとした意見を持った人でした。その顕著な顕れは、2004年12月30日某上野劇場で彼女の少し遅れた誕生日プレゼントを渡した時に頂いた、ポラ写真裏側に書いた私へのコメントです。添付した写真は、裏面コメントと翌年1月3日某新宿劇場で彼女から頂いたポラ写真と年賀状です。そして、以下に、2004年12月30日楽日で頂いたポラ写真の両面コメントを掲載します。
・12月30日表面(不掲載):”お祝いに来てくれてありがとう♡30歳になっちゃいました。(笑)なかなか会わないから心配したよっ!!ダウンのコートありがとうです♡むちゃくちゃ嬉しかったです♡”
・12月30日裏面(掲載済):”うわさ話系のBBSに書いてあることに、本気で反論してはダメです。よけいにおもちゃにされるだけですよ!!それよりも、何故書かれたかを考えて、目当つ行動をひかえることが大切です。でもね、「上野に来ない」は、何の解決にもならないですよ。”
この2004年の年末時点では、ストリップ観劇歴2年しかない全く未熟な私(年齢51歳:天命を知る齢)が、ストリップ界に9年半も在籍している豊富な体験から彼女の貴重な忠告を受けていると、冷静に考えれば誰でもはっきりと分ります。
しかし、この彼女の心から忠告を私は全く無視し、ネット掲示板でハンドネーム『大和のおじさん』(注:使用していない今でも、その名はまだ”神通力”があるのか?今年9月11日に某大和劇場で応援お嬢から”大和に住んでいるの?”と言われた)を使い、応援客にムキになって反論投稿してしまいました。そして、その挙句、スト悪行応援客に、2008年3月に自宅へ不法侵入され、2009年5月にはとうとう所属会社に怪文書を出されるまでに事態が深刻化してしまいました。今考えると、彼女が忠告した2004年12月30日が、その【分岐点】になったと、私は今では痛感しています。
私も今では65歳になりました。「論語」為政にある「六十にして耳(みみ)順(したが)う」『耳順の人』になったのだと、今強く得心しています。
コメント
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