インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

田舎の可能性 ~物々交換について~

2012-05-08 05:49:37 | 経済
  寒くもなく、暑くもなく、快適に過ごせるシーズンになってきた。田舎に帰って寝ていると、カエルの声が嵐となって夜の夢の中に紛れ込んでくるようだ。田植えのシーズンであり、苗は若葉の如くすくすく成長し、あと半年後には稲穂が実るだろう。

 興味のある人はこちらへ→ 米の収穫(2010年の秋)

 ただ、両親が米をあまり食べないため(玄米食で、パンとかも「買って」食べている!)、昨年収穫した米が大量に残っている(新米がとれた時にきっちりなくなるのが理想である)。それを毎月五分の一ずつぐらい減らすとして、新米が出回ることには価値が下がるだろうから(?)、今のうちに整理整頓すべきか(出来ればこれまでと違う人に配りたい)。

 そういえば、昨年も、コメを売りさばく一環として、ミカンと物々交換した。相手は向島のみかん農家で、コメを欲しがっていたので(カネを出したくない)、米30キロとミカン75キロ(早生と遅の二回に分ける)で成立した。新鮮な農作物同士だと、物々交換というのは、非常に有効であろう。

 もともと田舎では、物々交換なるものが頻繁に行われており、たとえば、吾輩の実家では、ジャガイモ(立地上、猪に食べられるので敬遠している作物)をもらって、大根をあげたりしている。

 もっとも、それは人間関係を深めるための一環なのかもしれず、たとえタダで野菜を渡したとしても、見返りは求めていない(というか、お返しは暗黙の前提か?)。

 野菜の高騰 ~前兆か?~にあるように、実際に農家は捨てているからもったいないし、日本人の多くは根本的な所で、「全てのものをおカネにしよう、おカネを儲けよう」とか思っていない(ネイティブ・アメリカンに似ている)。

 とはいえ、何でもカネに変えようとする世の中だから、出来れば現金化したいが…、今、食料は安いのである。

 日本のコメ農業(食料については新しい仕組みが必要である)

 農産物は、いかにして現金になるか?(昔の稚拙な発想?)  

 そういえば、福島の原発とかの影響で、アメリカがコメの生産量を増やすようだ。4年以上前、『エコノミスト』で「日本が餓え死にする、らしい。」という内容に触れたが、いざという時には食料が入ってこない可能性が高い。

 物々交換というのも、生命のあり方とか、日本のあり方とか、そういう別次元の問題意識から、発展していくのかもしれない。

 調べてみると、過去にもいろいろ書いていたのだわい(googleですぐ検索できたぞ)

  農村の物々交換経済について考える(ラマダーンの長い夜)で言われる通り、田舎と都会の生活は、おカネでは比較ができません(イイ所だけ取りたいですね)