田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

高校総体ボクシング決勝戦を観戦!

2023-08-05 11:41:07 | 講演・講義・フォーラム等
 壮絶な打ち合いをする戦いもあれば、華麗なアウトボクシングに徹する戦いもあった。高校生の試合らしく、仲間を懸命に応援する声が会場を圧する中で、高校生ボクサーたちの熱い戦いが展開された。
     
 今年の全国高等学校総合体育大会(高校総体)は札幌市をはじめ全道各地が会場となって各種競技が実施されている。スポーツ好きを自認する私としてはできるだけ会場に駆けつけて観戦したいと思っていたのだが、なかなか都合がつかなかった。
 ようやくスケジュールの都合がついたので、昨日が最終日だったボクシング競技の観戦に会場の北ガスアリーナ札幌46に出かけた。ボクシング競技は事前に事務局に問い合わせたところ、午前11時から各階級の決勝戦が実施されると聞いていたのだ。
  
  ※ 会場内には各高校のクラブ旗が全面に張り巡らされていた。
 昨日も札幌は昨日も真夏日(31℃)だったが、会場は空調が効いていて快適な観戦環境だった。そんな中、私は幸いにもリングサイドの席に着くことができた。 
  
  ※ 女子選手の試合の様子です。
 最初はなんと予想もしていなかった女子選手による決勝戦が確か4階級ほど実施された。「女の子がボクシングなんて…」などという考え方はすでに時代遅れなのかもしれない。女子高校生ボクサーたちも栄冠を目ざして懸命に戦っていた。ただ、大会事務局から出されている大会レザルトに男子選手の結果は掲載されているのに、女子選手に関する結果が一切掲載されていなかったのはどうしたことか?
 ある女子選手の戦いが始まった時、私の隣に座っていた男性が突然大きな声で声援を始めた。なんと後で聞くとリングに上がっていた女子選手の父親だということだった。その対戦相手は北海道からは唯一決勝戦まで勝ち上がった札幌工業高校の選手だった。結果は私の隣の父親が歓喜に沸いた戦いだった。
  
  ※ こちらは男子選手の様子ですが、さすがにサマになっています。
 女子選手の戦いに比べると、男子選手の戦いは迫力が断然違った。体重の軽い順から、ピン、ライトフライ、フライ、バンタム、ライト、ライトウェルター、ウェルター、ミドル、と8つの階級に分かれ次々と決勝戦が行われた。前述したように男子の北海道代表は決勝戦前に敗退してしまったようで、誰一人として決勝戦のリングには上がってこなかったことは少し寂しかった。
  
  ※ 仲間を懸命に応援するクラブの同僚たちです。
 アマチュアの戦いはわずか3ラウンド(1ラウンド3分間)なので目が離せない。そうした試合が間隔を置かず次々と展開されるので、観戦する側としては退屈しない。
  
  ※ ラウンド間にトレーナー(教員)のアドバイスを受ける選手です。
 プロの試合と違い、ヘッドギアを付け、上半身にはシャツを纏っているために危険は感じないが、それでも体重が重いクラスになると迫力が十分に伝わってきた。
 実際、ライト級、最も重いミドル級の試合では、プロの試合ではKO勝ちに相当するRSC(レフリーストップコンテスト)の試合があった。なお、RSCは選手がノックアウトされるのではなく、レフリーが選手の危険な状態を察知し試合をストップさせる制度である。
 決勝戦の8試合を観戦していて、私から見て不可解と思える判定が少なくとも2試合あった。まあ、素人の私が言っているのだから、素人の戯言と受け取ってもらいたいのだが、特にウェルター級の試合は、青森の選手が徹底的なアウトボクシングを展開した。
   ※ 私が疑問を感じた試合。左の青シャツが青森の選手です。いかにも俊敏そうです。
 長い手足と俊敏な身体能力を使って相手を翻弄していたように映った。サウスポーでありながら使う手は右手一本でジャブを繰り返し突き出しては、直ぐに距離をとって相手選手の反撃を防ぐという戦法に徹していた。青森の選手はほとんど相手のパンチを受けていないように見えた。ただ、彼は利き腕の左手を故障していたのか全く使わなかった。  
 近くに座っていたボクシング通らしき人が「これは問題なく青森だね」と語っていたのだが、判定は相手の新潟の選手に上がった。しかも5人の審判全てが新潟の選手を支持していた。これはきっと私たちが知らない審査基準があるのだと思われる。私たちは普段アマチュアの試合を観戦することは少なく、もっぱらテレビを通してプロの試合を見ることが多い。するとどうしてもプロの試合の判定基準で試合を見てしまうが、きっとアマチュアにはアマチュアの判定基準が存在するのだろう。
 アマチュアのボクシングの試合を観戦することは、これからはそうないだろう。そういう意味では貴重な体験だった。