田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

花咲か爺さん(水遣り爺さん)奮闘す!

2023-08-21 16:56:26 | ボランティア
 花咲か爺さんならぬ、水遣り爺さんがこのところ大奮闘中である。このところの酷暑で花壇の花たちは悲鳴をあげている!?そこで爺さんは朝に、夕に花たちに懸命に水遣りを続けている。

 何の因果か、私たち近美前の歩道の清掃ボランティアを続けるグループが何時の頃からかマンション周囲の街路枡花壇の維持管理を行うことになってしまった。思い返すとこちらもすでに少なくとも10年以上が経過している。
 我がマンションの周囲には計4ヵ所の街路樹を利用した花壇がある。そこに花苗を植栽し、そして維持管理をすることが私たちに課せられているのである。(その経過はいろいろあるのだが、そのことを詳らかにするのが本投稿の趣旨ではないので割愛する)
 当初は管理しやすい四季咲きベゴニアを主として植栽していた。ベゴニアは帯水性に優れていることもあり、あまり水遣りなどは気にしなくとも良かった。しかし、いつまでもベゴニアではなかろうと、昨年からインパチェンスという花に切り替えた。これが意外に乾燥には弱いことが判明した。少し雨が降らないと、たちまち花が萎んでしまうのだ。誰かにお願いするわけにはいかないので、自分がやるしかなかった…。
 マンションの前で「私は水遣りをしていますよ~」などとこれ見よがしにするのは気が引けるが花たちは水を待っている。昨年は最低限の水遣りをして過ごした。
 ところが今年の気象は異常である。連日の真夏日が続き、花壇の土は乾燥しきっている。私は気恥ずかしさも捨てて、朝に夕に気が付いたときにはできるだけ水遣りをするように心がけた。中にはかなり危うくなりかけた花壇もあったが、積極的に水遣りを続けたために、このところは花たちが元気いっぱいに花を咲かせてくれている。インパチェンスは花の色がいろいろあるが、その配色をどうするかなどといったセンスは皆無なので、アトランダムに配置した花壇の様子を私は気に入っている。
※ マンション東側に配されている3つの街路枡花壇の様子です。
  
  ※ 写真がボケているのは愛敬として、こちらはアイビーがあまり育っていません
  
  ※ こちらのス入りアイビーは私の好みなのですが、少し元気がありません。
  
  ※  こちらのアイビーが一番元気です。
 水遣りは毎朝、毎夕というわけにはいかないので、一度に多量の水を撒くことを心掛けている。その水の量は、花壇の大きさが2㎡くらいなので、一度に20リットル前後を撒いている。一つの花壇だけは倍の4㎡くらいあるので、こちらは35リットル前後を撒いている。繰り返し水を撒くことでコツのようなものも見出した。それは、水を花や葉にかけるのではなく、できるだけ花の根元にかけることを心掛けている。
  
  ※ こちらが最も大きい北一条側の花壇です。ようやく見てもらえるかな?という花壇になりました。
 こうして今、私たちが維持管理する4つの花壇はかなり理想に近い状態に花を咲かせている。インパチェンスの周りに配したアイビーがいま一つではあるのだが…。
 酷暑の期間も間もなく終焉となるだろう。その時までせっせと “水遣り爺さん” に徹しようと覚悟を決めている今日この頃の私である。


「北の縄文世界と国宝」開催記念シンポジウム

2023-08-20 21:11:20 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 連日の縄文遺跡関連のイベントへの参加である。この日のシンポジウムの目玉は、俳優の井浦新さんの登場だったようだ。井浦さんは相当の遺跡オタクのようであった。しかし、私的には今ひとつといった感じのシンポジウムだった…。
      
 本日午後、新札幌にあるホテルエミシア札幌において、表記のような『「北の縄文世界と国宝」開催記念シンポジウム』が開催され、参加した。
       
       ※ 会場となったホテルエミシア札幌の外観です。
 シンポジウムは、初めに昨日と同じ北海道縄文世界遺産推進室の阿部千春特別研究員が「北海道・北東北の縄文遺跡群の価値について」と題して、昨日と同じパワーポイントを使用して講演された。同じ方が、同じ内容の講演をされたのだから復誦は避けたい。ただ、昨日のレポでは触れることができなかった「ユネスコ世界遺産とその意義」について触れておきたい。
 ユネスコの理念は「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」としている。その目的の一つとして「世界の文化遺産の保存(登録)」があるという。その世界遺産を登録する目的を次のように謳っている。「文化遺産及び自然遺産を全人類のための世界の遺産として損傷、破壊等の脅威から保護し、保存するための国際的な協力及び援助の体制を確立することを目的とする」としている。つまり世界遺産を保護し、保存することは国際平和に寄与することだと高らかに謳っているのである。もっともっと「北海道・北東北の縄文遺跡群」に関心をもってもらい、大切に保護し、保存していくことは世界を平和にするための一里塚だということを私たちはもっと意識する必要がありそうだ。
  
  ※ イベント開催中の撮影はNGでしたので、開会前に会場を撮りました。
 阿部氏の講演に続いて行われたのが俳優の井浦新さんと、フリーペーパー「縄文 ZINE」編集長である望月昭秀さんが登壇したトークセッション「縄文文化の魅力を語る」だった。
 井浦さんは、現在北海道博物館で開催されている「北の縄文世界と国宝」展の音声ガイドナビゲーター役を務めている方だが、その生い立ちから「家の中に縄文があった」と語るほど、父親が考古学マニアで小さなころから遺跡などに連れていかれたことなどから、自然と考古学や遺跡に興味を抱くようになったという生粋のマニアである。一方の望月さんも遺跡好きが高じて関連雑誌の編集長になったくらいだから、推して知るべしである。
 二人の話は、北海道・北東北にとどまらなかった。視野が全国、あるいは世界に向いていた。北海道・北東北に限ってようやく多少の関心を抱き始めた私とでは、視点の違い・関心の違いが明らかだった。そのため彼らのマニアックな話にはついていけなかった。
 彼らが取り上げた縄文時代の土偶や土器のデザイン性の素晴らしさ、奥深さに縄文人の文化の高さ、精神性の高さを指摘していたのが印象的だった。そしてその代表的なものこそ、今北海道博物館で開催されている「北の縄文世界と国宝」展での展示品の数々なのだろう。
  
  ※ トークセッションの後、フォトセッションの時間が設けられました。遠くから撮った一枚です。左から井浦氏、トークセッションのファシリテーターを務めて阿部氏、そして右が望月氏です。
 私は残念ながらまだ展覧会を観覧できていない。今回に続いて9月4日にまたまた関連イベントが北海道博物館で開催されるので、その際に是非とも観覧しようと計画している。楽しみである。

世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」フォーラム

2023-08-19 21:25:09 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 2021年に世界遺産に登録されてから2年、「北海道・北東北の縄文遺跡群」は今、ある意味で曲がり角に立っているとも言えるようだ。北海道において構成資産・関連資産として登録された6つの市町の関係者が集まって話し合うフォーラムに参加した。
  
 本日(8月19日)午後、北海道博物館において表記「北海道・北東北の縄文遺跡群」フォーラムが開催されたので参加した。
 フォーラムは次のような2部構成で行われた。
◆第1部では、ユネスコ世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の価値と現状、と題して北海道縄文世界遺産推進室の阿部特別研究員、そして6つの市町で縄文遺産を担当している学芸員の方々がそれぞれの現状を報告した。
 その6つの市町の縄文遺跡とは…、
  ◇垣ノ島遺跡(函館市)
  ◇北黄金貝塚(伊達市)
  ◇大船遺跡(函館市)
  ◇入江・高砂貝塚(洞爺湖町)
  ◇キウス周堤墓群(千歳市)
  ◇鷲ノ木遺跡(森町) ※関連遺産
◆第2部では、「世界遺産としての縄文遺跡群の整備・活用にあり方と展望」と題して、6つの市町の担当者によるパネルディスカッションが行われた。
 私は昨年、世界遺産に登録された北海道内の6つの構成資産として登録された遺跡を全て巡って歩いたこともあり、それなりの関心を抱きながら参加した。(但し、関連遺産である森町の「鷲ノ木遺跡」は自由観覧ができないので訪れてはいない)
 私がフォーラムの中で特に関心をもって聴いたのは、北海道縄文世界遺産推進室の阿部千春特別研究員のお話だった。阿部氏は「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録にあたって中心的な役割を担った方であり、「北海道・北東北の縄文遺跡群」についてのスポークスマン的立場の方である。
  
 氏が言うには、縄文文化とは定住生活が始まった時代であり、それが北海道・北東北において可能となったのは日本列島を囲む二つの暖流が北上したことにより、定住をしながらの狩猟・採集生活が可能となったためであるとした。定住が可能となった北海道・北東北地帯のことを冷温帯落葉広葉樹林帯と称するそうだ。なお、ご存じだと思うが、ここでいう北海道とはキウス周堤墓群がある千歳市以南の道南地域を指している。
 つまり、日本では北海道の東北部を除き、ほぼ全国的に縄文文化が花開き、その地域的特色もあって全国をいくつかに分けることができる〈一説では9つとも〉と言われている。その中で「北海道・北東北の縄文遺跡群」が特に世界遺産に登録されたのは、北海道・北東北地域以外は一万年以上続いた縄文時代の後に稲作を中心とする弥生時代に移行したが、北海道・北東北は稲作に不向きなために縄文文化が続いた(続縄文時代と称する)という特殊性によって独特の文化が花開いたということが世界遺産登録に至った大きな理由のようである。
 世界遺産登録の可否を審査するユネスコではOutstanding Universal Value(OUV)、つまり「顕著な普遍的価値」の最も重視されるということのようである。
 阿部氏は盛んに「ストーリー」という言葉を口にした。「北海道・北東北の縄文遺跡群」の顕著な普遍的価値を広く知らしめるために、どのようなストーリーを描き出すのかということに阿部氏たちがご苦労されたことが偲ばれた。
 個々の遺跡についてのレポートの内容は割愛することにして、第2部のパネルディスカッションで印象的だったことをいくつかレポしてみたい。
  

  
 一つは、遺跡から発掘された石器や土器、その他の遺物から、当時の様子を類推する技術が驚くべき進歩を遂げていることを知らされた。まず食料についてであるが、土器に沁みついた脂質を分析することで当時の食べ物を類推することができるという。その結果、北海道よりは暖かい北東北では木の実など植物性の食べ物が多く、冷涼で木の実などが育ちにくい北海道ではハマグリやカキ、あるいは魚など海産物が多いことが分かってきたという。もっとも、一万年も続いた縄文時代はもちろん気温も一定ではなく、それに伴って食べ物も変遷したことが貝塚などの遺物を分析することで分かってきたことが多いという。各地の遺跡を担当する教育委員会では、現在もそうした分析作業が継続している実施していると報告があった。
 次に、リード文でも触れた「曲がり角に立っている」ということについてだが、世界遺産登録に向けて北海道や東北の関連する県、ならびに構成遺産遺跡のある市町の関係者の熱量は素晴らしかったが、それが今やや冷めつつある、いったニュアンスに私には聞こえてきた。関係者にとってはせっかく盛り上がった熱気でもって縄文文化の素晴らしさをより多くの人に伝えたい、より多くの人たちに関心を抱いてほしい、という思いが強いようだ。そのために、関係市町ではガイドの育成や縄文まつりの開催など工夫を凝らしているが、関連市町においては連携をより強めてそうした空気を醸成していこう、確認し合ったフォーラムでもあったようだ。
 昨年、道内の縄文遺跡群の構成遺産を見て回ったが、正直言って一般の人たちがどれだけ興味関心を抱いてくれるかというと、かなりハードルが高いようにも思われる。価値ある遺産であることは疑いようがない。関係市町、ならびに関係者の皆さんの一層の努力を期待したいと思う。

特別展「小津安二郎」展を観る

2023-08-18 17:16:19 | 作品展・展覧会等
 小津安二郎が父親に宛てた手紙や、小津の愛したソフト帽、もちろん映画に関する膨大な資料が一人の蒐集家の手によって集められたことを知った。また、小津研究家として一家言をなす研究家が札幌在住であることも知ることができた特別展だった。
      
 映画監督として名匠の誉れ高い小津安二郎の生誕120年・没後60年を記念して北海道立文学館で開催されている。(と言っても会期8月20日までなのだが…)
 私は特別の小津ファンではないのだが、特別展の開催を知って関連事業に意識的に参加しようと努めてきた。参加できたのは、映画会「東京物語」、講演会「小津安二郎と北海道」、無声映画会「突貫小僧」と「出来ごころ」である。実は、このほかにも映画会で「東京暮色」、「秋刀魚の味」を観る予定にしていたのだがスケジュールが合わず断念した経緯があった。
     
 断念したことで、一連の関連事業に参加した後に特別展を観覧しようとしていたのだが、その熱も冷めかけていた。ところが先日、ある方から「特別展のチケットがあるが、都合が悪くて行けないので、どうでしょうか?」という嬉しいお誘いがあった。私に断る理由などない。有難くチケットを譲っていただき、本日午後道立文学館に赴いたというわけである。
 特別展は会期末とあってか結構な人たちが観覧に訪れていた。展示されていたのはもちろん小津映画に関連するポスターやシナリオ、関連する小物などであったが、小津安二郎が父親に宛てた手紙の実物なども展示されていた。(小津は一時父親とは別居していた時代があった)また、小津が愛したソフト帽やワイシャツ、あるいは腕時計なども展示されていた。
 その展示物のほとんどが築山秀夫氏(長野県立大学教授)という一人の蒐集家の手によるものだと展示会の一つのコーナーで知った。相当に精魂込めて集められたに違いない。素晴らしいコレクションである。
 蒐集家ではないが、札幌にも小津研究においては高名な方が存在していることを知ることができた。その方は、公益財団法人北海道文学館の副理事長で、武蔵女子短大教授である中澤千磨夫氏である。氏は小津に関する著書を二冊も出版し、今回の特別展開催にあたって中心的な役割を果たした方だという。
  
  ※ 特別展「小津安二郎」展が開催されている北海道立文学館の外観です。 
 小津安二郎映画は、よく黒澤明監督と対比されて語られることが多い。黒澤映画の派手な活劇を中心とした映画に対して、小津映画のそれは市井の人たちの日常を描くものが多い。どちらがどうということではなく、お二人ともに映画の世界において世界に名を轟かせたという点において私たち日本人には誇ることのできるお二人ということが言えるのではないか。今やお二人とも鬼籍に入られたが、二人の創った映画はいつまでも残されている。機会を見つけてこれからも二人の創った映画を楽しみたいと思う。


超入門編 スマホ教室とは言いながら…

2023-08-17 15:56:28 | 講演・講義・フォーラム等
 それなりにスマホを使いこなしていると自認していた私だったが、基本的な操作で知らなかったことがこれほどあったとは…。改めて現代の魔法の機器(?)「スマホ」の基本的な操作を学ばねばと思った…。
    
 道民カレッジが「デジタル活用講座 スマホ教室」を企画しているとして、去る6月29日(木)に各地でスマホ教室等を展開している(株)BWORKSを率いる宮澤一政氏が講座全体の紹介的な講座を開講したのを私も受講していた。
 その講座全体の企画が立案され、13回シリーズとして本日(17日)からスタートしたということである。本日はそのスタート編として「超入門編 スマホ教室 はじめの一歩編」(株)BWORKSのスタッフの方が講師となって開講した。
 その内容は、
 〇電源を入れるには?
 〇電源を切るには?
 〇スリープモードにする
 〇音量ボタンの操作
 〇スマートフォンの主なボタン
 〇ホームボタン
 〇表示の見方
 〇コントロールセンターの表示
 〇マナーモードに設定する方法、等々について教わる内容だった。
 このラインナップを見た時、「あゝ、きっと退屈な講座となるかなぁ」という思いで受講したのだが、とんでもない思い違いだった。
   
 ※ お年寄りたちを優しく導いてくれた(株)BWORKSの羽音(はおん)先生です。
 私自身のために、私が本日の講座で新しく知った操作方法をメモ的に書き記すことにする。
 まず、スマホを開いてたくさんのアイコンが表示されるが、そのアイコンを長い時間タッチすることで、これまでとは違った画面が表示されることを初めて知った。
 次に、時には電源を切ることでスマホの機能の誤作動を防ぐことができることを知った。
 また「コントロールセンター」を開くには右上隅を下へスライドすると開くことを初めて知った。(ちなみに私の機種はiphone7である。機種によって開き方が違う。)
その他にも細々したことでも我流のために自分の未熟さを思い知らされた。
 来週から本格的に「デジタル活用講座 スマホ教室」が展開されるが、残念ながら全ての講座には参加できないのだが、スケジュールが合うかぎり参加して我流を脱し、よりスムーズにスマホを使いこなすべく、真面目に参加してみようと思っている。


中央区高齢者講座⑦「特殊詐欺に遭わないために」& ⑧「札幌の歴史」

2023-08-16 16:36:00 | 講演・講義・フォーラム等
 特殊詐欺が多様化、巧妙化している実態を教えられ我々シニアにとっては一層気の抜けない世の中になったことにため息をつく思いだった。そして第8回講座においては、札幌の来し方を改めて整理する機会を得ることができた。

 またまた中央区の高齢者講座について2週分を一度にレポートすることになった。
 8月9日(水)午前、「身近な犯罪被害防止対策」と題して第7回目の講座が行われた。講師は札幌中央警察署の二人の担当の警察官だった。
 前半は交通安全に関するお話だったが、北海道において過去3年間に歩行中に交通事故に遭い113人が死亡しているが、そのうち88人が高齢者だそうだ。(65歳以上を高齢者としている)実に2/3以上が高齢者である。運動機能が衰えた私たちシニアは一層の注意をしながら歩かねばならないことを指摘された思いだ。講師から高齢者事故の主なパターンとして次の3点を指摘された。①突然の道路横断、②赤信号で横断(見落とし?無視?)、③道路右側からの横断、と指摘されたが③については今一つ理解できなかった。そこで直接中央警察署に電話をしてお尋ねしたところ次のようなことだと指導いただいた。「道路の右側を歩行していた場合、同じ方向に走っている車の運転手は左側の歩行者に注意を払っているが、右側の歩行者には注意が疎かになっている場合が多いので右側から横断する場合は十分に注意が必要だ」という指導をいただいて、深く納得した私だった。
  
  ※ 高齢の歩行者が今年になって交通事故に遭った事例を図解して説明してくれました。
 続いて、シニアの被害が依然として絶たない「特殊詐欺」についてのお話だった。特殊詐欺としては「オレオレ詐欺」が有名であるが、今やその手口が多様化、巧妙化している現実を思い知らされた。提示された「特殊詐欺」には次のような種類があるという。①オレオレ詐欺、②預貯金詐欺、③架空料金請求詐欺、④還付金詐欺、⑤金融商品詐欺、⑥ギャンブル詐欺、⑦交際あっせん詐欺、⑧キャッシュカード詐欺、⑨その他の特殊詐欺…、いやいやこのように多種多様な詐欺が横行していることに慄然とする思いである。これらのほとんどが相手に顔を知られることのない “電話” を介在しての犯罪である。特殊詐欺犯罪に遭わないための第一は、少しでも「?」と感じたら電話を切ることが最大の防犯であると強調された。さらに、電話機に防犯機能を付与することを勧められた。我が家でも一度電機店に赴いて、その機能と価格を調べてみたいと思った。
  
  ※ 特殊詐欺の種類を例示して説明してくれました。
 そして本日(8月16日)、会場を札幌資料館(旧札幌提訴院)に移して第8回講座「札幌市の街づくりと大通公園の歴史」を受講した。講師は札幌市資料館のボランティアガイドの方が務めた。                       札幌市の街のでき方、あるいは大通公園の歴史について、これまで私もさまざまな機会に学んできたこともあり、特別に新たな知識を得たということはなかった。ただ、この機会にもう一度、その二つについて簡単にまとめてみることにする。
  
  ※ 会場を移動して札幌市資料館で講座が開講されました。
 札幌は5万5千年前に「支笏湖」カルデラの噴火物によって形成された台地であるということ。さらには、その台地に豊平川が流れて扇状地が形成され、その上に札幌の街が形成されたとされている。
 北海道という名称については探検家の松浦武四郎が「北加伊道」と提案したが、古来日本には律令制の時代から「五畿七道」と国内を区分していたものに「北海道」を加えて「五機八道」とすることを松浦武四郎も予想していたと伝えられていると講師は言及した。その後、初代開拓判官の島義勇が構想を練り、二代目開拓判官の岩村通俊が構想を具現化したことはよく知られるところである。
  
  ※ 講義を担当した札幌市資料館のボランティアガイドの方です。
 大通公園は、当初(明治4年)は札幌市の北側に位置する官庁街と南側に位置する住宅街や商店街との間の火防線として設けられたのが始まりで、明治44年になって公園として整備されたのが大通公園の始まりである。その後、戦時中は一時食料対策として畑地として利用された時期もあったが、その他は一貫として札幌市民の、あるいは観光客の憩いの場として在り続けている。
 講義はその他に、会場となった札幌市資料館(旧札幌提訴院)、あるいはよく大通公園と比較される名古屋市の久屋大通公園との比較などについて言及されたが、記録としてまとめるだけのものになり得なかったことがやや残念だった。
 中央区高齢者講座は折り返し点に達したところである。この後もできるだけ休まずに受講したいと思っている。

間違わない高齢者向け施設・住宅のえらび方

2023-08-15 14:49:42 | 「めだかの学校」関連
 私たちが近い将来、介護認定などを受けた場合、その生活は一変することが予想される。その際の最大の課題は「住むところをどうするか?」ということだろう。高齢者の住まいに関する相談窓口の専門家からお話を聴いた。

 私が所属する「めだかの学校」の今年度前期の学習の一つとして「終活学習」~人生のフィナーレを悔いなく~に取り組んでいる。
 その第5回学習会として昨日8月14日(月)、表記「間違わない高齢者向け施設・住宅のえらび方」の講座を受講した。講師は、一般財団法人「あんしん住まいサッポロ」の事務局長である米村裕氏が務めた。
 米村氏はまず、介護認定を受けるような立場(特に重い介護認定を想定)になった場合、「これまでの住宅に住み続けるのか」、「住み替えるか」の課題が生起するという。お話では、住み続けるという選択もあるが、住み替える選択の方が周りに迷惑をかけないという利点から「住み替え」を推奨しているように受け止めることができた。そこで講義の内容は「住み替え」を前提にして話が進められた。
 高齢者向けの施設・住まいの種類は現在次のように多岐にわたるとして紹介された。
 まず大きく行政が関与し、支援の制度も整っている通称「施設系」として、( )内の数字は現在札幌市にある施設数です。 
 ◆特別養護老人ホーム (94)
 ◆介護老人保健施設 (49)
 ◆介護療養型医療施設 (2)
      ※ 2023年末に廃止し、介護医療院への転院を勧める。
 ◆介護医療院 (9)
 ◆養護老人ホーム (4)
 ◆軽費老人ホーム (8)
 ◆ケアハウス (17)
 ◆生活支援ハウス (4)
 ◆グループホーム (267)
 以上であるが、多数の入院(所)が可能な施設としては、特別養護老人ホームは要介護3以上の重症者が入る施設、介護老人保健施設はリハビリを受けながら自宅復帰を目指す施設(入所期間の制限あり)、そしてグループホームは認知症の診断を受けた人が対象ということだ。その他は生活困窮者を支援する施設の色あいが強い施設と受け止めた。
        
 それに対して民間が運営する施設として、通称「住宅系」と称する施設が多数存在するが、それらは大きく分けて4種類があるという。それは…、
◆サービス付き高齢者向け住宅〈サ高住〉 (272)
◆介護付有料老人ホーム (69)
◆住宅型有料老人ホーム (336)
◆シニア向け賃貸住宅 (100?)
 以上であるが、札幌市の場合、行政が関わる「施設系」に比べると、民間が運営する「住宅系」が圧倒的に多いことが一目瞭然である。米村氏によると、「これだけ多いのだから、その実態は施設によって大きな差がある場合もある」と警告された。
        
 そして、そうした多数の施設の中から自分に相応しい住まいを選ぶポイントとして①入居条件、②費用、③立地・環境、④居室スペース、⑤共用スペース、⑥食事、⑦介護医療体制、⑧退去条件、⑨コミュニケーション、⑩運営母体、の10のポイントを挙げられた。そしてまずは「見学してみよう」ということだ。その際のポイントは、「複数のホームを見学しよう」、「食事の試食もお願いしよう」、「運営懇談会の記録を見せてもらおう」、「看取りについて確認しよう」というような点がポイントだとした。
        
 現在の私にとっては、まだ少し先の話かな?というのが実感ではあるが、将来の住まいを探す相談窓口として「あんしん住まいサッポロ」の相談室(中央区北1条西2丁目オーク札幌ビル1階)を紹介いただいたことは心強い限りである。
 それよりもまずは、現在の健康寿命を少しでも長く伸ばすために、日々の健康を気を付けていくことだと改めて講義後に思った私だった…。
※ 講義中に写真を撮ることができなかったためにイラストを挿入することにしました。


北海道低山紀行 108 藻琴山

2023-08-14 20:12:50 | 北海道低山紀行 & Other
 おそらく「低山紀行」としては最後の山になるであろうと思いながら登った藻琴山だった。標高はちょうど1,000mの低山であり、難しい山ではないのだが、私にとってはいろいろな思いもある山だったこともあり、最後の山と決めていた…。 

 8月11日(金・祝日)、網走市内の14キロウォークを終え、続いて「藻琴山」の登山口がある「藻琴山展望台駐車場公園」に向かった。登山口に向かう途中、藻琴山の上空に雲が張り出してきたのを気にしながら向かった。実は4年前にも藻琴山登頂を目指したのだが、駐車場に着いたものの周りが深い霧に包まれていたために断念した経過があったのだ。
  
  ※ 登山口に設けられた「藻琴山展望台駐車場公園」です。公園の向こうにはレストハウスが建っています。
 今回、駐車場に着いたときには10数台の車が駐車しており、下山してきた人、これから登ろうとしている人がいて、「これなら大丈夫!」と私も登山の準備を始めた。
 駐車場のところには「ハイランド小清水725」という展望レストハウスが建っている。「725」という数字はレストハウスが建っている所の標高を表した数字である。つまり、藻琴山の標高はちょうど1,000mとされているから、駐車場横の登山口から標高差250mで山頂に到達できるというわけである。
  
  ※ 「ハイランド小清水725」というレストハウスです。この日は閉館していました。
 ところで、私が「藻琴山にはいろいろと思い出がある」と記したが、それは藻琴山に関して次のような思い出話があるのだ。私も歳をとったものである。自らの自慢話(?)を披露したくなってしまった。
 私が30台半ばの頃、藻琴山の麓にある某小学校に転勤となった。その学校では、毎年夏になると全校児童が藻琴山登山をするという行事が行われていた。つまりこの学校に通う子どもたちは6年間で6回も同じ藻琴山に登っていた。このことに私は疑問を抱いた。「子どもの発達段階を考慮した行事を行うべきなのでは?」と…。
 数年を経て、私はその学校の企画担当となった。私は全面的にこの学校の夏の行事を見直した。つまり小学校の最高学年である6年生には、学校の窓からいつも仰ぎ見ることができる「斜里岳登山」に挑ませたいと…。斜里岳登山となると、藻琴山よりは数倍、いや十数倍困難な登山となる。(同じ町の某小学校では一学期の修了式を斜里岳山頂で行っているという学校もあった)
 長々とは書けないので結果だけを記すと、私は自分が担任した学年での体験も含めて(その体験とは自分が担任した学年で5年生の時に25kmの海浜チャレンジウォーク、6年生時に斜里岳登山を試み済みだった)学校全体の夏の行事を次のように企画し、提案した。
 テーマは「さあ 飛び出そう!オホーツクの夏へ チャレンジ93」
 ◇1年生 海浜チャレンジウォーク(距離 約3.5km)
 ◇2年生 藻琴山登山(標高1,000m)
 ◇3年生 海浜チャレンジウォーク(距離 約15km)
 ◇4年生 雌阿寒岳登山(標高1,449m)
 ◇5年生 海浜チャレンジウォーク 斜里―小清水間(距離 約25km)
 ◇6年生 斜里岳登山(標高1,545 m)
 職員、父母などとの喧々諤々の議論を経たうえで実施し、身体に故障を抱える子ども以外は見事に当初の目的を達することができた、という忘れえぬ思い出を持っているのだ。(年寄り故の自慢話です)
 そんな私からすると、小学校2年生全員が登ることができる山なのだから…、と軽く考えていたところがあったことは正直に吐露したい。しかし、やがて77歳を迎えようとしている私の身体は相当に老化していることを痛いほど自覚させられる登山となった。もっとも網走市内のウォーキングを終えた後で疲れ果ててはいたのだが…。
  
  ※ 駐車場公園から続く藻琴山登山口です。
 登山道は本格的だった。高い山に自生するハイマツの間を縫うよう細い登山道が続いていた。それほど急角度の傾斜はなかったが、それでも絶え間なく高度を上げていく。
  
  ※ 写真のようにハイマツの間を縫うように登山道は続いていました。
  
  ※ 迷うことなどあるまいと思える登山道にもこのような道しるべのテープが下がっていました。(冬道用かな?)
 登り続けること30分も経った頃だったろうか?ようやく尾根の一端に辿り着いた。そこからは下界の屈斜路湖や川湯の市街地を望むことができた。
  
  ※ 尾根に出た時、屈斜路湖が眼下に望めました。しかし、上空には雲が。
 問題はそこからだった。尾根に辿り着いたのだが、そこから何度下ったり、登ったりしたろうか?そして山頂を遠くに望みながらもなかなか近づかないもどかしさを感じながら登山が続いた。途中にはちょっとした岩場もあった。
  
  ※ 向かう一番高いところが藻琴山々頂です。
  
  ※ こちらは山頂手前のピークです。
  
  ※ この日最も良く屈斜路湖が望めた一枚です。中の島もくっきりと映りました。
     
     ※ 「屏風岩」です。この周辺は岩場となっていました。
 尾根伝いの上り下りを確か4度くらい繰り返したろうか?ようやく望めた山頂付近は無念にも霧に包まれていた。
  
  ※ 山頂が近づくにつれて霧が山頂を覆い始めました。
そんな無念の思いを抱きながら、登山口からちょうど1時間後に山頂に辿り着いた私だった。 
   
  ※ 周りは何も見えない「藻琴山々頂」です。        
 山頂に辿り着き、そういえばまだ学齢期に満たなかった長男と共に山頂に立ったなぁ、ということも思い出していた。
   
   山頂直下です。山頂は狭いため、登山者たちはここのガレ場で疲れを癒します。私もそうしました。         
【藻琴山 登山データ】 標 高  1,000m
行 程  スカイライン遊歩道登山口(7合目)→(60分)→藻琴山々頂→(45分)→スカイライン遊歩道登山口
駐車場  藻琴山展望台駐車場公園 30台駐車可能
天 候  晴れのち薄曇り、微風
登山日  ‘23/08/11

ヘルシーウォーキング⑭ in オホーツク海を眺め、歴史を体感する網走・ウォーク

2023-08-13 17:18:39 | JRヘルシーウォーキング & さっぽろラウンドウォーク
 網走は私の生まれ故郷であり、2度の勤務経験もある縁の深い街である。天都山を含む長~い14キロの道のりを思い出深く歩くことのできたウォーキングだった…。
     
 8月11日(金)、朝早く北見から網走に移動し、網走駅前に立ったのは午前7時40分だった。スタート直後、網走駅から国道39号線を西に向かうのだが、直ぐにJR石北本線の踏切を跨ぐ。これが人一人がようやく渡れるだけの狭い踏切で、その踏切を見つけるのにかなり手間取った。
  
  ※ 観光客の姿もちらほらと見えたが、全体として閑散とした網走駅だった。
   
  ※ この小さな踏切が石北本線を跨いでいました。
 しかしこのコース取りには疑問が残った。マップを見るかぎりでは「二代目網走駅跡」という表記があったのだが、その辺りに特に表示があるわけではなかった。しかも再び国道に戻る踏切の表示もはっきりとしなかった。このため私は5~600mを行ったり来たりしてしまった。後から分かるのだが、踏切を渡る箇所には大きな葬儀会場があったのだが、マップにはそれが表示されていなかったのは残念だった。
  
  ※ 旧網走駅跡ではないかと想像されたのですが…。
 国道へ戻ると間もなく、網走川を跨ぐ「鏡橋」を渡る。この「鏡橋」は、網走刑務所に護送される囚人たちが川面に我が身を映し、自らの罪を悔い更生を誓ったと伝えられている橋である。そして煉瓦造りの塀に囲まれた「網走刑務所」の正門の前に立つ。一般見学者はここまでである。あの高倉健さんも映画の中でこの刑務所にお世話になったが、私はけっして刑務所内部には入るまいと誓ったのでありました。
  
  ※ 網走川を跨き網走刑務所に続く「鏡橋」です。
  
  ※ 堅牢なレンガで囲まれた「網走刑務所」の正門です。
 刑務所を後にすると、コースは網走川沿いを「天都山」に向かう。網走川の先にはボート競技が盛んな「網走湖」があるが、川の中にはボート競技のゴールが設定されているのだろうか?川中にはブイが浮かんでいた。
  
  ※ 網走川の川中に小さな赤いブイが見えると思います。
 そしてコースは「天都山」に向かう道路に導かれる。これまで何度も「天都山」には上っているが、いつも車で上っていたが、歩いて上るのは初めてだった。コースの途中には博物館「網走監獄」があるが、私はここを2度も訪れているので内部の見学はパスした。
  
  ※ 天都山に上る途中にある博物館「網走監獄」の入口です。
  
  ※ 天都山の上り道は途中から車道を離れ、森の中を上がる道となりました。
 長い長い上り道を上がりきると「オホーツク流氷館」がある。暑い日だったので、流氷が展示されているところで体を冷やしたいとも思ったのだが、ウォーキングの後に「藻琴山」登山も計画していたので先を急ぐことにした。「オホーツク流氷館」のところからは、網走市内、そしてオホーツク海が遠望できた。
  
  ※ オホーツク流氷館です。
  
  ※ オホーツク流氷館のところから網走市街を眺めたところです。オホーツク海の海岸線を望むことができました。
 網走市内に向かう下り道は、上り道より2倍もあるのではないかというほど長くだらだらとした下り道が続いた。天気は晴れていたが、気温はそれほどでなく(記録では最高気温が22.7℃だったようだ)、木陰に入ると気持ち良い風を感ずることができた。とはいっても半袖、半ズボンの私は汗にまみれながらのウォーキングだった。
 長い下り道を終えると網走市の中心街に導かれた。そしてまずは「道の駅 流氷街道網走」に至った。道の駅は「網走川」がオホーツク海に注ぐ河口口にあたり、冬には流氷観光船「オーロラ」の発着場となっている。
  
  ※ 網走市の道の駅「流氷街道網走」の建物です。
  
  ※ 道の駅の傍は網走川の河口で、ここが流氷観光船「オーロラ」の発着場になっています。
 道の駅を過ぎ、中心街に向かう途中には昔の「網走監獄」の正門となっていた門を保存している網走の名刹「永専寺」の正門を眺め、「網走市役所」の前を通過した。
  
  ※ 永専寺の正門となっている「旧網走監獄」の正門です。
  
  ※ 網走市役所です。
 続いて、網走の繁華街「アプトフォーショッピングモール」に導かれたが、祝日にも関わらずモールを歩く人はまばらで寂しさを感じさせた。
  
  ※ 網走市の中心商店街の「アプトフォーショッピングモール」の様子です。
 ショッピングモールを過ぎると「網走駅」は間近である。その途中にもマップには「旧網走駅跡」という表記があったが、そのあたりを探してみたが特にそれらしき表示は見当たらなかった。  
 JRが主催するヘルシーウォーキングだから、JRの歴史にこだわったマップ作りは理解できるが、独りで歩くにはマップだけが頼りである。だから曲がり角のところの建物などをもう少し詳しく描いてほしいと思うのは我がままだろうか?という感想を持ったのだが…。
 この日も前日同様、コース自体は14キロということだったのだが、あちこちと迷った結果、私の歩数計は16キロを表示していた。
   
   ※ 私が網走市内を巡っている時、グーグルのマップ作成のためでしょうか?特殊なカメラを車上に付けた車が市内を走り回っていました。                         

ヘルシーウォーキング⑬ in ハッカの歴史を今に伝える、北見ウォーク

2023-08-12 19:23:19 | JRヘルシーウォーキング & さっぽろラウンドウォーク
 懐かしの北見の街のウォーキングだったが、スタート直後に右往左往してしまい、13.5キロのコースだったのに、なんと16キロも歩く羽目になってしまった。酷暑の中の汗まみれになって北見の街を歩き回った。
     
 8月10日(木)、墓参に北見を訪れたのを機に懐かしの北見の街を歩いてみようと思い立った。私は退職前3年間を北見で過ごしたのだが、多くは職場と自宅の往復で北見の街を熟知していなかったことを思い知らされた。
  
  ※ JR北見駅前の様子です。
  
  ※ カーリングチーム「ロコソラーレ」の地元らしんカーリングストーンの大きなモニュメントが設置されていました。
 いきなりスタートで躓いた。北見の駅前から繁華街に導かれるのだが、細かく左右に折れ曲がるコースに戸惑ってしまった。現在地とマップが一致しないのだ。しかたないので私の記憶にあった「ピアソン記念館」を目ざした。「ピアソン記念館」は住宅街にありながら、周りに木々が繁る静かな環境の中に佇んでいた。
  
  ※ 昔は賑やかだった商店街も閑散としていました。
  
  ※ 木々の中に静かに佇む「ピアソン記念館」です。
 さらにどの方向に進んだらよいのか見通しが立たない。仕方がない。これも微かに記憶が残っていた「北見地区消防本部」の建物を、マップを無視して目ざしたところ何とか到達できた。
  
  ※ 北見地区の消防の中心を担う消防庁舎です。
 消防本部の前が「緑園通」ということで、ここでようやくマップ上にのることができた。ここからは道の両側、そして中央分離帯に木々が繁る通りをひたすら郊外目ざしてのウォークとなった。
  
  ※ 濃い緑が印象的な「緑園通」の様子です。
 やがて「緑園通」を離れて、コースは大きく住宅街を迂回するように進む。途中には「これが北見の街中?」と思うほどの光景にも出会った。
 そして北見市の郊外に建つ「北見工業大学」の傍を通過した。私が在住当時の辺りはまだまだ閑散とした感じだったが、周りにはたくさんの住宅やオシャレな店まで進出していた。また、新設なった「アルゴグラフィックス北見カーリングホール」の新しい施設も遠望できた。
  
  ※ 国立北見工業大学の正門です。
  
  ※ 北見工大の道路向かいに建つカーリングホールです。
 コースはやがて国道39号線とJR石北本線の高架橋下を横断し、常呂川河川敷に導かれる。常呂川の河川敷はかなり広く、そこがとても整備されているのが素晴らしい。特に北見はラグビーの夏合宿誘致に熱心に取り組んでいるが、整備された芝生の上でたくさんのラガーマンが練習に取り組んでいた。
  
  ※ 手前が国道36号線、遠くにJRの高架橋が見えます。
  
  ※ 常呂川堤防ときれいに整備された河川敷の様子です。
  
  ※ ラグビー合宿が盛んに行われていました。
 また、河川敷内に北見の名産(だった?)ハッカの香りにちなんで名づけられた「香りゃんせ公園」は夏の子どもたちの絶好に遊び場となる水場が有名であるが、この日の酷暑を受け多くの子どもたちが水遊びに興じていた。
コースは常呂川を跨ぐ長い「美晴大橋」を横断し、対岸に出る。そちらの河川敷では暑さにもめげず、シニアの方たちがパークゴルフに取り組む姿があった。
  
  ※ 「香りゃんせ子公園」で水遊びをする子どもたちです。
  
  ※ 長い長い「見晴大橋」を渡り、向こう岸へ
  
  ※ 常呂川の流れです。雨が多かったせいか水が濁っています。
  
   ※ 対岸の河川敷にはパークゴルフ場が広がっていました。
 コースは再び常呂川を跨いで中心街に戻るために「常呂川第2頭首工管理橋」を渡る。「頭首工」という名称について聞き慣れない方もいると思われるが、私も石狩川河畔遡行を実施する前までは知らなかった。「頭首工」とは、田畑を潤す潅漑水を確保するために川をせき止め、農業用水を田畑に導く装置のことのようだ。
  
  ※ 常呂川を堰き止める頭首工です。
 コースはいよいよ終盤である。中心街も近くなったところに「北見ハッカ記念館」と「薄荷蒸留館」が肩を並べるように建っていた。北見市は明治後期から昭和初期にかけて一大ハッカ生産地(世界一とも称された)として隆盛を極めた時期があった。やがて安価な合成ハッカが出回るようになり、急速にハッカ産業が衰退してしまったという歴史がある。その隆盛だったころを記憶に残そうと二つの施設が残されている。私は北見在住の頃に訪れていたので、内部見学はパスすることにして先を急いだ。
  
  ※ 古風な洋風建築の「ハッカ記念館」と左の黒い建物が蒸留舘です。
 ウォーキングの最後は北見駅前を走る国道39号線を戻る。その北見駅のすぐ近くの道路沿いに「北見市役所」の真新しいビルが建っている。北見市政は市役所庁舎の建設地などを巡って長年迷走を続けてきたことが記憶に残る。新しい庁舎が建設されたことで政争の街などという有難くない代名詞とおさらばして、発展を遂げる北海道の地方都市の代表として頑張ってほしいものである。
前述もしたが、ふるさと北見などと吹聴していたが、実は今回北見市内を巡ってみて「知らなかったことがずいぶんたくさんあったなぁ」というのが偽らざる実感である。
  
  ※ 北見駅前通(国道39号線)の様子です。
     
     ※ 国道39号線沿いに建つ新築なった「北見市役所」庁舎です。

※ 実は今回の旅でいつも携行しているデジカメを持ち忘れるという大チョンボをやらかしてしまった。窮余の一策でスマホで撮って歩いたのだが、PCに取り込む術を私は知らなかった。俄か勉強の末に苦労して、苦労してなんとか取り込むことができ、ブログに写真をアップできてホッとしています。