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世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」フォーラム

2023-08-19 21:25:09 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 2021年に世界遺産に登録されてから2年、「北海道・北東北の縄文遺跡群」は今、ある意味で曲がり角に立っているとも言えるようだ。北海道において構成資産・関連資産として登録された6つの市町の関係者が集まって話し合うフォーラムに参加した。
  
 本日(8月19日)午後、北海道博物館において表記「北海道・北東北の縄文遺跡群」フォーラムが開催されたので参加した。
 フォーラムは次のような2部構成で行われた。
◆第1部では、ユネスコ世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の価値と現状、と題して北海道縄文世界遺産推進室の阿部特別研究員、そして6つの市町で縄文遺産を担当している学芸員の方々がそれぞれの現状を報告した。
 その6つの市町の縄文遺跡とは…、
  ◇垣ノ島遺跡(函館市)
  ◇北黄金貝塚(伊達市)
  ◇大船遺跡(函館市)
  ◇入江・高砂貝塚(洞爺湖町)
  ◇キウス周堤墓群(千歳市)
  ◇鷲ノ木遺跡(森町) ※関連遺産
◆第2部では、「世界遺産としての縄文遺跡群の整備・活用にあり方と展望」と題して、6つの市町の担当者によるパネルディスカッションが行われた。
 私は昨年、世界遺産に登録された北海道内の6つの構成資産として登録された遺跡を全て巡って歩いたこともあり、それなりの関心を抱きながら参加した。(但し、関連遺産である森町の「鷲ノ木遺跡」は自由観覧ができないので訪れてはいない)
 私がフォーラムの中で特に関心をもって聴いたのは、北海道縄文世界遺産推進室の阿部千春特別研究員のお話だった。阿部氏は「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録にあたって中心的な役割を担った方であり、「北海道・北東北の縄文遺跡群」についてのスポークスマン的立場の方である。
  
 氏が言うには、縄文文化とは定住生活が始まった時代であり、それが北海道・北東北において可能となったのは日本列島を囲む二つの暖流が北上したことにより、定住をしながらの狩猟・採集生活が可能となったためであるとした。定住が可能となった北海道・北東北地帯のことを冷温帯落葉広葉樹林帯と称するそうだ。なお、ご存じだと思うが、ここでいう北海道とはキウス周堤墓群がある千歳市以南の道南地域を指している。
 つまり、日本では北海道の東北部を除き、ほぼ全国的に縄文文化が花開き、その地域的特色もあって全国をいくつかに分けることができる〈一説では9つとも〉と言われている。その中で「北海道・北東北の縄文遺跡群」が特に世界遺産に登録されたのは、北海道・北東北地域以外は一万年以上続いた縄文時代の後に稲作を中心とする弥生時代に移行したが、北海道・北東北は稲作に不向きなために縄文文化が続いた(続縄文時代と称する)という特殊性によって独特の文化が花開いたということが世界遺産登録に至った大きな理由のようである。
 世界遺産登録の可否を審査するユネスコではOutstanding Universal Value(OUV)、つまり「顕著な普遍的価値」の最も重視されるということのようである。
 阿部氏は盛んに「ストーリー」という言葉を口にした。「北海道・北東北の縄文遺跡群」の顕著な普遍的価値を広く知らしめるために、どのようなストーリーを描き出すのかということに阿部氏たちがご苦労されたことが偲ばれた。
 個々の遺跡についてのレポートの内容は割愛することにして、第2部のパネルディスカッションで印象的だったことをいくつかレポしてみたい。
  

  
 一つは、遺跡から発掘された石器や土器、その他の遺物から、当時の様子を類推する技術が驚くべき進歩を遂げていることを知らされた。まず食料についてであるが、土器に沁みついた脂質を分析することで当時の食べ物を類推することができるという。その結果、北海道よりは暖かい北東北では木の実など植物性の食べ物が多く、冷涼で木の実などが育ちにくい北海道ではハマグリやカキ、あるいは魚など海産物が多いことが分かってきたという。もっとも、一万年も続いた縄文時代はもちろん気温も一定ではなく、それに伴って食べ物も変遷したことが貝塚などの遺物を分析することで分かってきたことが多いという。各地の遺跡を担当する教育委員会では、現在もそうした分析作業が継続している実施していると報告があった。
 次に、リード文でも触れた「曲がり角に立っている」ということについてだが、世界遺産登録に向けて北海道や東北の関連する県、ならびに構成遺産遺跡のある市町の関係者の熱量は素晴らしかったが、それが今やや冷めつつある、いったニュアンスに私には聞こえてきた。関係者にとってはせっかく盛り上がった熱気でもって縄文文化の素晴らしさをより多くの人に伝えたい、より多くの人たちに関心を抱いてほしい、という思いが強いようだ。そのために、関係市町ではガイドの育成や縄文まつりの開催など工夫を凝らしているが、関連市町においては連携をより強めてそうした空気を醸成していこう、確認し合ったフォーラムでもあったようだ。
 昨年、道内の縄文遺跡群の構成遺産を見て回ったが、正直言って一般の人たちがどれだけ興味関心を抱いてくれるかというと、かなりハードルが高いようにも思われる。価値ある遺産であることは疑いようがない。関係市町、ならびに関係者の皆さんの一層の努力を期待したいと思う。