田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

AMOEBA 2023

2023-08-06 16:48:02 | その他
 4年ぶりに5名全員が顔をそろえた!全員が元気で再会できたことは何よりだった。楽しい野球観戦、夜の歓談、そして今朝方には有意義なミーティングと、数えて22回目のAMOEBAの会は今回も5人の絆を確認して散会した。
  
  ※ 毎回、会合が終わると各人のレポートをまとめたファイルブックがこうした手元に残っていきます。
 それは今から35年前に遡る。道東のとある小学校で5名の教師が出会った。彼らは教師としての技量を高めたいと、勤務時間外に地域の公共施設を会場に自主的に研鑽する機会を持った。それは月に2回ほど、自らの教育教育実践や生徒指導などについてのレポートを持ち寄り、互いに批判検討する場であった。評判を聞いて近隣の学校の教師の参加もあり参加する者は10数名になっていた。
 グループに名を冠することになった時、年長であった私の中に閃いた言葉が「AMOEBA」であった。それは私が高校生の時に読んだ小田実著の「何でも見てやろう」の巻末近くに次のような一文があるのを記憶していたのだ。その一文とは、著者の小田実は世界を旅して、各国の文明論を論じながら日本について論じている。「思うに、日本列島の運動は、アメーバ運動のごときものである。アメーバはてんでばらばらにあちこちに偽足を出して動きながら、それでいて、ある一定の方向をさして移動していく」と…。そして小田は、ある一定の方向とは「よい方向」と断じているのだ。
 私たちの自己研鑽の場も、各人がてんでばらばらに実践しながら、遅々として効果は出ないものの、研鑽を続けることによって多少の成果は期待できるはずだという意味を込めて「AMOEBA(アメーバ)」の名を冠することを提案し、賛成を得て付けられたグループ名だった。
 もっとも当時の学校長は戦前・戦中世代の方だったことから アメーバ = 細胞 というイメージから、私たちの活動を評価しつつも、ネーミングには顔をしかめられておられたが、私はこの名にこそ私たちの思いの真髄があると、以降この名を冠し続けている。
      
      ※ 私に大きな影響を与えてくれた小田実著「何でも見てやろう」です。
 その後数年を経て5人は次々と転勤をして勤務校がバラバラになってしまった。バラバラになって数年を経たある時、誰からともなく「年に一度でいいから、あの日に還りたい」という声が出、平成12(2000)年に一夜の再会を果たし、互いにレポートを持ち寄り近況を報告し合ったのだった。以降、毎年開催場所を変えながら年に一度の会合を20年間続けて会を続けてきたのだが、(近年は札幌に固定しつある)コロナ禍に遭い3年間開けずにいたAMOEBAの会を4年ぶりに昨日、本日と二日日程で終えたところである。
 今年のスケジュールは会の一番若手であるY氏が全員の希望に留意しながら企画を立てた。その内容は、まずはエスコンフィールド北海道で日ハム対ソフトバンク戦を観戦、続いて中華楼エスタ店において歓談した。そして本日午前中はAMOEB A2023のメインイベントであるレポートによる近況報告や意見交流を行い、浜っ子読売北海道ビル店においてランチを摂り、その後に散会したのだった。
  
  ※ 市内某所で開催した互いが持ち寄ったレポートを検討する会の様子です。
 参加した一人が呟いた。「こうした会が続き、互いに影響し合えたことで自分の仕事に反映させることができたし、自分自身の生活を充実させることができた。」と…。そして「これからもそうありたい」と付け加えた。私も全く同感である。
 ランチの後の会話は、私たち世代の定番で互いの健康のことに話題が集中した。互いに健康であればこそ、こうした会合を今後も継続できることに繋がる。そうした意味では年長である私の老化が他の仲間には気がかりのようだった。自らの健康には無頓着なところのある私であるが、多少は気にしながら生活をしなくてはいけないなぁ、とは思ったのだが…。言うは易し、行うは難し…。う~む。