田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札響の第九 XV

2023-12-16 22:58:42 | ステージ & エンターテイメント
 第一ヴァイオリンが囁くように滑り出す、背筋がゾクゾクッとする瞬間だ。今年もまた「札響の第九」を聴くときがやって来た。今夕、もはやの年中行事ともなっている「札響の第九」を楽しみ、友人たちと細やかな忘年の宴を共にした夜だった。
         
 ローマ数字で「XV」は15である。つまり私たちは今夕15年連続で札幌交響楽団のベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱付き」を聴いてきた。もはや私たちにとっては習い性となっている「札響の第九」なのだが、あの第4楽章の大合唱を聴くことで今年も暮れゆくことを実感した瞬間だった…。
 今年はいつもの席とは違い(ここ数年はステージ背面のP席だった)ステージ横となるRA席をH氏が確保してくれた。(しかも一番前列の席だった)この席だと、ヴォーカルの4人(ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトン)の方や、合唱団の声を前から聴くことができた。
 指揮は松本宗利音氏という指揮者としては若干30歳という若い方だった。そしてソプラノは北海道・鷹栖町出身という中江早希さんがKitaraに凱旋出演という形だった。
 演奏はいつもの札響で安定した音を出していたと私は感じた。私のような素人には年毎の演奏の違いなどは感じ取ることができない。最後の合唱に大感激して今年の「札響の第九」も終わった。ただ一つ、指揮者の松本氏が若干30歳ということで注目していたのだが、その指揮ぶりにはいささかの硬さのようなもの垣間見えた思いだった。尾高忠明さんや広上淳一さんたちベテランの方々の余裕のある指揮ぶりとは違い、余裕のようなものを感ずることができなかったのだが、それは経験を積むことによって解消していくものなのかもしれない。
         
 また、中江さんの歌声に期待していたのだが、楽譜上完全なるソロで歌う場面は少なく、十分に彼女の歌声を 耳にすることができなかったのは残念だった。
         
 それよりなにより、今夜のコンサートで衝撃を受けたのは「第九」の前に演奏された藤島大作曲の「グローリアス・クラウズ(Glorious Clouds)」という曲の演奏である。
 Glorious Cloudsとは「素晴らしい雲」と訳されるようだが、作曲者の藤島氏によると、曲は地球上のあらゆるところに生息する “微生物” の様子を音楽的に表現してみたいと考えて作曲したものだという。
 それは出だしから不協和音の連続のような演奏だった。現代では人間の体内に生息する細菌を顕微鏡で映し出し、それをテレビで見ることもできる。その様子は細菌が体内を無目的に右往左往しているようにも見える。そのような様子を音楽的に表現したようであった。
 私はいつそのような音楽が、いわゆる既成の音楽のように整った音色を紡ぎ出すのかと待っていたのだが、曲は最後まで私には不協和音としか聞こえない奇矯な音を出し続けて終わった。最後までそのような音楽を貫き通したことで私は反対に「凄い実験的な音楽を作曲したものだ!」と感嘆してしまった。
 演奏した札響の奏者たちも素晴らしい!一つ間違えば、ただの雑音になりかねない音楽を演奏し切ったのだから…。この曲は素人が手を出すべきではない、と思えた一曲だった。
  
 なんだかおかしな感想となってしまったが、実験的な音楽と、伝統的な音楽と両極端の音楽を聴くことができた今年の「札響の第九」だった。
 聴き終えた私たちはKitaraの近くのホテルでささやかな忘年の宴を催し、できれば来年も4人揃って「札響の第九」を楽しみたいと約して散会したのだった。