やはり演劇は、お爺にはイマイチその良さを解しがたかったぁ…。以前から成人向けの演劇というのは近寄りがたかったのだが…。
昨夜(12月1日)夜、琴似の劇場「コンカリーニョ」にて東京で活動する「劇団5454(らんどりー)」の「宿りして」という演劇を観劇した。
観劇できたのは、現在札幌市内各所で行われている「札幌劇場祭」のチケットプレゼントに応募したところ、幸運にも2枚の招待券が舞い込んだのだ。
劇場祭には25以上の舞台が展開されていて、その中から観たい舞台を自由に選ぶことができたのだが、劇場祭はコンテストも兼ねていた。演劇について不案内な私は「できるなら本格的なものを観たい」と思い、「大賞」にノミネートしている舞台を観ることにした。その一つが昨夜観劇した「宿りして」という舞台だった。
「宿りして」は、平安期の歌人・紀貫が創った「宿りとして 春の山辺の寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける」という歌からインスピレーションを得た演劇であるとあった。
午後7時、舞台は始まった。舞台は一つの大きな台と数個の小さな箱だけという簡素なものだった。プログラムには次のような簡単なストーリーの紹介があった。
所詮、私の授業なんて、仮眠時間としか思われていない。
古典教師の小野は、自分の仕事に自身も情熱もやりがいも持てずに、
淡々と授業をこなすだけの日々。
ある時、そんな小野に異変が訪れる。
仕事も私生活も全てが楽しい。
それからと言うもの、世界が変わったように見える。
確かにやる気が全く欠けた教師の小野の姿から舞台は始まったのだが…。それほど執拗に描かれたとは思われず、舞台は進行した。小野の生活はその後、変わったようには思えたが、劇的に楽しいものに変わったとは私にはどうしても思えなかった。
そして同僚とのやりとりが、コメディ調に変わっていき、彼らが発するセリフを聞いて私の周りの人たちは大声で笑っていた。
ところが彼らの発するセリフはごく普通の会話をするような感じのため、私にはよく聞き取ることができず、若い人たちのように笑えることができなかった。
結局、本作のテーマは、一人の高校の教師・小野の自意識過剰な心の動きを劇化したもののようだった。舞台の最後に、一観客に扮したキャストが小野に対して、小野を諫めて舞台はthe endを迎えるのだが、私にとっては最初から最後まで???が駆け巡るばかりだった。
私が次に観劇しようと思っている舞台はもう少し私にも分かりやすい舞台のようなので、楽しみにしているのだが…。