田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

山崎豊子本 その後

2020-02-25 15:41:10 | 本・感想

 その後も山崎豊子にはまりっぱなしである。その後(1月19日投稿以降)「運命の人」、「女系家族」、「花のれん」を読了した。それぞれ興味深く読むことができた。こうなったら山崎豊子本の全てを読んでみようと思い始めた。

 「今さら…」と言いながら、昨年12月26日(https://blog.goo.ne.jp/maruo5278/d/20191226)、そして今年に入って1月19日https://blog.goo.ne.jp/maruo5278/d/20200119)にと山崎豊子本について投稿してきた。その中で私は山崎豊子の代表作のほとんどを読了した。(「沈まぬ太陽」、「華麗なる一族」、「大地の子」、「不毛地帯」、「白い巨塔」、「二つの祖国」)ところが、これらは山崎豊子が作家として揺るがぬ地位を築いた後の作品がほとんどだった。私は山崎豊子の原点も覗いてみたくなった。今回の「運命の人」はその範疇に入らないが、「女系家族」、「花のれん」は紛れもなく山崎の初期の作品である。

 それぞれについて簡単に感想を綴ってみたい。

   

◆「運命の人」(2009年 4分冊)

 この作品は、沖縄返還時の日米密約を題材に、国家権力とジャーナリズムの戦いを描いたものであるが、毎日新聞社の西山太吉記者が日米政府間の機密情報を入手・漏洩した実際の事件を作品化したものである。

 山崎にとってはかなり後期の作品であるが、取材と執筆に8年間を要した作品だという。圧巻は国家間の交渉に付随する機密性と、国民の「知る権利」とのせめぎあいの裁判の様子の記述である。緻密に精密に描く様は圧巻である。結局、最高裁まで争った裁判は西山の敗訴となる。

 この事件は私が20代前半に起こった事件であるが、まだまだ社会的関心に疎い時期であったが、国家が国民を欺いていたのか?という点から若干の関心を持ったのだが、機密情報の入手手段が西山が外務省高官の秘書と男女の仲になったうえで入手したと知り、がっかりし興味を失ったしまったことを記憶している。

 しかし、山崎は作品の中では最後まで国家と国民の関係の在り方を追求し続けた点が印象的であった。

   

◆「女系家族」(1963年)

 この作品は山崎が「花のれん」によって直木賞を受賞し、その後大阪ものを書き続けた中の一作であり、いわば彼女の初期の作品の一つの到達点的な作品である。

 物語の概要をネット上から拝借すると、「大阪・船場の老舗木綿問屋「矢島商店」は、代々家付き娘が婿養子をとる女系の家である。社長・矢島嘉蔵が死去し、遺言によってその存在が発覚した身重の愛人・浜田文乃と嘉蔵の娘である三姉妹(矢島藤代・千寿・雛子)、更に彼女たちの叔母芳子や矢島商店の大番頭宇市、藤代の踊りの師匠である芳三郎らの思惑も絡まりあい、彼らの間で繰り広げられる莫大な遺産の相続を巡る凄絶な権謀術数のさまが描かれる。しかし、最後に笑うのは彼らが予想もしなかった人物であった」

 私のような庶民にはまったく関係のない巨額の遺産相続をめぐる醜いばかりの騒動が描かれている。こうしたことは表面には出ないまでも現代においても見えない暗闘がそこここで行われているのでは?と思うと興味深い物語の展開であった。

   

◆「花のれん」(1958年 2分冊)

 この作品は前述したように1958年上半期の直木賞受賞作品である。

 作品は主人公・多加が船場の呉服問屋に嫁ぐのだが、夫が商売に身が入らず道楽に身を費やし、ついには相場に手を出して店を倒産させてしまった。窮地に陥った夫と多加は、夫が道楽で通った寄席小屋の経営に乗り出した。多加は才覚を発揮して懸命に夫を助け、商売も軌道に乗ったかに見えたが、そうなると夫はまた道楽癖がでてしまい商売に身が入らない。そんな中、夫が急死してしまう。窮地に陥った多加だったが、夫の枷が外れた多加は一層商売にのめり込み、次々と寄席小屋を増やし、やがて大阪一の寄席経営者と成り上がったのである。ところがせっかく築き上げたものも戦争によって全てを失ってしまう。

 山崎の作品としては「暖簾」に続く第二作目であり、本当の初期の作品である。後期の作品と比べると、内容的にはまだまだ底の薄さを感ずる。しかし、物語としては面白い。それが直木賞受賞に繋がったものと思われる。多くの直木賞受賞者がその作品が最高の作品だった場合が多いのではと思われるが、山崎のそれはあくまでその後の大成のキッカケになったに過ぎないところに彼女の器の大きさを見る思いである。

 山崎豊子の作品はまだまだある。ぜひとも全ての作品に目を通したいと思っている。