田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ふるさと動画視聴会 名寄市・中頓別町

2020-02-12 18:29:40 | 「めだかの学校」関連

 名寄市は道北の基幹都市の一つである。また、中頓別町は名寄市よりさらに北に位置する酪農が中心の町である。しかし、ご多聞に漏れず両市町ともに過疎化の波は容赦なく襲い、両市町ともに過疎化阻止のために奮闘しているようである。

 2月10日(月)午後、シニアの生涯学習グループ「めだかの学校」の「ふるさと動画視聴会」の第5回目は名寄市と中頓別町が取り上げられた。用意された動画(道立図書館所蔵のフィルム)は名寄市が1964年、中頓別町が1965年制作のものだった。それに加えて担当者が現在の両市町の様子を映す動画を用意してくれ、それを会員と共に視聴した。

      

      ※ 名寄市の位置です。文字どおり道北の基幹都市です。

 1964(昭和39)年当時の名寄市は画面から伺うにはとても活気が漲っていた街のように映った。というのも、当時は国鉄の基幹駅として、宗谷本線が通り、さらには名寄本線深名線の始発駅(両線ともに現在は廃線)であったり、自衛隊の駐屯地としても栄えたり、林業の集散地として木材工場もたくさん稼働していたようだが、それらはすべてが縮小したり、廃業したりして、1960年当時48,000人強を数えた人口も、60年後の2020年には27,000人余に減少している。

         

※ 名寄市のカントリーサイン。名寄市の名物の米、もち、ひまわり、星がデザインされています。

 北海道の地方都市はどこも例外ではなく過疎化の波に洗われている。名寄市の現代を写す映像では、広大なひまわり畑を長々と紹介したり、サンピラー現象を売り出すなど、景観を売り物に観光業に力を入れようとしている市の姿勢がうかがえた。面白かったのは、市の過疎化阻止に直結するかどうかは分からないが「なよろ煮込みジンギスカンのうた」とか、「なよろ温度(音頭ではない)-宴会風バージョン」と称する、パロディー風のPR動画が紹介された。

      

      ※ 名寄市が売り出している広大なひまわり畑です。

 ジンギスカンのうたの方は北海道が制作したそうだが、北海道もずいぶん考え方が柔らかくなったものである。また、なよろ温度の方は名寄市長自らがピエロ役を演ずるなど、両者ともに現在名寄市に住んでいる人たちが楽しめる、住んでいることに喜びを感じてもらうことをねらった動画だと解した。

   

   ※ サンピラー現象も名寄市名物の一つです。

 

       

       ※ 名寄市からそれほど離れていないに中頓別町の位置です。

 一方、中頓別町も同年代(1965年)に制作されたものだったが、中頓別の場合は1889(明治31)年に町内の川から砂金が見つかったことから一時ゴールドラッシュに見舞われ川の周辺には8,000人の集落ができるほどだったことが動画で紹介された。

          

   ※ 中頓別町のカントリーサインはその昔ゴールドラッシュを招いた砂金採りの様子です。

 しかし、それも長くは続かず統計でみると1920年代には8,000人を越えていた人口が2020年には1,681人まで減少している。北海道には中頓別町のような小規模自治体が数多く存在しているが、こうした自治体は今後どのようにして生き残っていくのか大きな課題を抱えているということが言えるだろう。

 そのことに対する一つの試みが現代を写す動画の中に見て取れた。それは若者たちへの移住の勧めである。「Nターンズ 私たちはこのマチで暮らし始めた」という動画では5人の若者が中頓別町に移住し、生き生きと活躍している姿を写し出した。また、もう一つの動画「中頓別町PR映像」でも中頓別に移住した3組の若夫婦を紹介し、子育てにやさしい町をPRしていた。二つの動画を視聴して、都会の生活に飽き足らず中頓別のような田舎に移り住む若者がいることに驚き、心強く感じた。(私の場合は年老いていたこともあり逆コースとなったが…)

       

       ※ 中頓別町にNターンした若い酪農家のご夫妻です。

 もう一本の動画が印象的だった。その動画とは「天北線廃線から26年駅跡をめぐる」というものだった。町を縦貫していた天北線が廃止となって26年も経つのに、駅舎が遺されていたり、ホームや鉄路がそのままだったりしたところがあった。また、駅舎が建て替えられて地域のコミュニティセンター的役割を果たしているところもあった。こうした光景を見るにつけ、人々は鉄道が地域から消えたことに対して大きな喪失感を抱いているだろうことが伺えた。「私たちの地域にはかつて鉄道が走り、たくさんの人たちが行き交った」のだと…。

 過疎化は日本全体が抱える大きな課題である。日本全体の人口が縮小することはもはや避けられない現実であると伝えられている。としたとき、その衝撃を最小限にして新たなる道をどう創っていくかが各自治体、ひいては日本全体にとって乗り越えねばならない大きな課題なのだと思う。