田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道のオリンピアン大集合!

2020-02-18 13:59:30 | 講演・講義・フォーラム等

 北海道出身のオリンピック出場経験のあるオリンピアン(北海道オール・オリンピアンズ)が集合し、札幌冬季オリンピック・パラリンピック2030の開催をアピールした。はてしてオリンピックは近づいたのか?

        

 2月15日(土)夕刻、札幌市教育文化会館において「指定都市市長会シンポジウム in 札幌」が開催され参加した。政令都市の市長会とオリンピック・パラリンピックがどう関連があるのか?一見分かりづらいところがある。ただ、指定都市市長会の会長の林文子横浜市長の言によると、札幌市のオリンピック・パラリンピックの開催立候補を指定都市市長会として後押ししようという趣旨と受け止めた。

 シンポジウムのプログラムは次のとおりだった。

 ◆「北海道オール・オリンピアンズトーク」

   ◇阿部 雅司 氏(ノルディック複合 冬季五輪3度出場)

       

   ◇鈴木  靖 氏(スピードスケート サラエボオリンピック)

       

   ◇成田郁久美 氏(バレーボール アトランタ、アテネオリンピック)

       

   ◇藤田 征樹 氏(パラ自転車 夏季パラ五輪3度出場)

       

   ◇本橋 麻里 氏(カーリング 冬季五輪3度出場)

       

 ◆橋本聖子オリンピック担当大臣メッセージ

       

 ◆クロストーク

   ◇橋本 聖子 氏(スピードスケート・自転車 夏季・冬季五輪計7度出場)

   ◇小塚 崇彦 氏(フィギアスケート バンクーバーオリンピック)

   ◇林  文子 氏(指定都市市長会会長 横浜市長)

   ◇秋元 克広 氏(札幌市長)

       

という三部構成だった。

 オリンピアンズトークの中で、「北海道オール・オリンピアンズ」についての説明があった。当初はオリンピック体験者で作られた組織だったが、その後パラリンピック、スペシャルオリンピックス(知的障碍者)、デフリンピック(聴覚障碍者)の出場体験者も加え、現在451名が会員となっているとのことだった。

 その後、登壇した5人のオリンピアンは自分がオリンピック、パラリンピックの出場体験を語ったが、残念ながら心に残るような発言は聞かれなかった。そう感じたのは、私が聞き下手だからだろうか?

 続いての橋本オリンピック担当大臣のメッセージは聴衆の心をとらえた見事なものだった。持ち時間の約40分間、原稿なしで滔々と語る姿が印象的だった。おそらく多くの場で発表・発言する機会があるからかと思われたが、自分はオリンピックの申し子のようにして生まれ、親の期待も背負いながら努力した結果、スピードスケート、自転車の両種目で7度の出場を果たしてのだから説得力があった。また選手を引退後、3度のオリンピック選手団長を務めたということだが、その中で「ナショナルトレーニングセンター」の設立に関与したという。そのトレーニングセンターは異種競技の選手たちの交流が盛んとなり、そのことが日本選手の競技力向上につながっていることを強調された。

 オリンピックは〔する〕〔見る〕〔支える〕の三者が相互に関わって成り立っているとし、橋本氏は〔支える〕立場から、来る東京オリンピック・パラリンピックにおいては成熟したオリンピック都市の姿を提示したいと語った。

 橋本氏は直接、札幌冬季オリンピックについて言及はしなかったが、北海道出身者として、冬季オリンピック出場体験者として、また北海道オールオリンピアンズの創設者として言外に強く札幌冬季オリンピック・パラリンピックの実現を後押しする気持ちを滲ませていたと受け止めた。

 クロストークで印象的だったのは、林文子横浜市長の発言だった。2030年というは林氏は83歳の高齢になると懸念しながらも、1972年の札幌冬季オリンピックのテーマソング「虹と雪のバラード」が強く印象に残っている発言され、「あの高揚した気持ちを再度日本の中、北海道の中に再現してほしい」と話された。

 札幌市は、先日のスペシャルオリンピックスのトークショー、2月16日のさっぽろスノースポーツフェスタ、そして今回のシンポジウムと札幌冬季オリンピック・パラリンピック2030の実現に向けて雰囲気づくりに懸命のようである。というのも、現在のところ道民あるいは札幌市民の支持率が50パーセント前後に留まっているとメディアが伝えているからだ。最近のオリンピック開催都市の決定には住民の支持率が大きく左右しているとも聞く。関係者の努力によってぜひとも支持率の向上を目指してほしい。

 私は1972年の札幌冬季オリンピックの際は道東に住んでいて、その熱気を直接感ずることはできなかった。2030年というと私自身かなり高齢となっているが、ぜひともその熱気を直接自分の肌で感じたいと思っている。