田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北大講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか」第3回

2021-06-19 18:50:31 | 大学公開講座

 我が国では「南海トラフ地震」の発生について声高に語られることが多いが、本講義において「千島海溝超巨大地震」や「日本海溝地震」など、北海道が直接影響を受ける巨大地震が切迫していることに対して警鐘を鳴らされた講義だった。

 ※ 本稿で使用した写真は、一枚目以外は全てウェブ上から拝借した写真です。

          

 北大の全学企画である公開講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか 備えるの第3回講座が6月17日(木)にオンラインで配信された。

 第3回講座は「北海道を襲う超巨大地震にどう備える?」と題して、北大理学研究院附属地震火山研究観測センター教授高橋浩晃氏が講義を担当された。

    

 高橋氏はまず「地震を予知することは不可能である」と述べられた。風水害は事前情報がもたらされ予知が可能であるのに対して、地震の場合は突発的であり予知することは不可能であると断言された。(だから “備え” が大事であるとの講義の趣旨と理解した)

 現在北大では、理学・工学・文学の各研究院が横断的・統合的に地震研究を推進しているが、それによるとマグニチュード9(以下M9と表記)クラスの「千島海溝超巨大地震」が切迫しているという見方で一致しているという。M9というと3年前の北海道胆振東部地震がM7だったが、地震エネルギーはその時の実に1,000倍というとてつもなく巨大なエネルギーだという。そのエネルギーは「全道一円でこれまで経験したことのない強く、長い揺れが続く」とされ、さらには太平洋沿岸では20mを超える巨大な津波にも襲われると高橋氏は指摘した。そしてその切迫度はここ30年以内で最大40%の確率であるとされた。

    

 こうした巨大地震に見舞われることが想定される中でどうした “備え” が必要かという点について、高橋氏は①命を守る②地域経済を守る、という2点の備えが必要であると強調された。

 そしてここからが高橋氏が単なる科学者ではなく、総合的に地震の危機を訴える科学者ではないかと敬服した点である。高橋氏は “備え” の中の①については、ある程度全道各地の自治体でもその対応策が進められているのではないかとしたが、高橋氏は問題は①と共に、②も非常に重要であると強調された。というもの、北海道の場合は「島」であることで、津波によって太平洋側の港湾が壊滅的な打撃を受けると、本州との物流がストップしてしまうと指摘した。それは北海道にとって死活問題であると指摘された。だからこそ、そのことに対する “備え” を今から十分にしておくことこそが重要であると強調された。

     

 私は2016年に富士山登山のSea to Summitで富士市を訪れた時に、海岸近くに高さ10数メートルもの「津波避難タワー」を見たことがあった。私にとっては初めて見る造形物であった。来るべき「南海トラフ地震」への “備え” であろう。事程左様に東海、関西、四国地方などでは、来るべきときに対する “備え” が進められているようである。対して北海道ではその “備え” がまだまだ不足していると指摘と高橋氏は指摘した。

 そして高橋氏は最後に、2011年の「東日本大震災」は想定外だった。しかし、来るべき千島海溝巨大地震は想定済みだと強調された。「想定されている災害にどう対応するのか?」それが問われていると言う。そして発災した後から復興するのではなく、「事前復興」こそが地域を守る重要な視点であると強調され講義を終えた。

 私たちが住む札幌は海岸に面していないから、などと呑気なことは言っておられない。港湾が津波の被害を受けで物流がストップしてしまったなら、私たち道民全体の生活そのものが脅かされる危険を本講義で知ることができた。地震災害への “備え” がどのように進められていくのか、注意深く見守っていくことの大切さを教えられた本講義だった。           

 

 

 

 

 


北大講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか」第2回

2021-06-11 17:24:21 | 大学公開講座

 第2回目の講座は「地球温暖化」に関する講義だった。二酸化炭素の排出量の増大により地球が温暖化していることはもはや紛れもない事実であることを、科学的に裏付ける証拠を次々と提示された講義であった。

 北大の全学企画である公開講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか 備えるの第2回講座が昨日6月10日(木)にオンラインで配信された。

       

第2回講座は「地球温暖化って本当?どんなことが起こるの?」と題して、北大低温科学研究所の大島慶一郎教授が講義を担当された。大島教授は若いころ(1990年代)には南極地域観測隊員として昭和基地に越冬されたり、南極海、北極海など極域での観測に数多く従事したり、近年は南極海航海観測などに参加されるなど、現場を重視した研究を続けられてきた方のようである。

 講義ではまず、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が発表したこの100年間における地球の平均気温の変化を示した。それによると全地球の平均気温の上昇が0.75℃であるのに対して、日本では1.2℃、札幌では2.3℃も上昇したそうだ。このことは、全地球の中で北半球、特にその高緯度地域での気温上昇が激しいという結果を示している。

 続いて、地球の気温が上昇するメカニズムとして、従来は太陽エネルギーを地球が受け、それを適度に反射することによって適正な気温を保っていたものが、大気中に二酸化炭素(温室効果ガス)が滞留したことによって太陽エネルギーの反射を抑えるために太陽エネルギーが大気中に蓄積し引き起こされる現象が気温上昇のメカニズムであることを説明された。

   

   ※ この図は大島教授が提示されたものではありません。同じような趣旨のものを探して貼り付けました。

 ここで大島氏は重要な資料を示された。それは1971年以降、地球が蓄えた熱エネルギーは1年あたり7×10²¹Jということだ。Jの単位が何なのか不明だが、そのエネルギーを換算すると100万KW原子力発電所一基の年間発電量の20万倍以上というのだから、そのエネルギーがおそろしく巨大であることは想像できる。

 その熱エネルギーのおよそ90%は海が吸収しているそうだ。つまり、「地球温暖化」とは「海洋温暖化」のことだと大島氏は強調された。

 その海洋温暖化の象徴が2019年10月の台風19号「スーパー台風」だという。甚大な被害を及ぼした19号台風は、10月になっても海面水温が異常に高かったことが原因だと指摘した。現在も、日本周辺の海面水温は世界平均の2倍以上の速さで上昇しているということで、今後の台風にも十分注意することが必要のようだ。

 さて、こうした「海洋温暖化」は、当然のように南極、北極の氷床や氷塊にも大きな影響を与えていて、極地の万年氷の溶解が続いているという。

 このように大島氏は「地球温暖化」について観測した事実だけを私たちに提示してくれ、そのことの評価はあまり口になされなかった。そのことは受講者一人一人が考えろ、ということなのかもしれない。ただ大島氏は次のような印象的な言葉を発した。「今や科学者の99%は地球が温暖化していることに疑念を挟まない。未だに地球温暖化に懐疑的な見方をする人はほとんどが科学者ではない」と…。

            

             ※ 講義を担当された大島慶一郎教授。

 講義はこの後、地球上の氷が溶解することによって海水の比重が変化し、そのことが海流にも変化を及ぼしていると指摘した。大島氏は地球温暖化、あるいは海洋温暖化による将来予測についてはほとんど触れられなかったが、それは氏の専門外ということなのだろう。

 講義の最後に、大島氏は面白い事実を提示された。それは地球温暖化とコロナ禍の関りについてである。過去60年、地球上の二酸化炭素の排出量は年々増え続けてきていたのだが、2020年はコロナ禍にあって経済活動が大幅に制限されたことによって二酸化炭素の排出利用が前年より6%減少したという調査結果を提示された。このことが地球温暖化にストップをかけるヒントの一つになるのではないか?と投げかけられて講義は終了した。

 非常に明快な説明であったし、私にとっても関心の高い領域だったこともあり楽しい講義だった。


北大講座「ウィズコロナの時代をどう生きるか」第1回

2021-06-05 18:24:31 | 大学公開講座

 北大の公開講座がZoomによるオンライン講座で始まった。第1回目の講座は人獣共通感染症に関する講座だったが、ウィルスの構造に関する素養などない私には難しすぎる講座だった…。

 北海道大学が毎年市民向けに全学企画として実施している「北海道大学公開講座」が昨年の中止を挟んで2年ぶりに開講された。その実施方法が Zoomによるオンライン講座での実施だった。私にとってZoomの使用は始めての体験だったので緊張したが無事に受講することができた。

 全学企画の本講座は、北海道大学の各学部から講師を派遣し、一つのテーマについて論ずる全8回の講座である。今年のテーマは「ウィズコロナの時代をどう生きるか 備えると設定された。

        

 そしてその第1回の講座が一昨日6月3日(木)に実施された。第1回講座は、北大名誉教授でユニバーシティプロフェッサーを務める喜田宏氏「パンデミックインフルエンザに対する備えはできた」と題されて講義された。喜田氏は人獣共通感染症に関する国内第一人者で、今年3月に北大に「人獣共通感染症国際共同研究所」を創立させた方だという。

   

 講義の冒頭、現在世界中でコロナウィルス感染症が猛威をふるっているが、過去に発症したSARS、MERS、エボラ出血熱、等々…、これらはすべて自然界において野生動物に被害を及ぼすことなく寄生、存続してきた微生物だった。ところがこれら微生物が時に家畜や家禽、そしてそこからヒトに伝播されて引き起こされた人獣共通感染症であると説明された。このことの背景は、人間社会が経済活動を進める中で野生動物の生活領域まで進出し、野生動物の生態系と行動圏を攪乱したことによって、病原体が家畜、家禽と接近し、ひいてはヒトに伝播した結果であるとした。このあたりのことについては、私にも十分に理解でき、最近はこうした時代に入った地球のことを「人新世」と呼称し始めたことに私も注目していたところだった。

         

 しかし、講義の方はここからが大変だった。そもそも「パンデミックインフルエンザ」とは、私たちが新型コロナウィルスの誕生前に体験した季節性インフルエンザと理解した。喜田氏はそのインフルエンザの病原体が野生生物から家畜・家禽を通じてヒトに伝播するメカニズムを解明したということのようである。講義はその解明にいたるウィルスの構造 や伝播のメカニズムについて説明されるのだが、残念ながら素養のない私にはまったく理解できるものではなかった。

 難解だった講義の中で私が理解できたことは、喜田氏がこれまで研究されてきた人獣共通感染症とコロナウィルス感染症には大きな共通性があり、自然宿主である野生動物に寄生している微生物について散策し、性状解析を行い、データベース化することがこれから 発生するであろう新たな人獣共通感染症に対する備えになるということだった。

 それにしても私には難解な講座だった。これまで受講した経験から全て今回のようでないことを知っている。第2回講座以降はもう少しまともなレポができるのでは、と自分自身に期待しているのだが…。                                       

 


義足ランナーが健常者を抜く日

2020-02-15 14:10:09 | 大学公開講座

 義足ランナーがオリンピックアスリートより速く走るって??そんな野望を抱いてスポーツ(競技用)義足の研究・製作に励むエンジニアのお話を聴いた。それとともに、ロボット義足の開発のお話でとても興味深いお話を聴いた。

        

2月13日(木)夕刻、北海道科学大学において公開講座「義足ランナーが健常者を抜く日」~スポーツ義足製作の舞台裏~」と題して(株)Xiborg(サイボーグ)社長である遠藤謙氏の講演を拝聴した。遠藤氏は北海道科学大学保健医療学部義肢装具学科の客員教授を務められていることから今回の公開講座が実現したようだ。道科学大に義肢装具科という学科があることを初めて知った。

     

     ※ 講演をされる遠藤謙氏です。

 遠藤氏はもともとロボットを研究するエンジニアであり、義肢とは関りはなかった。しかし遠藤氏が留学したMITで出会ったHogh Herr教授の「世の中に身体障害などない。ないのは技術がないだけだ」という言葉に刺激を受け、ロボット義足の研究の世界に足を踏み入れたということだ。ロボット義足とは、脚がまったくないような人にロボット技術を駆使して脚の動きを再現させて歩かせるようにする義足である。

 そのロボット義足を遠藤氏はあの乙武洋匡氏に装着するプロジェクト「Ototake Projekt」に取り組んだという。乙武氏とは「五体不満足」という本を著し、一躍時の人になった方で、四肢がまったくない人である。その乙武氏に脚を作って歩かせるという相当に困難なプロジェクトである。そのプロジェクトの進展過程を動画でもって見せていただいた。2年間のプロジェクトで試行錯誤を重ねる中で、乙武氏は20mを独力で歩くことを実現させた。まったく両脚のない乙武氏がかなり不安定な歩き方ながらも一人で歩ききった姿を、見ることができたのは感動ものだった。

    

  ※ Ototake Projectはまず乙武氏が義足に慣れるため、脚の短いものから始めたという。

    

    ※ 完成したOtotake Modelを横に置いた乙武氏です。

    

 ※ 完成したロボット義肢を装着した乙武氏と開発に携わったメンバーです。遠藤氏は右端。

 ロボット義足の研究と共に、遠藤氏はスポーツ義足の研究にも取り組んでいた。スポーツ義足とはパラリンピックが脚光を浴びていることから、お分かりの方が多いと思われるが、義足が金属製のバネで作られているものである。パラリンピックの選手たちは脚がないだけで、他はアスリートそのものの能力を有する選手たちである。その短距離の選手たちは用具の進歩もあって今や100mで10秒台に突入する選手も生まれてきているという。

動画を見せていただいたが、彼らの走る姿はアスリートそのものといった感じだった。遠藤氏はそうした選手たちとタッグを組んで、「義足ランナーが健常者を抜く日」を目指して研究を進めているということだった。ばねの形状、材質、義足と残存部位とのアジャストの問題等々、改良の余地はまだまだあるとのことだった。

    

      ※ スポーツ義足の数々です。種目によって、個人によってすべて違います。

            

      ※ パラ陸上の有力選手の前川楓選手ですが、堂々たるアスリート体型です。

 遠藤氏はまた、競技用ばかりでなく、脚を失った人が誰でも走ることができる安価なスポーツ義足の開発も目指しているという。

 パラリンピックの選手たちの躍動の陰に遠藤氏たちのような研究者の存在があることを改めて教えられた講演だった。


シベリア・サハの暮らしと音楽文化

2020-01-27 17:04:05 | 大学公開講座

 シベリア・サハ共和国では、冬の気温が摂氏マイナス50度にもなるという。一方で夏は40度近くまで上昇するらしい。年間の気温差100度の厳しい自然の中での人々の暮らしとそこで培われた音楽文化についてのお話を聴いた。

          

 1月25日(土)午後、紀伊國屋書店札幌本店のインナーガーデンにおいて「北海道科学大学まちかどキャンバス」が開催され参加した。

 今回の講座は「シベリア・サハでのマイナス50度の暮らしと音楽文化」と題して同大学の荏原小百合准教授が講義をされた。

     

  ※ 赤い部分がサハ共和国で、国土は日本の約8倍の広さだそうだ。

 荏原准教授の専門は「文化人類学、音楽人類学」だそうで、現地の芸術高校で教鞭をとられたりして、何度もシベリア・サハに足を運ばれている方である。リード文にもあるようにサハ共和国は寒暖の差が非常に大きく、厳しい自然環境におかれた国である。冬には、北国に暮らす私たちでも想像するのが難しいマイナス50度にもなる酷寒の地である。しかし、そのような厳しい環境の中でもサハの人たちは逞しく生活しているとのお話を伺った。特に驚いたのは、冬期間には国を横断するように流れるレナ川が氷結すると、そこが国道となり交通の要衝としての役割を果たしているという話には少なからず驚いた。

       

      ※ 講義をされる荏原小百合札幌科学大准教授です。

 サハは現代でこそ、ダイヤモンド、天然ガス、金、その他の鉱物資源が発掘され、採掘、加工も盛んになったそうだが、伝統的には牛馬の飼育によって生活を営んできた民族だということだ。

 そうした生活の中で人々の間に生まれたのが「ホムス」と呼ばれる金属製の口琴である。それはちょうどアイヌ民族が生み出した竹製の「ムックリ」を鉄製に置き換えたような楽器である。荏原氏はご自身の専門分野との関りもありサハ民族の口琴音文化に注目したということだ。

   

   ※ 写真真ん中の三つがケースに収められた「ホムス」です。

 サハは前述したように鉄などの鉱物資源が得られるという地域性もあり、鉄を加工する技術が早くから発達し、そのことがホムスの誕生に結びついたそうだ。荏原氏は実際にホムスを演奏もしてくれたが、その音色は口腔を共鳴させるという共通点があるため似たような音色に聴こえてきた。ただ、ホムスには様々な演奏方法があり、より多様な音色を引き出すことができるようだ。

 ホムスはサハの人々にとって広く普及し、国民楽器とも称されているという。ホムスを演奏する人を「ホムシスト」として称しているらしいが、ホムシストの演奏を「鉄は歌う」、「ホムスは歌う」と人々は敬い、サハの大地の語りとして聴くということだ。

 荏原氏によると、サハの人々はホムスを通じて、〈大地〉→〈鍛冶師〉→〈ホムスの演奏〉→〈聴衆〉→〈大地〉というように自然を再認識するものとして位置付けられているという。

   

   ※ 会場前にはサハ共和国の民芸品などが展示されていました。

 荏原氏は言及されなかったが、ムックリについても造詣が深いようだ。荏原氏は言外にアイヌ民族のムックリもホムスのような存在であってほしいという願いのようなものがあった気がしてならない。


ヘルスサイエンスの話って難しい!?

2019-11-04 19:51:42 | 大学公開講座

 サイエンスという言葉に反応してしまうのだろうか?どうしても私は身構えてしまう。どうやら話が難しいのではなく、私自身の理解力に問題あるのだが、なかなか難しい時間を過ごしてしまった…。

               

 11月3日(日)午後、北大保健科学研究院が主催する「ようこそ!ヘルスサイエンスの世界へ」という講座に参加した。サイエンスに反応してしまう私が、何故参加したのかというと、講座が道民カレッジの連携講座だったことが大きい。

 講座は3本の講座からなっていた。その3本とは…、

 ◇「細胞老化と健康寿命」 生活機能学分野 千見寺貴子准教授

 ◇「神経細胞における情報の送り手と受け手~シナプスはどのように作られ、維持されるのか?~」 生活機能学分野 宮崎太輔准教授

 ◇「医用画像における人工知能~現状と未来~」 医用生体理工学分野 杉森博行准教授

 前述したように、どの講座も私にとっては手強く、適切なレポをする力が私にはない。特に2本目の講座は講師の宮崎氏自身が「いったい何に役立つ研究なのか?」と自嘲するほど、私にとってはちんぷんかんぷんのお話だった。(もちろん研究そのものは人間が神経障害を患った際にそのリハビリに有用なものであるのだが…)

 そこでここでは、中でも比較的私にとって多少理解ができたかな?と思われる1本目の「細胞老化と健康寿命」についてレポートを試みてみることにする。

 そもそもヒトが老化するとは、細胞が傷ついた状態を指すことだという。その傷ついた細胞は一方では細胞が死ぬことなのだが、一方では傷ついた細胞がコピーされることでもあるという。そこでコピーされた細胞を除去する「老化細胞除去薬」(セノリティクス薬)の開発が進められているそうだ。現在その除去薬として3種類の開発が進んでいるという。しかし、コトはそう簡単ではないらしい。千見寺准教授が言うには「細胞が老化しないと病気は回復しない」らしい。う~ん、このあたりが難しい。そこで「病気を回復させつつ、老化細胞を除去する」という二律背反の問題を解決する方策が現在の研究の課題であるそうだ。私のまとめでは何のことやらよく理解できないかもしれない。そこで、千見寺准教授が最後にまとめとして提示したスライドをなんとかメモすることができたので、それを転写することにする。

 1)細胞老化は体をまもるシステム

 2)細胞老化システムが滞ると、老いや病気につながる。

 3)細胞老化を除去する。老化細胞除去薬や細胞老化システムを利用して体を治す細胞治療の開発が進められている。

 4)健康寿命を促進するために、良い老化を保つためには適切な栄養、運動、幸せに過ごすことが鍵。

 4)については、これまで述べてきたことと直接関係することではなく、一般的に流布されている健康寿命を長く保持するために良く言われていることと同様のことである。

 ことほど左様に私にとってヘルスサイエンスのお話は難しかった…。


北大法学科公開講座№4 多文化主義は死んだのか?

2019-09-02 15:43:36 | 大学公開講座

 外国人の移民を積極的に受け入れてきた国ドイツのメルケル首相が「多文化主義は死んだ」と発言したという。しかし、講師はこの言に疑問を呈する。はたして多文化主義は死んだのだろうか?

 ※ 石狩川河岸遡行トレッキング関連の投稿が続き、8月末に終えていた「北大法学研究科」の公開講座のレポが遅くなってしまった。遅ればせながら最終講義の内容をレポする。

 北大法学研究科附属高等法政教育研究センターの公開講座「外国人の流入と日本社会の変容」の最終回第4回講座はお盆休みを挟み8月22日(木)夜に開講された。第4回目は北大大学院法学研究科の教授で、高等法政教育研究センター長である辻康夫氏「多文化主義政策の妥当性をめぐって」と題して講義された。

               

 辻氏はまず「多文化主義」ついて「文化的・民族的マイノリティの文化・コミュニティを尊重・支援し、全体社会への統合を図る考え方」と規定し、講義を進められた。多文化主義に対して、移民を自国に同化させようとする「同化主義」があるという。(私の理解ではフランスは同化主義を取っていると聞いている~辻氏から伺たのではなく)

 この後、辻氏はマイノリティ集団の存在の必然性や、同化主義の問題点などについて触れ、多文化主義の必要性を強調された。

 辻氏の講義を拝聴していて、私はメルケル首相率いるドイツが長年にわたって多文化主義に基づく移民政策を実施してきたが、近年台頭してきたヘイトクライムの多発や、それに和する国民の増加に抗しきれなくなり「多文化主義は死んだ」というようなことを発せざるをえなくなったのではないか、と察したのだが…。また、イギリスのジョンソン首相の誕生も多文化主義が危うい状況となっていること、などなど。辻氏ご自身がこうした状況に危機を感じられているのかと思われた。

 辻氏の講義は19世紀から20世紀前半の差別的同化政策の弊害を述べられるなど、多岐にわたって人間の差別の歴史社会の病理について述べられ、同化主義の誤りを正した。ただし、辻氏は「多文化主義は万能薬ではない」とも述べられた。例え多文化主義を取ったとしても、「文化」のあつれきがあったり、差別は依然として存在したりするという。また、他国に定住したムスリム・コミュニティの内でのあつれきも存在するという。

 世界のグローバル化、人々の流動化がますます進む中において、もはや同化主義は受け入れられるはずがなく、多少の問題は内在しつつも世界は多文化主義を死なせてはいけない!というのが辻氏の結論であると受け止めた。その多文化主義の問題を解決するためには、①文化のすり合わせ、②差別の防止、③ローカルなムスリム・コミュニティへの包摂、④国際関係改善の努力、などが必要とした。 

 全4回の講義を通して、高等法政教育研究センターは出入国管理法の改正をはじめてして、今後移民制度が我が国に導入されることは避けて通れない道と判断されているように感じた。そのうえで、外国人をどのように受け入れていくべきかについて論じた講義と受け止めた。

 一方で、私が購読している月刊誌「文藝春秋」の8月号の巻頭エッセー(?)において作家で数学者の藤原正彦氏がタイミングよく「ヨーロッパの轍」という一文を寄せている。藤原氏は自らの体験も踏まえて、多文化主義を推し進めたヨーロッパ各国においていかに疲弊が進んでいるかを述べられ、我が国の外国人出入国管理政策について疑問を呈している。

 高等法政教育研究センターの考え方も、藤原正彦氏の指摘も頷ける部分がある。はたして我が国が今後どのような道を辿っていくのか、一人の国民としてこの問題に関心を持ち続けたいと思っている。

 


北大法学科公開講座№3 外国人の流入で犯罪は増えるのか?

2019-08-26 19:07:49 | 大学公開講座

 久しくレポートを失念していた。講師は外国人の流入増加によって犯罪が増えると考えるのは被害妄想ではないか、という。日本の社会の中に外国人労働者が定着できるようなシステムを構築できれば犯罪リスクは減少させられる、というが…。 

 しばらくこの講座のレポを怠っていた。すでにこの講座は8月22日に第4回目の講座を終え、講座全体が終了している。慌てて、3回目、4回目の講座をレポしようと思う。

 

 北大法学研究科附属高等法政教育研究センターの公開講座「外国人の流入と日本社会の変容」第3回講座は8月8日(木)夜に開講された。第3回目は北大大学院法学研究科の准教授佐藤陽子氏「外国人犯罪:その現状と課題」と題して講義された。

      

      ※ 講義を担当された佐藤陽子准教授です。

 佐藤氏はまず、日本国内における犯罪発生数について概観した。それによると、我が国では平成に入り窃盗事件を中心として犯罪発生件数が増加したが、平成15年を境にして近年は激減の状況を示している。そして殺人や強盗、窃盗などの発生率を諸外国と比較すると、我が国は圧倒的にその発生率が低いことを示している。我が国が世界的に見て“安全な国”という風評を裏付けている数値を確認することができた。

      

      ※ 我が国における犯罪検挙数の推移を表したグラフです。平成15年がピークになっていますね。

 そうした中で、在留外国人の犯罪数の推移を見てみると、やはりこちらも平成15年を境にして減少傾向にある。このことは、在留外国人が年々増加の一途を辿っていることを考えると、外国人の流入によって犯罪が増える、という言説は当を得ていないということができる。ただ、気になる数字がないわけではない。それは、窃盗など数値は減少傾向であるが、傷害・暴行などの検挙件数が伸びていることだ。これは、在留外国人が貧困などの問題を抱えているケースが多いのではないかと佐藤氏は分析した。

      

      ※ 外国人による検挙件数、人員の推移を表したグラフです。

 ここで講義は、諸外国のケースへ移行した。ここで佐藤氏はオーストリアにおける諸外国からの労働者の犯罪の実態について調査した結果を述べられた。現地語(ドイツ語?)でのデータのため、私にはイマイチそれを解読することができなかったが、結論としては「若い・男性の多い移民労働者は、必然的に犯罪を犯しやすい層になるが、犯罪を犯す割合自体はオーストリア人の若い・男性と変わらない」という結論だった。

 このことから、佐藤氏は表題の命題に対して、次のように結論付けた。

 ①若い男性の労働力を受け入れる以上は犯罪の増加は一定程度見込まれる。

 ②しかし、外国人労働者が社会に定着できれば、犯罪リスクは減少させられる。

 ③再犯防止のためのシステムがあれば、より犯罪の増加は防げる。

 ④最初から犯罪行為を行うつもりの者を見極め、受け入れないシステムの構築も必要。

とした。

 私たちは外国人労働者というと、それを受け入れた経験が乏しいためにどうしても警戒心が先に立つ。しかし、我が国の世界に類を見ない犯罪発生率の低い“安全な国”で説渇することになる外国人を、上手に日本のコミュニティーの中に“包摂”することができれば、それほど心配することではない、と佐藤氏は言われたように感じた。いずれにしても、これからの日本は変わらざるを得ない未来が待っているともいえる。そうした中で、私たち自身がどう変わっていかねばならないのか、それが問われているようにも思う。 

※ いつもそうであるが、こうした講義のルポの場合、講師が意図されたことと私の解釈に齟齬が生じている場合が考えられる。いずれも私自身が講義を拝聴して解釈し、判断したことであることをお断りしておきます。


北大法学科公開講座№2 外国人の流入にはプラグマテックに!

2019-08-06 19:48:42 | 大学公開講座

 世界はすでに自国以外に居住する人が2億5千万人を超え、グローバル社会に突入しているという。そうした中、日本も例外ではなく外国人の流入は避けられない状況の中で、私たちはそのことをどう考え、どう対応すべきかについてお話を伺った。

  北大の法学研究科附属高等法政教育研究センターの公開講座「外国人の流入と日本社会の変容」第2回講座が8月1日(木)夜に開講された。第2回目は北大大学院法学研究科の教授の尾崎一郎氏「異文化/他者といかに向き合うか」と題して講義された。

             

 尾崎氏はまず、前回の遠藤氏同様、日本における在留外国人の現状について話された。それによると、在留外国人全体で260万人、うち労働者170万人であり、17年~18年の1年間で10万人が増加しており、加速度的に流入する外国人が増えていることを指摘された。

 それでも現状では日本人に対する外国人の割合は2%程度だという。これが積極的に外国人労働者や難民を受け入れているドイツではすでにドイツ国民の23%が外国人だそうだ。23%ということは4人に1人近くが外国人ということになる。そうしたことから、ドイツの中では危機感を感ずる層が生まれ、そうした層が外国人排斥運動を展開していることがメディアで伝えられるようになった。日本において、果たしてどの程度まで外国人を受け入れていくのか、という議論はまだなされていないが、少なくとも今後ますます増えていくことは容易に想像される。

 そうした中で流入外国人(移民)をどう受容するか、について二つの道があるという。一つは、良好な包摂 ⇒ 魅力的な社会 ⇒ 移民の増大 ⇒ なお一層の包摂…(努力して良くなれば、より努力しなければならない)

 もう一方は、排除/敵対 ⇒ 周縁化・分断 ⇒ 排除/敵対…(排除しようとすれば、より排除に傾注しなければならない)

 このようにどちらの方法を取っても受容する側にとっては困難が待っているという。そのことを尾崎氏はlesser evilの選択」と表現した。その意味するところは「どちらも悪い選択肢のうちで、まだましな方法を選択しなければならない」という意味だそうだ。

 私の理解では、ドイツは「良好な包摂」の方法を取ったが、その結果移民の増大を招き、そのことによってドイツ人自体がより努力しなければならない状態となったことに対してドイツ国民の不満が増大している状況にあると私は理解している。

 対して、フランスは移民に対して同化主義を取っているそうだ。いわゆる「郷に入っては郷に従え」式であるが、これも成功しているとは言い難いという。

 それではどうすれば良いのか?世界的に明確な成功モデルは存在しないようだ。そうした中、尾崎氏は「教条的にではなく、プラグマテックに!」と提起した。このことは、流入外国人に対して、それぞれの国の文化の根幹に触れる部分については教条的にはならずに寛容に接し、その他の部分については実利的・実際的に接しながら包摂していくことではないか、と尾崎氏は言われたと私は理解した。いずれにしても、前述したように流入外国人は今後増加傾向にあることは間違いない。そうした中で、我が国にとっても、流入外国人にとっても、プラスとなるウィンウィンの関係をどう築いていくのかが大きな課題となってくるようだ。


ケータイ、スマホの功罪

2019-08-03 11:10:40 | 大学公開講座

 現代人にとって今や手離すことなど想像もできないケータイやスマホだが、その負の面についてはいろいろと取りざたされている。今回、改めてケータイやスマホが抱える負の側面について考える機会を得た。

      

 8月1日(木)午後、北海道経済センターホールにおいて「中央大学学術講演会」なるものが開催され、参加した。講演会は「ケータイ、スマホで「思考力」があぶない!~便利ツールの負の側面を考える~」と題して、中央大学理工学学部教授の加賀野井秀一氏が講演した。

 加賀野井氏ははじめケータイ、スマホに頼る若者の姿を次のように描写された。

 若者の異常なスマホ利用の実態(女子高校生のスマホ利用が一日7時間にも及ぶといった実態など)、イヤホーンやヘッドホーンとの組み合わせでコクーン(繭)状態に入り込んでいる若者、等々…。つまり、日本の若者たちは孤の世界に入ってしまい、社会性が育っていないと…。

 また、ケータイ、スマホに時間を割かれ、読書や新聞を遠ざけてしまっている若者。読書をしない者には抽象概念、複雑思考が育たない。新聞を読まない者は、スマホのニュースサイトから好きなことだけ検索して満足し、総覧性が失われる。その結果、右翼はますます右翼に、左翼はますます左翼に傾く傾向を生んでいる。人々の中で共通教養が喪失し、世界観を醸成することができなくなっている、と…。

                    

 そうしたことが高じてくると、人間は単なる端末となって、スーパーコンピューターに知が集積され、巨大産業や軍需産業に意のままに使用されるという恐ろしい予見まで示された。

 さらにその傾向は、今や若者だけではなく、全ての世代に及び始めていると警告された。確かに電車に乗ると、若者だけではない。老いも若きもすべてといって良いほど人々はスマホと向き合っている。(私も人のことを言えた義理ではないが…)

 そうした現状に対して、加賀野井氏はデジタルデトックスの重要性を説いた。デジタルデトックスとは、一定期間スマホなどのデジタルデバイスから距離を置くことをいう。つまり、デジタルデバイスに縛られっぱなしの生活からひと時でも解放された生活を送れ!ということだ。そして大切なのは「知の遠近法」をどのように作るかということだと強調された。

 「知の遠近法」とは、山口昌夫氏が著した著書で有名であるが、その概念を理解することは私には難しい。ただ、物事を一面的に見るのではなく、複層的に見て、考えることの大切さを指摘したと私は理解する。

 そのためには、日常的に新聞に親しみ、読書に努め、検索する前にほんの少し自分の頭で考えてみることの大切さを加賀野井氏は最後に強調された。

 私自身はまだまだバランスを保った生活をしていると思ってはいるが、知らぬ間にデジタルデバイスに向かう時間を増えてきていること自覚する。加賀野井氏の警告を奇貨として受け止め、自らの生活を今一度振り返ってみようと思う。