ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

デジタルカメラ国内大手6社が販売計画を1050万台減らす記事を読みました

2012年11月24日 | 日記
 2012年11月23日に発行された日本経済新聞紙の朝刊の一面トップ記事は「デジカメ販売1000万台減」でした。デジタルカメラは、グローバル市場に対して、日本企業が競争力を持つ数少ない製品の一つです。

 キヤノン、ソニー、ニコン、富士フイルム、パナソニック、オリンパスのデジタルカメラ国内大手6社は2012年度の販売計画を下方修正し、合計1050万台減らす予定です。当初の計画より、約10%減らすことを決めたそうです。

 デジタルカメラの販売不振の一因は、欧州市場の冷え込みや中国の不買運動などもあるようですが、一番の原因はカメラ付きスマートフォン(高機能携帯電話機)が普及し、コンパクト型デジタルカメラの需要を減らしたからです。

 スマートフォンなどに搭載されるカメラ機能は高性能化し、コンパクト型デジタルカメラの代替として機能すると考えるユーザーが増えたようです。実は、デジタルカメラ国内大手にとっても、コンパクト型デジタルカメラは価格競争が激しく、利益率(事業収益)が低いために、今回の販売台数削減はそれほどの問題ではないと思います。

 問題は、スマートフォンがパソコンを代替し始めたことです。現在のスマートフォンは超小型のパソコンといえる機能をかなり持っています。このため、パソコン向けのCPUの約80%を供給している米国インテルよりも、携帯電話機向けのチップなどを供給する米国クアルコムの株価の時価総額が上回ったという記事が最近、報道されました。

 クアルコムは携帯電話向けやスマートフォン向け、タブレット型向けのチップを供給しており、ついにスマートフォンやタブレット型携帯機器がノート型パソコンに代替し始めたユーザー動向に、株式市場が反応した結果です。

 だいぶ以前ですが、米国IBMのメーンフレームコンピューターが、ミニコンピューターやワークステーションと呼ばれる小型コンピューターに代替されました。1980年代に入ると、そのミニコンピューターなどをネットワークにつながるパソコンが代替し始めました。

 米国アップル社が2007年6月に米国で発売したスマートフォンの「iPhone」は、創業者のステーブ・ジョブズがつくり出したいと考えたパーソナルコンピューターを具現化したものでした。創業時に目指した本来の目標を達成して、ステーブ・ジョブズは旅立ちました。

 デジタルカメラに話を戻すと、デジタルカメラ各社の収益源になっている1眼レフタイプのデジタルカメラは日本が競争力を持っています。レンズなどの光学系が競争力を持っているからです。ただし、日本の大手企業は価格競争に勝つために海外生産を増やしています。



 グローバル市場でいつまで競争力を維持できるかどうかは、コア技術のノウハウ化を維持できるかどうかにかかっています。日本の大手電機メーカーがうまく対応できなかった課題です。この点をどう解決するのか、本物の知的財産戦略の立案が大きな課題になっています。

 スマートフォンの流れに乗り遅れた日本の製造業になんとか競争力を復活させる基盤を築いてもらいたいと願っています。

埼玉県三芳町の指定有形文化財になっている旧池上家は、茅葺き屋根の旧家です

2012年11月23日 | 季節の移ろい
 埼玉県入間郡三芳町の竹間沢という旧農村地帯に茅葺き(かやぶき)屋根の旧池上家住宅が保存されています。旧池上家住宅は三芳町指定有形文化財になっています。

 元々あった場所に近い、現在の歴史民俗資料館の敷地内に移築されて保存されています。

 この旧池上家住宅は江戸時代末か明治時代初めに建てられたと推定されています。江戸幕府の農村支配が緩んだころに建てられた豪農の家だそうです。当時としてはかなり大きな規模の住宅だそうです。



 茅葺きの屋根の寄せ棟造りで、建坪が66坪(約218平方メートル)で住居部分は3行・3列の9部屋の構成になっており、その隣りは台所や作業部屋です。

 台所には竈(かまど)が、作業部屋には作業用の道具が飾られています。





 当時の雰囲気を醸し出しています。

 旧池上家住宅の入り口に、菊の花が飾られています。秋の日差しを受けています。



 旧池上家住宅は、柳瀬川の河岸段丘にある斜面林の上側にある麦畑や野菜畑などが点在する純農村地帯に建てられていました。現在も、周囲は大部分は畑ですが、工場や住宅も点在しています。ここ30~40年ぐらいで急激に変化したようです。

 近くの畑にコスモスの花がよく咲いています。





 日当たりがよく、コスモスやキクの花などがよく咲いています。秋の気配が濃厚です。

 一見すると、武蔵野の農村地帯の雰囲気を色濃く残しています。斜面林の近くに「旧鎌倉街道」という案内札が立っています。明治時代までは、ひなびた農村だったようです。

ガンやリュウマチなどを画像診断する医療用診断装置を開発している話を伺いました

2012年11月22日 | 汗をかく実務者
 ガンやリュウマチなどの人体の軟組織の画像診断ができる医療用の診断装置を開発しているお話を伺いました。

 東北大学多元物質科学研究所教授の百生(ももせ)敦さんとコニカミノルタエムジー(東京都日野市)は、位相型X線撮像装置のプロトタイプを医療向けの画像診断装置として開発し、医療機関と臨床研究を始めていると解説しました。


 
 この位相型X線撮像装置の開発は、文部科学省系の独立行政法人である科学技術振興機構(JST)が推進する先端計測分析技術・機器開発プログラムの支援対象の一つとして、位相型X線撮像装置の開発が支援を受けています。

 位相型X線撮像装置は、X線が物質を透過した時に、約1万分の1と微細な角度で屈折する現象を利用するものです。「従来のX線透過画像は、ごくわずかな屈折を無視して、人体の骨などを観察してきましたが、軟骨などの軟組織が観察できるようになると、乳ガン診断などが可能になる」と、百生さんは説明します。



 現行のNMR(核磁気共鳴)装置に比べて、10分のi1程度安い医療用計測機器の実用化を目指す計画だそうです。

 位相型X線撮像装置の開発・実用化は、JSTが推進する先端計測分析技術・機器開発プログラムの要素技術開発タイプ、機器開発タイプにそれぞれ継続して採択され、現在はプロトタイプ実証・実用化タイプ(2010年~2013年)に引き継がれて、開発・実用化が進められています。

 コニカミノルタエムジー開発本部の画像応用開発チームが開発したプロトタイプを利用し、2012年から埼玉医科大学教授の田中淳司さんのチームが関節リウマチ診断向けに臨床試験を開始しているそうです。従来のX線の透過画像診断では識別できなかった関節部の軟骨が画像診断できるようになった成果でそうです。さらに、今後は名古屋医療センターが乳ガンの画像診断の臨床研究を始める予定だそうです。

 位相型X線撮像装置は連続X線を照射し、物質を透過したX線の微細な屈折を計測する仕組みであるために、微細な間隔の格子を利用する仕組みがポイントになるそうです。格子は、微細な間隔に、X線を通さない物質を配置したもので、

 今回はケイ素(シリコン)結晶の上に、半導体デバイスで使うレジストを塗布し、すだれ状のマスクをかけて露光し、すだれ状の溝を作製しています。この細長い溝に、金(Au)をメッキし、すだれ状の溝を金で埋めています。金はX線を透過させない物質だからです。この結果、X線を格子に照射すると、格子のケイ素部分を透過した格子状の並行X線(位相がそろっている)が観察対象に照射されます。観察対象を透過し、微小に屈折した並行X線を、別の格子を透過させると、モアレ現象によって屈折が強調されます。このモアレ現象を起こたX線を、FPD(Flat Panel Detector、平面型画像検出器)によって、入射したX線を電子に変換し、画像として可視化します。



 開発した位相型X線撮像装置は3種類の画像を観察できる(得られた観察画像は画像処理されています)。第一番目は従来のX線透過画像に相当する吸収画像、二番目は屈折したX線のモアレ現象を利用した微分位相画像、三番目はコンプトン散乱を観察する散乱画像です。散乱画像は、線維組織などを観察できる利点があるとのことです。

 コニカミノルタエムジーは「2014年には医療機器として、薬事申請する予定」だそうです。

仙台市青葉区にある瑞鳳殿は、うっそうとした杉木立の中に建っています

2012年11月21日 | 旅行
 仙台市青葉区の霊屋下にある瑞鳳殿(ずいほうでん)は、伊達藩の創始者である藩祖の伊達政宗の“お墓”に当たる廟です。このために、ここの地名が「霊屋下」(おたまやした)と名付けられています。「霊屋」とはお墓の意味のようです。
 
 瑞鳳殿などは、仙台城(青葉城)がある青葉山の一部が広瀬川にせり出した経ケ峯に築かれています。正確には、広瀬川がS字形状に曲がっているのを利用して、仙台平野側に少しせり出した山麓に建っています。

 瑞鳳殿は、寛永13年(1636年)に70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺体を大きな壺に入れ、その壺などを守る建物です。

 瑞鳳殿の入り口に当たる門です。桃山様式の豪華絢爛な建築物です。



  門の裏側に施された装飾です。



 この門の上に設けられた瑞鳳殿です。



 本物は昭和20年(1945年)の戦災で焼失しています。現在の建物は昭和54年(1979年)に再建されたものです。

 少し離れた所に建てられた、二代藩主の伊達忠宗の霊屋となる感仙殿です。



 やはり昭和20年の戦災で焼失しました。現在の建物は、瑞鳳殿に続いて昭和60年(1985年)に完成したものです。仙台藩六十二万石の当時の財力を感じる桃山様式の豪華絢爛な建築物でした。

 瑞鳳殿や感仙殿などの伊達家のお墓が並ぶ霊屋は、うっそうとした杉木立の中に建っています。





 広瀬川からの上昇気流が当たる杉木立の上空に、トンビが多数、飛んでいます。うっそうとした杉木立の中に、多数の野鳥がいます。カケスをちらりと見かけました。エナガも数羽いました。

 霊屋下から瑞鳳殿までは、杉木立の中に設けられた、急な石段を登り続けます。登る途中で、神聖な地に入っていくという気分が高まります。

仙台市青葉区にある大崎八幡宮は、桃山建築の建物が有名です

2012年11月20日 | 旅行
 仙台市青葉区八幡にある大崎八幡宮は、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家が庇護した神社です。神社を囲む鎮守の森は、見事なスギの大木で構成され、荘厳な感じです。

 この大崎八幡宮のルーツは岩手県水沢市にある鎮守府八幡宮だそうです。鎮守府八幡宮は坂上田村麻呂(さかのうえのたむろまろ)が東夷征伐の際に武運長久を祈念して創設したものです。その後、室町時代に、奥州管領の大崎氏が自領内の現在の遠田郡田尻町(現在は宮城県大崎市)に遷祀し、守護神として崇敬したことから、大崎八幡宮と呼ばれたそうです。

 その後、伊達政宗が当時居城だった宮城県玉造郡岩出山城内の小祠(しょうし)に御神体を移し、さらに仙台城を築いた際に、仙台城の鬼門となる乾(北西)の方角に当たる、現在の地に移されたそうです(実際には仙台城の北西ではないと思いますが)。確か、司馬遼太郎の「街道を行く」の中に、新興勢力の伊達家が、奥州の名門の「大崎氏」の名前を残して、大崎氏のご威光を利用したという内容が解説されていた記憶があります。

 本殿に続く拝殿になる御社殿は、“豪壮にして華麗なる”桃山建築の特色が遺憾なく発揮されてると評判の建物です。





 御社殿は国宝です。

 御社殿の手前に建つ長床と呼ばれる建物です。 



 スギの大木が並ぶ鎮守の森の中に、紅葉しているカエデなどの木が目立ちます。





 仙台市民にとっては、大崎八幡宮は、毎年1月14日に開催される「松焚祭(まつたきまつり)」の会場として親しまれています。一般的には「どんと焼き」などと呼ばれる祭りで、お正月に使った門松や松飾りなどを燃やすものです。日没のころに「忌火」によって点火され焚(た)き上げられるそうです。仙台市民には神事が身近なようです。