まりっぺのお気楽読書

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フランス王ルイ10世妃 クレマンス

2009-02-18 21:43:19 | フランス王妃・王女
幸せは続かず・・・
ルイ10世妃 クレマンス・ド・オングリー


1293~1328/在位 1315~1316

マルグリートの死後5日でルイ10世が再婚した相手のクレマンスは
ヴァロア王家の初代王フィリプ6世の従妹にあたります。
父親のカルロ・マッテロはハンガリーで摂政を務め
クレマンスの兄カーロイ1世によって、アンジュー家はハンガリー王位についていました。

      

ナヴァールを手に入れたカペー家は、ハンガリーも! と思ったのでしょうか?
当時のアンジュー家はルイ8世から出ているカペー家の傍系です。
手を拡げようと考えたとしてもおかしくないですね。
それでクレマンスと結婚するためにマルグリートを…?

王妃になったからといって安穏にしていてはいけませんね。
周りの政治情勢や国力のバランスなどを注視していないと足下をすくわれます。
王を上手くコントロールしておかなければ、不要になったら抹殺…
容姿や家柄はさることながら、聡明さが求められる地位なのかもしれません。

さて、ルイ10世とクレマンスの新婚生活ですが
結婚から10ヶ月後の1316年6月、ルイ10世が急逝します。
テニスの試合中冷たい水をゴクゴク飲んだ後苦しみだしたということで
毒殺説もありましたが、赤痢だったみたいです。

当時クレマンスは身ごもっていました。
ルイ10世の弟で摂政フィリプ(後の5世)は
前妻マルグリートとの間に生まれたジャンヌを即位しようという動きにサリカ法で対抗し
11月にクレマンスが生んだジャン王子がジャン1世として即位します。
ところが!0歳の王ジャン1世は生後6日で亡くなってしましました。

その後王になったフィリプ5世は、ジャン1世を死んだ赤ちゃんととりかえて
王位を奪ったという噂が流れ、30年後には自分がジャン1世だと名乗る者も
現れましたが(もちろんすぐ処刑)定かではありません。

             
                 ジャン1世です。
                あどけなさが見てとれますね…地蔵みたい


クレマンスはジャン1世が亡くなるとパリを去り
アヴィニヨンやプロヴァンスで隠遁生活を送った後35歳でなくなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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