ザ・イメージ・オブ・まま母
フェリペ5世妃 イサベル・デ・ファルネシオ
1692~1766/在位 1714~1724、1724~1746
妻としか関係を持たないと決めていた信心深い30歳のフェリペ5世は
マリア・ルイサの死後10ヶ月ほどで21歳のイサベルと再婚しました。
我慢の限界だったのですかね?
フェリペ5世に絶大な影響力を持つウルシノス夫人の同意を得て
枢機卿アルベローニがまとめた縁談でしたが
カルロス2世の強烈な恐妻マリアナの姪にあたるイサベルは、これまたパワフルな
“ Going My Way ” な王妃でして…
イサベルは淑女になるべく母ドロテア・ソフィアにかなり厳しく教育されて
隔離に近い状態で少女時代を過ごしました。
これを教育と呼ぶか虐待と呼ぶかは現代でも意見の分かれるところでしょうが
イサベルは清楚で従順になるどころか、傲慢で強欲な女性になってしまいました。
国境でウルシノス夫人に厳かに迎えられたイサベルは、フェリペ5世に引き合わされると
すぐに影響力を持ってしまい(フェリペ5世って優柔不断だったのかしらね?)
自分には邪魔だと思われるウルシノス夫人を追放してしまいました。
その後イサベルはガンガン政治に口をだしますけど
だいたいがアルベローニの考えによるものでした。
それはサルディーニャやシシリーをスペイン領にしようとするもので
フランス軍がピレネー山脈まで迫った時には勇敢にも自分で軍を指揮したりしています。
勝ってりゃジャンヌ・ダルクみたいに英雄視されたかもしれませんけどね。
結局負けましたのでアルベローニは追放されてしまいました。
また、自分の王子を王にしたいイサベルは、先妻マリア・ルイサの王子が大嫌いでしたが
1724年、フェリペ5世はいきなり退位を決めてしまい、イサベルが止めるのも聞かずに
王位を長男ルイスに譲ってしまいました。
7ヶ月後ルイスが亡くなり、フェリペ5世は復位しましたが病がちで
王妃イサベルは再び好き勝手に国を治めました。
1736年には我が子カルロスがパルマ・シチリア王になりましたが
イサベルはこんなもんじゃ満足しません。
1746年、フェリペ5世が亡くなり、憎たらしいフェルナンド6世が即位しましたが
彼には嫡子が無かったので、イサベルの「我が子をスペイン王に!」の野望は消えません。
継子の王からやんわりと宮廷から追い払われた彼女は、グランハ宮殿で今か今かと
その時を待ちわびます。
待つこと12年、フェルナンドは嫡子が無いまま亡くなり、我が子カルロスがついに
カルロス3世としてスペイン王に即位しました。
けれど67歳のイサベルは既に衰えがはげしくて王宮へはもどらず
グランハ宮殿とアランフェス宮殿を行ったり来たりして過ごし、1766年に亡くなりました。
“ 大奥 ” でもありましたねぇ、自分の息子を殿にする… やっぱりそうなりますか?
母親の業なのでしょうか?
まあ、毒殺しようとしなかっただけ人道的とも言える…
当時の王の再婚は当たり前で、先妻の子を可愛がる立派な王妃もいたんだけど…
うちの母方のおばあちゃんは継母でしたけどすごくいい人だったし
母もそのことでイヤな思いをしたことは一度もないと言ってます。
『白雪姫』とか『シンデレラ』がどうも悪いイメージをつくっちゃったわよね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
フェリペ5世妃 イサベル・デ・ファルネシオ
1692~1766/在位 1714~1724、1724~1746
妻としか関係を持たないと決めていた信心深い30歳のフェリペ5世は
マリア・ルイサの死後10ヶ月ほどで21歳のイサベルと再婚しました。
我慢の限界だったのですかね?
フェリペ5世に絶大な影響力を持つウルシノス夫人の同意を得て
枢機卿アルベローニがまとめた縁談でしたが
カルロス2世の強烈な恐妻マリアナの姪にあたるイサベルは、これまたパワフルな
“ Going My Way ” な王妃でして…
イサベルは淑女になるべく母ドロテア・ソフィアにかなり厳しく教育されて
隔離に近い状態で少女時代を過ごしました。
これを教育と呼ぶか虐待と呼ぶかは現代でも意見の分かれるところでしょうが
イサベルは清楚で従順になるどころか、傲慢で強欲な女性になってしまいました。
国境でウルシノス夫人に厳かに迎えられたイサベルは、フェリペ5世に引き合わされると
すぐに影響力を持ってしまい(フェリペ5世って優柔不断だったのかしらね?)
自分には邪魔だと思われるウルシノス夫人を追放してしまいました。
その後イサベルはガンガン政治に口をだしますけど
だいたいがアルベローニの考えによるものでした。
それはサルディーニャやシシリーをスペイン領にしようとするもので
フランス軍がピレネー山脈まで迫った時には勇敢にも自分で軍を指揮したりしています。
勝ってりゃジャンヌ・ダルクみたいに英雄視されたかもしれませんけどね。
結局負けましたのでアルベローニは追放されてしまいました。
また、自分の王子を王にしたいイサベルは、先妻マリア・ルイサの王子が大嫌いでしたが
1724年、フェリペ5世はいきなり退位を決めてしまい、イサベルが止めるのも聞かずに
王位を長男ルイスに譲ってしまいました。
7ヶ月後ルイスが亡くなり、フェリペ5世は復位しましたが病がちで
王妃イサベルは再び好き勝手に国を治めました。
1736年には我が子カルロスがパルマ・シチリア王になりましたが
イサベルはこんなもんじゃ満足しません。
1746年、フェリペ5世が亡くなり、憎たらしいフェルナンド6世が即位しましたが
彼には嫡子が無かったので、イサベルの「我が子をスペイン王に!」の野望は消えません。
継子の王からやんわりと宮廷から追い払われた彼女は、グランハ宮殿で今か今かと
その時を待ちわびます。
待つこと12年、フェルナンドは嫡子が無いまま亡くなり、我が子カルロスがついに
カルロス3世としてスペイン王に即位しました。
けれど67歳のイサベルは既に衰えがはげしくて王宮へはもどらず
グランハ宮殿とアランフェス宮殿を行ったり来たりして過ごし、1766年に亡くなりました。
“ 大奥 ” でもありましたねぇ、自分の息子を殿にする… やっぱりそうなりますか?
母親の業なのでしょうか?
まあ、毒殺しようとしなかっただけ人道的とも言える…
当時の王の再婚は当たり前で、先妻の子を可愛がる立派な王妃もいたんだけど…
うちの母方のおばあちゃんは継母でしたけどすごくいい人だったし
母もそのことでイヤな思いをしたことは一度もないと言ってます。
『白雪姫』とか『シンデレラ』がどうも悪いイメージをつくっちゃったわよね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
だからか、カルロス3世は、“啓蒙専制君主”をモットーにし、なかなかの名君だったみたいですね。だけども、そんな彼にも気になる事があって、それは、嫡男カルロスの事で、性格は、自身に似ず、父王のフェリペに似通った性格だったらしく、カルロス3世は、そんなカルロスをいっつも怒鳴り付け、“お前は、なんという馬鹿なのだ!”言うのが口癖。カルロス王子が結婚適齢期になり、姪にあたるパルマ公女マリア・ルイーサが嫁いで来て、やれ、めでたい!と国中が歓迎ムードの中、カルロス3世は、このパルマ公女を冷静に見極め、結果、この姪にあたる嫁は、亡母、イザベルの血の濃く流れる、酷く似通った性質の持ち主である、と判断し、息子カルロスが父フェリペ5世の二の舞にならないよう、監視し、厳格に接するのを決意。
マリア・ルイーサは、夫ではなく、この伯父にあたる義父を恐れ、浮気も、夫ではなく、義父の目を盗んで行われていたらしいですね…
あのやたらに人が良い、内気な息子カルロスが、あんなやり手で気の強い嫁を御し切れるわけがない、と自分の死後が心配だったらしく、悪い予感は的中してしまうわけで……