まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『ハロウィーン・パーティー』嘘つき少女、真実を語る

2010-06-06 00:53:35 | アガサ・クリスティ
HALLOWE'EN PARTY 
1969年 アガサ・クリスティ

これは…かなり序盤で犯人が分かってしまいました。
もしかしたら、クリスティの犯人のパターンを覚えてしまったのか? なんてね
でも他にいないんだもの、犯人らしい人が。

ポアロのシリーズにはよく登場する推理小説作家オリヴァ夫人が友人の家に滞在中
近所で催されたハロウィーン・パーティーで殺人事件がおこりました。
殺されたのはジョイスという13歳の女の子で、バケツに顔を突っ込まれていました。

ジョイスはパーティーの準備中「殺人を見たことがある」と言い張っていました。
それが原因だとしたら、その時まわりにいた人が犯人だとしか考えられないですよね?
もう、すぐに分かっちゃうんだから! と思いきや…

ポアロは 村人たちから話を聞き、過去の殺人事件を調べ始めます。
でもジョイスは嘘つきで有名だったから、誰もそんな話信じていませんでした。
それに過去の死亡事件もほとんど関係がなさそうだし…やっぱり子供の嘘?

気にかかるのは、ある老婦人の世話をしていた女性の失踪事件です。
彼女は老婦人から莫大な遺産を遺されていたのでした。
その関係者というのがね、パーティーの日も現場にいたわけです。
怪しーですね? はてさて、その人が犯人なのでしょうか?

そうこうするうちに、今度はジョイスの弟レオポルドが川で溺死しました。
家族を狙った事件にも思えてきますね。
レオポルトは何かをジョイスから聞いていたかもしれないんですよね…

このあたりで完全に犯人が分かると思いますよ。
その他の登場人物も書くと分かっちゃうから伏せておきますね。

物語のクライマックスは『テス』ばりにドラマティックなシーンが展開し
ポアロの「さすが!」な配慮が功を奏して犯人は捕えられます。

手がかりは “ 子供は主役になりたがる ” とでも言っておきましょうか。

それはそれでよいのだが、実は犯人はひとりではないのです。
でもそのふたりの接点がほとんど描かれていないのよ。
そりゃあ少しは書かれていますし、よーく勘ぐれば分かることもしれませんが
そんなに関係が深かったとは…

子供は見たままをしゃべっちゃいますからやっかいですよね?
事件に限らず家庭内のごちゃごちゃをしゃべり散らかされちゃ
たまったもんじゃありません… 子供の前では気をつけなくちゃ。

映像もいいけど、活字はより心理劇が楽しめます
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


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フィレンツェ支配者コジモ妃 コンテッシナ

2010-06-06 00:23:25 | イタリア王・公妃
冠を持たない“ 実質上の王妃 ”
コジモ妃 コンテッシナ・デ・バルディ


1390頃~1473/在位 1434~1464

ヨーロッパの爵位の優劣は、一応 “ 公・候・伯・子・男 ” になっていますけど
公爵の上に大公があります。
王様の次に偉いってことかしら?

ルクセンブルクを始め、キエフ、オーストリア、バーデンなど様々ありましたが
(ちなみにモナコは大公国ではありませんでしたし、今でも違います)
今回はトスカーナ大公シリーズでいこうかしら、ということで
メディチ家がフィレンツェの支配者になったあたりから始めたいと思います。

言わずと知れた大富豪メディチ家は、(一説では)薬屋から身を起こし
大銀行家になり、ローマ教皇を輩出し、大貴族にまでなった家柄です。

後年、君主になってから書かれた年代史では、始祖はカール大帝軍の勇敢な騎士だとか
10世紀以前からの封建貴族だったとか、いろいろ書かれているそうですけど
それは、まあ、ハクをつけるためにちょいと誇張があるんじゃない? ということで…

もとはムジェッロ地方の炭焼きだったという説があります。
しかし13世紀にはすでに農耕地や森を含む相当広大な土地を手に入れていたり
いくつも館を立てたりしています。
今、成功するためのビジネス本を出せば、ベストセラーじゃないですかね?

しかし、どの家庭も三代目、四代目となりゃ…しかも分家が進み
メディチ家内でも貧富の差がでて、抗争や裏切りが続きます。 はしょるけどね…

そんな中、頭角を現し、銀行を “ メディチ・ホールディングス ” 並に大きくして
フィレンツェの政府にくい込んでいったのが、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ、
コジモ・イル・ヴェッキオ(老コジモ)のお父様です。

ジョヴァンニの後を継いだコジモは、支配者になるために生まれたような人でした。
人を惹き付ける魅力に富み、冷静さを持ち賢明さを備えた野心家でした。
コジモは銀行をさらに大きくしながら、政治の分野でもさらに重鎮となり
ついには “ 称号を持たない実質上の王 ” (by 教皇ピウス2世)になりました。

そんなコジモの妻コンテッシナは、以前は銀行家だったバルディ家の娘でした。
バルディ家は名門で相当裕福でしたが、イングランド王エドワード3世に貸した金が焦げ付いて
1343年に銀行が倒産しました。 賢夫人フィリッパがついていながらどうしたこと?

        

今までの生活レベルは守りたいと考えたバルディは、利権が得られる仕事はないかしら?と
探していたところ、メディチ家からお声がかかりました。
コジモのおじいさまアヴァラルドの頃ですかね?

コンテッシナは1414年にコジモと結婚しました。

フィレンツェではまだまだ他の勢力もあって、特にアルヴィッツィ家は強力でした。
コジモは対立の末逮捕され、10年間の追放にあったりしています。
コンテッシナも一緒に苦労なさったんでしょうね。

それなのに…
コジモは女奴隷マッダレーナとの間に庶子カルロをもうけたりして
悲しみのためなのか、コンテッシナは目が見えなくなってしまったそうです。
でも、女の人を買って家に置くことは珍しくなかったんですってさ…

コジモより10年ほど長生きして、1464年に亡くなりました。

さて、メディチ家といえば芸術のパトロンとして名高いですね。
コジモは書籍蒐集や人文学研究、建築、彫刻等にも力を注いでいますが、画家では

 
    フラ・アンジェリコ          フィリッポ・リッピ 

  
     パオロ・ウッチェロ               アンドレア・デル・カスターニョ

などのパトロンになっていました。
援助した方ももちろんすごいのだが、当時の他国の絵画に比べて
イタリアは違う世界のレベルにいっちゃってますよね!
細かさといい色数といい…女性の肖像画だってぜんぜん違うもの…

(参考文献 森田義之氏『メディチ家』 Wikipedia英語版)

メディチ家
 講談社


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コメント (5)
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