前妻の影を乗り越えて・・・
アルフォンソ12世妃 マリア・クリスティネ・デ・アウストリア
1858~1929/在位 1879~1885
アルフォンソ12世はメルセデスの死後、一時は死に直面するほど打ちのめされたのですが
なんとか持ち直したということで、首相は「そろそろ新しい妃を…」と言いだしました。
首相が推したのはメルセデスの8歳年上の姉マリア・クリスティネで
なんでもメルセデスに酷似しているところが多いということでした。
そこで彼女との婚約が調ったのですが
なんてこと 彼女も婚約中に結核で亡くなってしまいました。
そんなわけで、傷心のアルフォンソ12世は遠縁のマリア・クリスティネとの縁談が
持ち上がった時には「もうどうでもいいよ」という感じでそっけなく承諾したそうです。
ふたりはアルフォンソの亡命中にウィーンで出会っていたかもしれませんが不明です。
アルフォンソ12世は母親イサベル2世と違って人望もあつく、難しい時期にあった国政も
上手く舵をとった名君でしたが、27歳で、やはり結核で亡くなってしまいました。
遺されたのは王女ふたりとマリア・クリスティネのお腹の中にいた子だけでした。
王位の継承は保留になって、マリア・クリスティネが摂政につきました。
生まれる子が王子なら王になり、王女ならば長女のマリア・メルセデスが女王につきます。
(しかし長女に前妻の名をつけられちゃうあたり、ムッとしたりしなかったのかしら?
貴族の世界はけっこう忍耐がいりますね)
半年後王子が生まれてアルフォンソ13世として即位し、マリア・クリスティネも
引き続き摂政として表舞台に留まりました。
これといってエピソードがないところを見ると、若くして未亡人になった王妃にありがちな
寵臣との色恋沙汰や権力の濫用みたいなことはなかったのかもしれないですね。
1902年に摂政を退きましたが、息子アルフォンソ13世はちょっと頼りない王だったらしく
ヤキモキしたんじゃないかしら?
1929年に71歳で亡くなり、アルフォンソ12世の眠る王家の墓所に葬られました。
2年後の息子の退位や共和制への転換を見ずにすんで幸せだったかもしれません。
(参考文献 Wikipedia英語版)
アルフォンソ12世妃 マリア・クリスティネ・デ・アウストリア
1858~1929/在位 1879~1885
アルフォンソ12世はメルセデスの死後、一時は死に直面するほど打ちのめされたのですが
なんとか持ち直したということで、首相は「そろそろ新しい妃を…」と言いだしました。
首相が推したのはメルセデスの8歳年上の姉マリア・クリスティネで
なんでもメルセデスに酷似しているところが多いということでした。
そこで彼女との婚約が調ったのですが
なんてこと 彼女も婚約中に結核で亡くなってしまいました。
そんなわけで、傷心のアルフォンソ12世は遠縁のマリア・クリスティネとの縁談が
持ち上がった時には「もうどうでもいいよ」という感じでそっけなく承諾したそうです。
ふたりはアルフォンソの亡命中にウィーンで出会っていたかもしれませんが不明です。
アルフォンソ12世は母親イサベル2世と違って人望もあつく、難しい時期にあった国政も
上手く舵をとった名君でしたが、27歳で、やはり結核で亡くなってしまいました。
遺されたのは王女ふたりとマリア・クリスティネのお腹の中にいた子だけでした。
王位の継承は保留になって、マリア・クリスティネが摂政につきました。
生まれる子が王子なら王になり、王女ならば長女のマリア・メルセデスが女王につきます。
(しかし長女に前妻の名をつけられちゃうあたり、ムッとしたりしなかったのかしら?
貴族の世界はけっこう忍耐がいりますね)
半年後王子が生まれてアルフォンソ13世として即位し、マリア・クリスティネも
引き続き摂政として表舞台に留まりました。
これといってエピソードがないところを見ると、若くして未亡人になった王妃にありがちな
寵臣との色恋沙汰や権力の濫用みたいなことはなかったのかもしれないですね。
1902年に摂政を退きましたが、息子アルフォンソ13世はちょっと頼りない王だったらしく
ヤキモキしたんじゃないかしら?
1929年に71歳で亡くなり、アルフォンソ12世の眠る王家の墓所に葬られました。
2年後の息子の退位や共和制への転換を見ずにすんで幸せだったかもしれません。
(参考文献 Wikipedia英語版)