まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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スペイン王ホセ妃 マリア・フリア

2009-05-18 00:44:54 | スペイン王妃・王女
これぞ妻の鏡なのか?
ホセ王妃 マリア・フリア・クラリー


1771~1845/在位 1808~1813

マリア・フリア(フランス名ジュリー)は裕福な絹商人の娘で
1794年にナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフと結婚しました。
これがきっかけでジュリーの妹のデジレ・クラリーはナポレオンの恋人になりますが
いきなりふられてしまい、その後ベルナドット家のジャン=バプティスト
(後のスウェーデン王カール14世ユーハン)に嫁ぎました。

        

ジョゼフは1806年に弟が侵略したナポリでジョゼッペとして即位し、その2年後
やはりナポレオンのおかげでスペイン王ホセとして即位しました。
もちろん、スペイン国民に歓迎されるわけは無く反撥は大きかったのですが
政治は真面目に行っていたようで、いくつか近代的な改革も行っています。
その一方で女性に目がなく次々と愛妾を作ったみたいです。
ジュリーは逐一新しい女性についての報告を聞いていたらしい…

1813年にナポレオン軍が連合軍に敗れると、当然ホセにもとばっちりはくるわけで
連合軍によって廃位されました。
この時ジュリーはフランス軍に与えられたレマン湖畔の城へ娘を連れて移りました。

1815年にワーテルローでナポレオンが敗れると
ジョゼフはアメリカのデラウェア近郊の土地を高値で買い取って移住しました。
ジョゼフはこの時スペイン宮廷から多くの美術品を持ち出しています。
そのくせジュリーと娘はヨーロッパに残して行ってしまいました。

とり残されたジュリーは娘たちとフランクフルト、ブリュッセルなどを点々とし
気候の良いフィレンツェに落ち着きました。
妹デジレの夫カール14世ユーハンはスウェーデンに滞在してほしいと言いましたが
暖かい所が良かったみたいですね。

1840年、ジョゼフはアメリカを発って妻に会いに行こうと決心します。
彼はまだ彼女が自分を愛しているはずだ、と確信していました。
なんで~ ? なんでそう思える? 26年前に捨てたくせに
手紙でも送られてきたのかしら?

ところがどっこい、彼は間違っていなかったみたいです。
ジュリーは帰って来たジョゼフとフィレンツェで一緒に暮らし始めました。
4年後にジョゼフはジュリーの腕の中で亡くなりますが
その時彼女は「愛しい旦那様」と囁き続けていたそうです。(ほんとに?)
それから8ヶ月後、ジュリーも74歳でこの世を去り、夫の側に葬られました。

貞淑なのは分かるけど、ちょっとお人好しすぎやしませんか?
お互い70歳越えてるから茶飲み友達気分で一緒に暮らすにはいいかもしれませんけど
私なら、今さら帰って来られたってさ~ って思っちゃうわ。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント
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