万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

山法師(やまぼうし)

2012年05月10日 | Weblog
                       


                                              

 今年も「山法師」が咲いていました。寒さのせいですか今年の花は少し小振りのように見えます。「みずき科」の花です。花みずきと姉妹なのですが雰囲気は随分違っています。山法師は地味な咲き振りでよく見なければ見過ごすようです。


                      
                      5/15 撮影 雨中山法師 
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二人静(ふたりしずか)

2012年05月10日 | Weblog
                      

 一人静の開花から22、3日も遅れて二人静が花穂を伸ばして咲き始めています。どちらも「せんりょう科」の草花です。
一人静は花穂は必ず1本ですが、二人静の花穂は必ずしも2本ではありません。3本のも4、5本のもあります。二人静の方が少し大振りです。両方とも名の通り木々の陰に静かに、密かに咲いています。源義経の愛妾「静御前」の名からゆだねられている呼び名のようです。
 草花の名は昔からの物語を連想して付けられている名が多いですね、
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杉野泰造さんのこと

2012年05月06日 | Weblog
 昭和36年6月に福岡県福岡市で杉野泰造氏は86才で逝去になられました。と申しましても杉野泰造氏のお名前をご存知の方はご親戚の方以外にはもう居られないかと思います。しかし、この杉野泰造氏は明治の末から大正、昭和の北九州地域の建築業界に於いては優れた業績を残された人として評価されています。
 先日泰造氏の孫さんである杉野壽信さんにお会いした時、泰造氏の業績を纏めたものはありませんか、とお尋ねしましたところ昭和59年に西日本新聞に連載された「墨指しと烏口」(すみさしとからすぐち)のコピーを送って来られました。この新聞の連載記事によって杉野泰造氏の卓越した業績と人生を知ることができました。壽信さんのご提供に有難く感謝申し上げます。

泰造氏は戸籍名は常次となっています。杉野嘉平、ナツを両親として明治10年に越智郡岡山村口総(現大三島町口総)に誕生。長じて今治で大工の弟子入りをし年季奉公後は逓信省の職人となり庁舎などの建築に携わり、その頃来島海峡に設置された灯台なども手がけられたそうです。明治38年頃(28才)に福岡県の博多の建築会社岩崎組から要請があったのでしょう博多に移住し岩崎組の棟梁となられました。このことは泰造さんが早くから西洋建築の技法をも習得に努めておられたことによるものと推察します。ですが本格的に西洋建築について独習を始められたのは博多に移られてからのようです。
 建築家三条栄三郎氏や妻木頼黄博士などの設計による官庁舎建築の棟梁として目覚ましいお仕事をされておられます。中でも明治45年着工、大正3年に完成した旧福岡県庁庁舎の建築は泰造氏を代表する西洋建築であったと云えましょう。
 旧福岡県庁庁舎は妻木、三条両氏による設計を泰造氏が各部の原寸仕様図を作図して木工、石工、左官などの仕事が施工し易いようにされたのでした。その図面、五百枚を越える図面が博多の杉野家に保存されていたので。今はそのすべてが福岡県庁に寄贈されて永久保存されているとのことです。旧県庁は惜しくも解体されたのですが、県庁建設の棟梁を務めた泰造さんの建築学上においても非常に貴重な資料として原寸設計図は保存されています。

 杉野泰造さんが建築された木造西洋建築のほとんどは戦争による空襲爆撃や時代の推移によって解体され、現存しているものは残念なことにないようで、写真などでしか知ることが出来ません。

 万福寺のお内陣中央に据えられている須弥壇(しゅみだん)、宮殿(くうでん)は大正11年に博多の杉野泰造氏がご寄付下さったのでした。須弥壇の横巾10尺、奥行き9.5尺、屋根棟までの高さ1丈6尺と云う末寺としては最大規模と云えます。
 今に伝承され遺されている豪壮な宮殿、須弥壇に泰造氏のご人格の一面と強い望郷の想いを知り得ます。
 
 現本堂を施工下さった亀山建設の亀山義比古氏も襖絵をお描き下さった中島千波画伯もご本尊阿弥陀如来さまをご安置申し上げているこの須弥壇、宮殿をしばしの間拝観されておられました。きっとこれに相応しいものをとお考えになられたようにと伺えます。

 泰造氏は昭和36年に博多で逝去になられ、ご遺骨は故郷の大三島口総、田中(たちゅう)の墓地に埋葬されています。一昨年が丁度50回忌の年でした。



万福寺の宮殿


                                         
                                         同 須弥壇
                                         両脇に階段があり、宮殿の後ろの壁まで約2尺ほど空いています。

 大正9年広島高等師範学校の本館を杉野泰造氏が施工の為広島滞在中に寄付を決意されたと伝え聞いております。                                          

                        
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手毬花(てまりばな)開花

2012年05月05日 | Weblog
                           
                           手毬花(てまりばな オオテマリ)

 先日紹介いたしました、薄緑した手毬花の蕾が一斉に開花いたしました。透き通るような白色が鮮やかです。この花をほとんど
の人が「おおてまり」と呼ぶようですが、私は「てまりばな」と呼ぶ呼び名の方が相応しいように思っています。「てまりばな」と呼ぶと良寛さんが連想されてきます。「おおてまり」と呼ぶと良寛さんは出ずに「こでまり」が対比的に連想されるのです。
 「てまりばな」はすいかずら科に属しています。「てまりばな」と呼ぶのが正式名のようです。

                           
                           小手毬(こでまり)、鈴掛(すずかけ)とも
                           ばら科に属す花です。

   カメラ持つ作務衣姿や手まり花   明慧
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牡丹の季節でもあります

2012年05月02日 | Weblog
 万福寺の境内にも数本の牡丹が植わっています。今次々と開花しております。しかし、昨年肥料をやるのを怠ったからでしょういつもより小さいようです。牡丹は肥が大事だと聞いています。今年は花が終われば忘れずにお礼の施肥をしておきます。

 後の4輪は藤公園の牡丹です。藤公園には牡丹も百株くらいも植わっています。 



              

                                  


       

                                    


    


                             

             

                           

                                              
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藤公園

2012年05月01日 | Weblog
             

 一昨日、29日は大三島藤公園で恒例の「藤まつり」が行われました。茶道部のお世話をされている越智英子さんよりお茶券をいただいていましたが多忙な日になって伺うことができませんでした。今日午前中に藤公園に行って満開に垂れ咲いている藤を観賞いたしました。長尺に垂れ咲いて風に揺れる様はすごいです。藤の香りもいいですね!
 
 藤の撮影は初めてです。50㍉の標準レンズ1.2を開放にして撮ってみました。





                   


 今日は休日ではないのですが、駐車場はほぼ満車、大三島の藤公園も随分と知られて来たようです。3日からの連休もまだ見れると思います。足を運んでみてください。



                                            
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