万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

母の日に想う

2012年05月13日 | Weblog
                          
                          花籠に添えられているカードに
                          HAPPY Mother's day Because I want to see your face with a smile
                          と書かれていました。

 今年も長男、次男のお嫁さんたちから坊守へ「母の日」のプレゼントが届けられました。有難いことです。

 私の母は平成13年の1月に89才で他界しました。坊守の実母は一昨年6月24日に亡くなりました。ですから二人とも母と呼べる人は居なくなった分けです。

 今、母のことを想い起こしてみますと、日頃は明るい性格でしたが、その明るい顔が悲しそうに曇る時が一様にありました。そのことについては他の姉弟たちも云うことです。
 母が悲しそうな顔になる時は、春、夏、冬の長い休暇が終わって子供たちが島から寄留地へと出立する時の母の顔はいつも曇っていました。それは出立を躊躇う思いが心に起こるほどでした。
 そのことは何故だったのだろうと後年に思い考えてみて気づいたのですが、それは昭和20年8月7日に広島で原爆によって旧制中学1年で亡くなって行った綜智兄のことが母の心に過ぎっていたのであろうと思うのです。
 
 兄綜智は広島への原爆投下一週間前の日曜日に広島から帰省して来ました。4月に郷里を離れて初めての帰省でした。しかし、その帰省は我が家に一泊もせずに学徒動員の仕事があると広島へ向かい、一週間後には被爆死して行きました。母にしてみればそのことは悔恨しても悔やみ切れないことだったと思うのです。

 私たち姉弟4人、中学を出るとそれぞれ島を離れて行きました。我が家に帰って来たのは寺の後継者となった私だけが10年後に帰郷しましたが、他の3人はそのまま他家のお世話になりました。

 このようなことを今思い巡らせて見ますと時に、母は折々にわき出る悲しみに耐えていたように思えます。しかし、晩年に認知症状態に入ってからの母からはあの悲しみに顔が曇ると云う表情は消えて行きました。それはそれは天真爛漫な菩薩さまのような母になったのでした。           多謝、深謝


コメント
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