昨日1日より3日まで富山の八尾では「おわら風の盆」である。10数年前に同期生である八尾勝福寺の住職藤島秀天師のお招きで「風の盆」を観覧する起縁に恵まれた。聞きしに勝る心にしみ入るおわら節の音曲と鳥追笠の青年男女たちの優雅な踊りに魅せられてしまった。立山から吹き下ろす快い秋の風にまかせて夜の更けるのも忘れて見入ったことがある。
それから1度ご門徒の人たちにも案内しようと思いたち、平成11年の「風の盆」に出向いたのである。参加者が思いの外多くて2台のバスで70数名となってしまったが、藤島秀天師ご夫妻は快く本堂を宿舎に提供下さり、夕食、朝食の2食まで賄ってくださったのである。今思っても恐縮、忝ないことであった。
それにしても最初の観覧から数年後の平成11年の折の観客の多さには驚愕するほどで帰りの迎えのバスを待つのに2時間を超えるほどであったことが忘れられない。今はもっと多いのかも知れないなどと懐かしむことである。
風の盆踊りは当初は八尾の坂の町の入り口にある浄土真宗の古刹聞名寺の境内で踊られていたものがいつしか坂の町全域で踊られるようになったと云う。伴奏に胡弓が使用されていることもあって非常にナイーブな音曲、歌詞は恋歌であるから一寸艶やっぽくてまた宜しい。夜半の秋風にフトおわらの胡弓の音が遠くで奏でられている幻聴を覚える。(住職)
それから1度ご門徒の人たちにも案内しようと思いたち、平成11年の「風の盆」に出向いたのである。参加者が思いの外多くて2台のバスで70数名となってしまったが、藤島秀天師ご夫妻は快く本堂を宿舎に提供下さり、夕食、朝食の2食まで賄ってくださったのである。今思っても恐縮、忝ないことであった。
それにしても最初の観覧から数年後の平成11年の折の観客の多さには驚愕するほどで帰りの迎えのバスを待つのに2時間を超えるほどであったことが忘れられない。今はもっと多いのかも知れないなどと懐かしむことである。
風の盆踊りは当初は八尾の坂の町の入り口にある浄土真宗の古刹聞名寺の境内で踊られていたものがいつしか坂の町全域で踊られるようになったと云う。伴奏に胡弓が使用されていることもあって非常にナイーブな音曲、歌詞は恋歌であるから一寸艶やっぽくてまた宜しい。夜半の秋風にフトおわらの胡弓の音が遠くで奏でられている幻聴を覚える。(住職)