万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

玉川町釈迦堂の花まつり

2013年04月08日 | Weblog
           
                              
                              釈迦ヶ嶽の石楠花           



 朝、起床し本堂にお参りして朝食をとりながらフト気付きました今日は4月8日濯仏会(花まつり)の正当の日であることに、

そうだ今日は午前中は予定がないから玉川町釈迦ヶ嶽釈迦堂の花まつりにお参りして来ようと思い立ちました。午後からは大阪か

ら旧友のA.N君が来山の予定となっていますからそれまでに行って来れるだろうと仕度をして飛び出しました。

玉川町の釈迦ヶ嶽山頂(海抜400㍍)に釈迦堂があってその堂内に重文指定の釈迦如来立像が安置保存されています。この釈

迦像は鎌倉期文永5年(1268)年大仏師薩摩法橋興慶によるものであることが胎内墨書銘によって知られています。この釈迦

像の注目されるのはこの像の原型は京都嵯峨野清涼寺(釈迦堂)の釈迦等身の像で、その模刻である点です。

 この玉川町の清涼寺式釈迦像のご開帳は年に1回4月8日の灌仏会だけなのです。マイカー、アクアを走らせて玉川町桂まで行

き、普通車では難しそうな道なので車は登山口に置いて登ることにしました。釈迦堂まで14丁とありました。山道を14丁は午

前中に大三島まで帰るのは難しいかも知れないと思いながら少し歩くピッチを上げて汗をかきかき登りました。


                        

 往古この山には宝藏寺と云う寺院が営まれていて他に6ヶ寺があって、都合7宝寺と呼ばれていたのです。今はその4ヶ寺が山

を下って営まれていて桂集落にある現在は曹洞宗の宝藏寺さんがこの釈迦堂を管理されています。

 山頂の釈迦堂では宝蔵寺さんのご住職、若院、檀家のご婦人らが参拝者の接遇に当たっておられました。

 堂内に設置されている花御堂に甘茶をかけてお参りをして、正面の開扉されている厨子内にお立ちの釈迦尊像をお参りさせてい

ただきました。初めて拝観させていただいたことです。

 ご住職にお許しを得てお像の御足そしてお衣の裳裾彫刻をカメラに撮らせていただきました。水の流れるようなお衣の襞模様が

清涼寺式釈迦像の特徴がよく覗えます。鎌倉時代の同じ時代の清涼寺様式釈迦像が現在3体伝わっていてその1体が玉川の釈迦

像なのです。(嵯峨野清涼寺の釈迦像は永観元年(983)~永延元年(987)宋に渡り修学、巡礼した東大寺の僧然が巡礼

中に拝したインド伝来と云う釈迦立像に感激し、それを模刻させて日本に迎えた釈迦像です。 然ちょうねん)

          
                     
                      釈迦像の裳裾          衣紋


                   
                四田観水筆 蓮華と牡丹


 釈迦堂を辞する時御堂の入り口の左右に開かれている扉に左に蓮、右は牡丹の花が描かれているのが目に止まりました。素晴ら

しい絵なのでこれはどなたが画かれたのですか、とお尋ねしますと「四田観水です」と応えられたのには驚きました。2年前にこ

のブログで四田観水画伯のことを紹介したことがあって驚いたのです。このような新たな発見もあって今日の「思い立ち」は実り

の多いものとなりました。

 帰りは来た道を小走りに下って、見事正午過ぎには帰山できて、大阪からの旧友A.Nさん夫妻を迎えることができました。 

 いささか両足の関節が笑っています。
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春の嵐

2013年04月08日 | Weblog
                



 6日夕方より7日の朝にかけて暴風雨、満開であった大三島の桜(染井吉野)は無惨にも半分近くは散ってしまいました。

  散る桜残る桜も散る桜

今朝早く境内の隅に吹き溜まっている桜の花片をなごりの花として撮しておきました。桜は散っても絵になります。


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