今日は七夕でありますが、生憎梅雨空で天の川は見るべくもありません。
7月1日の日曜日、東京でご活躍の稲田眸子さんが来山されました。
「眸子」とは俳号で本名は稲田勉さんと申されます。口総小学校、岡山中学校
を卒業後進学で郷里を離れられ、現在東京の大手建設会社に勤務されいますが、高校時代から続けられて来た俳句の道でも素晴らしい世界を持っておられます。『少年』と云う俳句雑誌を主宰されていて多くの俳句仲間をリードしておられます。当山の坊守も数年前から『少年』の同人に加えて貰ってつたない俳句とエッセイを投稿しております。(万福寺ホームペイジを参照)
稲田さんは私(現住職)が京都から帰郷した昭和40年代前半が少年時代であって、寺で行っていた土曜学校やサーマースクールにいつも参加、リーダーとして活躍してくれていました。その頃を懐かしく思い出し、俳句センスと発句などについて口早に情熱的に語る稲田さんに弛まぬ40年間の濃い重みを感じました。
眸子さん自薦の俳句を2、3紹介しておきます。
初風呂や花束のごと吾子を抱き
寝袋に顔ひとつづつ天の川
少年の目も蜻蛉の目も動く
写真は坊守の俳句仲間と一緒に、住職の隣りが稲田眸子さん。
7月1日の日曜日、東京でご活躍の稲田眸子さんが来山されました。
「眸子」とは俳号で本名は稲田勉さんと申されます。口総小学校、岡山中学校
を卒業後進学で郷里を離れられ、現在東京の大手建設会社に勤務されいますが、高校時代から続けられて来た俳句の道でも素晴らしい世界を持っておられます。『少年』と云う俳句雑誌を主宰されていて多くの俳句仲間をリードしておられます。当山の坊守も数年前から『少年』の同人に加えて貰ってつたない俳句とエッセイを投稿しております。(万福寺ホームペイジを参照)
稲田さんは私(現住職)が京都から帰郷した昭和40年代前半が少年時代であって、寺で行っていた土曜学校やサーマースクールにいつも参加、リーダーとして活躍してくれていました。その頃を懐かしく思い出し、俳句センスと発句などについて口早に情熱的に語る稲田さんに弛まぬ40年間の濃い重みを感じました。
眸子さん自薦の俳句を2、3紹介しておきます。
初風呂や花束のごと吾子を抱き
寝袋に顔ひとつづつ天の川
少年の目も蜻蛉の目も動く
写真は坊守の俳句仲間と一緒に、住職の隣りが稲田眸子さん。