fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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『アテルイ 坂上田村麻呂とエミシの勇士』にいただいた感想

2021年05月11日 | 自作紹介
           

「季節風」の酒井和子さんから、『アテルイ~』への感想をいただきました。これがもう感涙ものなので、お許しを得て、こちらに載せさせていただきます。
 酒井さんは、このたび、日本児童文学者協会の長編新人賞で佳作をご受賞されました。おめでとうございます! 歴史物語を書かれている方の視点、ありがたいです。
 酒井さん、ありがとうございます!! 酒井さんの作品も、ぜひぜひ本になりますよう、願っております。

 『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』について

文体が端正でとても心地よいリズムがあり、ちょっとモーツアルトの音楽にひたっているような心地よさを感じます。それはきびしい合戦のシーンであれ、父の厳しさに苦しむ心理描写であれ、とにかく美しい。
また、 歴史的人物を描く物語の中には、華やかな出来事から入って前後左右するものがけっこう見受けられますが、この書は編年体で構成されていて、追いやすく、うれしいです。子どもにとっても同じなのではないでしょうか。

この物語の中で、わたしは「そいつ」の存在に心奪われっぱなしでした。そこで、「そいつ」に焦点を合わせて、アテルイの成長段階に沿って整理してみました。

まず、このアテルイという人物像を成す背景として、父の暴力的理不尽さが描かれ、彼の幼い人格の中に憎しみの心「そいつ」が巣くいますが、祖父母の愛情がそれを鎮めてくれる幼年時代。
それに続く運命の人と出会い危険から守るアテルイに投げられた都人の蔑み、敵という対象がアテルイの中で形作られ、不気味な戦さの足音が迫る少年時代。「そいつ」がざわりと動く音が聞こえるようです。
青年時代に多くの死に向かい合い、そのたび、「そいつ」は「にくめ」とアテルイにささやきますが、その対象はもはや父でも、都人でもなく、もっともっと広い「この世」であり、それを自分のものにせよと要求するまでに成長しています。ですが、父の母への愛情を知って、「そいつ」はふと消えたように見えるのですが・・・
いよいよ坂上田村麻呂との宿命の戦いに突入する成年のアテルイ。きっと残酷な戦闘シーンが繰り広げられ、血と悲鳴に包まれると思いきや、その描写は決して残酷ではなく、それでいて迫力があります。読んでいて騎乗しているかのごとく、ひづめの音さえ聞こえるようです。
実はわたしは敵(人間であれ、異界のものであれ)を殺すことで平和になるとする物語のあり方に疑問を持っていました。そのため、小説であれ、児童書であれ、戦闘ものがきらいでした。ですが、こんな書き方があるんだとこれまでの疑問が氷解したようにすっきりしました。
そしてラスト。力を尽くし互いに敬意をもって相対するアテルイと田村麻呂、アスリートのようなすがすがしさが、すーと読む側の胸に染み入ってきます。しかし、どちらかが勝者になれば、一方は敗者。過酷な運命が待っているのは避けられません。ですが、そこをおおぎやなぎさんはだれもがほっとする結末を用意なさいました。史実でないことは明らかですがそんな余計なことは全く浮かばないほどの創作の力に、まるで大波に乗ったイルカのごとく大胆に、優雅にすんなりと越えて行けました。
 最後の最後に、「そいつ」は決して消えることも、無くなりはしないこと、それこそ、誰の心にも潜んでおり、いつでも顔を出そうと機会を狙っている。まさに諍い、争いの元凶であることが記述される構成は、この歴史が決して過去の一部の出来事ではなく、現在においても、おそらく未来でさえいつでもまた争いは繰り広げられること。そう思うと「そいつ」がどす黒い直線となって、時空をつっきていく姿が思い浮かび、ぞっとさせられます。
そして、ここに来てようやくこの書が単に歴史上の一時期の物語ではなく、根源的、普遍的、哲学的な問いを投げかけていることに気付かされ、「さあ、お前たち人間よ、克服できるものならしてみろ」とわれわれに迫ってくるように思われてなりません。こうしてこの物語の意義が語られ、閉じられます。

さらにわたしが驚愕するのは、おおぎやなぎさんの語彙の使い方です。例えば「そいつ」という絶妙な表現、遠くでもなく、身の中でもない。だが、すぐ近くにうずくまっている人間の闇(とわたしは解釈しました)。「こそあど」をこれほど有効に、象徴的に使っておられる例をわたしは知りません。
それ以外にも本当に使われている語彙が練られていて、日本語の語彙の深さを存分に堪能いたしました。

 語彙と言えば、当時の都、多賀城の描写、使われた武器など、おおぎやなきさんは決してむずかしい言葉を用いられずに、しかも正確にわかりやすく描写なさっていますね。読者はおかげでつまずくことなく読み進めることでしょう。「子どもの世界に落としこんでいく」というのはこういうことなんだと、目が開かれた思いです。