fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

お知らせ・防備録。
記事の無断転用はお断りいたします

Information

『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~4巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。原稿・講演など各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。    

言う・云う

2015年03月30日 | 日記

 最近読んだ小説では、言うが全て「云う」になっていました。馬鹿馬鹿しいは、「莫迦莫迦しい」。気づいたのは、その二つだけでしたが、他にも作者のこだわりであえてこの表記というのがあったのかもしれません。古い小説でもなければ、年配向けの話でもありません。

 中学校が舞台のホラーというかミステリーというか。それで重い雰囲気を出そうという意図があるのかなあと思ったり。「云う」は、「伝える」的意味が強いようでもあるのですが、作品中では別にそういうわけでもなさそうでした。ばかばかしいは、どちらも当て字のようです。

 で、その小説はおもしろかったか? というと、正直時間を無駄にした感があり。(なので、タイトルは書きません)けっこう厚い本でもあり、その割にさくさくと読めたのですが、あんなに人が死ななくてもとか、いくらフィクションでも、こんなことがあったら日本中大騒ぎだろうとか、それでもがまんして最後まで読んだのに、根本的な部分は解決されていない。でも、映画化もされ、人気の小説のようでした。

  気づいたら、蕗の薹がこんなに。

 蕗の姑だ。今年は、蕗味噌を作らないでしまいました。


ラジオ体操

2015年03月29日 | 日記

 朝、ラジオ体操をすると体の調子いいようです。ちゃんと覚えていないので、いい加減ではありますが。

 続くかなあ。(前に書いたタバタ式体操、とっくに途切れています。情けない~)

 菫程な小さき人に生まれたし 漱石

 一泊で、千葉の鹿野山へ出かけてきます。


水木しげるの名言

2015年03月28日 | 日記

 こんな名言に出会いました。

 幸福の七ヶ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

(「水木さんの幸福論(日本経済新聞社)」より。水木氏は幸福な人、不幸な人を観察して幸福になるにはどうすればいいか伝える幸福観察学会を設立している。もちろんいかがわしい団体ではなく会員は水木氏本人のみであり、増やす予定はないとのこと)

 五条の努力は人を裏切るというところと、六条の真意ははかりかねるなあと思っていたら、解説しているサイトがありました。

「努力は人を裏切る」。
努力したって成功するなんて保証は何もない。むしろ失敗する可能性のほうがはるかに高い。水木さんはそう言い切る。じゃあ努力なんて無駄じゃないか!とはならない。
好きの力を信じ、しないではいられないことをし続けていれば、努力すら楽しい。努力そのものが喜びに満ちている。

「怠け者になりなさい」もちろん、若い頃は必死に努力することが必要。
しかし、中年を過ぎたら怠けることを覚えるべき。努力に結果は、なかなか追いつくものではありません。
続けるためには、怠けることも必要なんです。迷った時には立ち止まってもいいんです

 はい。中年をとうに過ぎていることだし、充分怠け者になっています。(若いときの努力が足りなかったか? という声も聞こえますが)

 励ましていただきました。

 連翹? 金雀児? ご近所


句集

2015年03月27日 | 日記

 鶯や利息三円振り込まれ  あぶみ(『だだすこ』)

 たまには、自分の句集から句を拾って出そう。

 拙句集『だだすこ』、在庫がございますので、このブログをご覧の方で、お送りしていないという方、ぜひ名乗り出てください。ご迷惑でなかったら、お送りいたしますので。どうぞ遠慮なく。

  


骨折じゃなかった、よかった

2015年03月26日 | 日記

 実は岩手へ行く前に転んで打った足の指の痛みが続いていて(腫れもまだ少し、色もちょっと……)、2週間以上経つのに、これはまずいなあ、もしかして? と思い、重い腰を上げ、整形外科へ行ってきました。先生も「骨折の可能性が高いな」とつぶやき、レントゲンを撮ったのですが、結果は、折れていませんでした! よかったー。「しかし、よほど強く打ったのですね」と言われてしまいましたが。温め&電気治療をしてきました。直後は痛みがひいて、おっと思ったけれど、時間が経ったらまた痛い。まあ、ともかく、安心しました。いずれ、痛みも取れるでしょう。

 骨折だったら、きっともっと半端なく痛いのでしょう。ともあれ、気をつけて生活します。

  辛夷も満開ですね。


短編アニメーション「陽なたのアオシグレ」(スタジオコロリド)

2015年03月25日 | 日記

            

 図書館に置かれていたチラシが気になり、出かけてきました。

 20分弱の短編アニメーション映画です。しぐれちゃんという女の子が好きなひなたくんという男の子の現実と想像がファンタジックに行き来しつつ、スピード感と情緒にあふれた映画でした。

 舞台となっているのが、日野市ということで、地元の上映となったのでしょう。引っ越していくしぐれちゃんが電車に乗る駅やホームは、まさにいつも私が使っている日野駅でした。

 監督は、石田祐康さん。アニメーションの世界はよくわからないのですが、将来を嘱望されている若手の方のようです。絵コンテの展示もありました。

  

 20分弱の作品ですが、大勢の方の手で、そして時間をかけて作られているのだろうなと思いました。


一滴コンサート/ヴァイオリンと篠笛とピアノの調べ

2015年03月24日 | 日記

                 

 友人が習っているヴァイオリンの先生のコンサートに誘っていただき、出かけてきました。

 場所は、国立市民芸術小ホール、観客が100人も入ったらいっぱいかな? というこじんまりとしたホールです。なので、間近での演奏を楽しむことができました。

 篠笛の奏者の方は、八王子のお祭りでははっぴを来て笛を吹いていらっしゃるとのこと。和の楽器でもって、クラッシックのナンバーを奏でるというなかなかめずらしい演奏。独奏で和楽も、少し。松任谷由実の曲なども交えて、和洋の子守歌、モーツァルトやチャイコフスキーもあるという充実した内容でした。

 家ではほとんどCDなど聴くことがありません。(←自慢できることじゃないって) でも、こうして演奏を聴くのは、大好きです。ただ、出かけていく、チケットを取るなど、そういう手間暇や時間のこともあり、実際にはそれも、こうしてたまたま機会があれば行くという程度。なので、なおさらよかったです。

  ヴァイオリン巻淵麻利子、篠笛香川良子、ピアノ横田敬子さんの3人でした。


杏満開

2015年03月23日 | 日記

            

 次々と咲いています。去年はこんなに咲かなかったような気がするのです。実はどのくらい成るか、楽しみです。

 この家に住んで10年です。杏は引っ越して数年後に、小さな苗木をホームセンターから買って来たものなので、7,8年目くらい。。今何メートルくらいあるだろうか。二階の窓から花が見えるくらいになっています。このままどんどんもっと大きくなるのだろうか、それはそれで困るなあと思ったり。庭の狭いところに植えているので、道路に枝が張りだしているのです。ある程度、伐ったりはしているけど、また伐らないとダメですね。

   眼白が来てついばんでました。(逆光残念)

  ここの部分だけ見ると、梅に似ている。


『こぶたのタミー』(国土社)ーかわのむつみ・作/下間文恵・絵

2015年03月22日 | 本の紹介

                 こぶたのタミー 低学年向け

 やせっぽちでしわくちゃで生まれたこぶたのタミー。でも、おかあさんにかわいがられ、元気に大きくなります。ところが、大きくなったタミーは、足がはやくて、ものすごい「しりたがりや」。牧場の他の動物たちは、めんどくさくいと悪口をいいます。そして、「ぶたはぶたらしくなにも考えるな」といわれ、タミーは考えて考えて……ぶたをやめることにしたのです。

 そこからは、牛やめんどりや犬になろうと努力するタミーのすがたが、絵本的なくりかえしで語られます。タミーはどうなっていくのでしょうか。(ぜひ読んでください)

 タミーはかわいいし、牧場の動物たちは文句をいいながらも、温かくタミーを見守ります。牧場の子ども、マキちゃんもタミーのことが大好きなのが伝わってきます。

 ほのぼのとして、そして元気になるお話。いいなー。

 まだ絵本をおかあさんに読んでもらっている幼稚園くらいの子でも楽しめそう。もちろん、自分で本を読めるようになった小学生でも。

 かわのさんは、小学館のおひさま大賞を受賞されたこともあり、アンソロジーも何冊も出してらっしゃいます。単行本としては初めてのご出版とのこと。本当におめでとうございます!!! これからも、心あたたまるお話をどんどん書いていってください。

 私も元気をいただきました。


気圧が関係するのかなあ

2015年03月21日 | 日記

 天気が悪いと、体の調子もよくありません。どよんとなって、力が入らない。そうなるとああー、年だなあ、もうダメだなあと厭世的にもなってしまいます。

 でも、天気がよくなると、おっ、きょうは体軽いぞと。単純です。ただ以前はこれほど天候に左右されてはいなかったことを考えると、やっぱ年なのですかね。

 あと、やっぱり薬はちゃんと飲んでいたほうがいいみたい。つい、調子がいいと薬ももういいかな? 的になってさぼって、また具合が悪くなる。でも、薬から脱却したいという気持ちがあるのです。咳の薬として飲んでいる中に、軽い抗鬱剤もあるし。結局、花粉の薬もたまに飲んでいるし。脱却できません。(なんか危ない人的投稿ですな。言ってるほどではないので、ご心配なく)

 いぬふぐり

 写真も、晴れているときの方がくっきりきれいに撮れますね。どこか人と似ているような。


泥の中の白鳥

2015年03月19日 | 日記

            

 いつもながら、自分が今いる場所とは違い、ブログの記事が前後します。これは岩手にまだ残っていた白鳥です。もう北へ帰ったかな? (私自身は東京に帰ってきています)

 雪解けの泥だらけの田んぼで、落ち穂を啄み、首を羽に預けて眠っていました。花の咲いている東京と大分違います。まだ色のない世界でした。

 


『ことづて屋』(濱野京子)ーポプラ社

2015年03月18日 | 日記

                   Kotoduteya 

 児童文学作家濱野京子さんのてがけた一般書です。濱野さんは『トーキョークロスロード』で坪田譲治賞を受賞してらっしゃいますが、この賞は児童書、一般書の両方から選ばれるというもの。つまり大人向け子ども向けという垣根を取り払ったものでした。その賞を受賞されているわけですから、『ことづて屋』も、主人公が大人というだけで、子どもでも本の好きな子だったら、充分に読むことのできる作品です。

 山門津多恵は、死者の声を聞くことができ、それを伝えることを仕事としています。作品は短編連作という形をとり、残された人と逝ってしまった人とを結びつけます。声高らかには書かれてはいませんが、背景には3、11があり、私たちはやはりあの日を境に目には見えないけれど、変わったのだということを感じられる作品でもありました。

 すらすらと一冊を読み通すことができます。というか本を置きたくなく、読み進めてしまう作品です。主人公と頼りない彼女をささえる恵介という男のキャラが際立ち魅力的に描かれていることも一因だと思います。

 私にもいつか死は訪れます。また私のまわりの人たちにもいつか。それは前後がどうなるかはわからないけれど、どういう形かもわからないけれど、必ず。そしてその死に分断されたとき、残るものは、故人の所有物とそれぞれの思い。でも、そこに目に見えない力がこうして投入されたとき、そこにはまたそれぞれの物語が立ち上がるのという、ファンタジーの力を感じました。

 この作品から、濱野京子という作家の描く世界が広がりを見せるのでは? という予感もします。


杏の花がほころびだしました

2015年03月17日 | 日記

             

 東京はいいお天気が続いていたのですね。我が家の杏の花もほころび出しました。

 桜にそっくりです。世の中、早咲きの桜と思って杏の花を愛でている方がたくさんいらっしゃるだろーなーと、いつも思うのです。でも実際に早咲きの桜もあるでしょうしね。どこで区別するんだろうか。(実の成る時期になれば一目瞭然なのですが)

 ちょっと調べたら、桜は花柄(かへい)が長い。杏や梅などは、枝からすぐに花がついている。というのが一番の違いのようです。確かに! (桜は、細い茎のようなものから花が垂れ下がるように咲きますものね)桜かな? と思ったら花の付き方をチェック、ですね。

 では、梅と杏の違いは? というと、木の形が明らかに違うと思います。梅の木はごつごつしている? 木の形は、杏と桜はとても似ていると思います。なので、ぱっと見は、うちの杏は桜っぽいわけです。あ、でも葉っぱはどっちかというと梅寄りですね。

  辛夷の花も咲き始めていますね。

 *足の指の腫れと痛み、一週間前の半分くらいになりました。やれやれ。散歩はまだ無理かな。


日々の暮らしの器と雑貨「眞理」ー秋田市新屋

2015年03月16日 | 日記

              

 秋田市新屋に日々の暮らしの器と雑貨「眞理」というお店があります。

 友人の作品もそこに置かれているということで、行ってきました。

 おもしろい佇まい

 いい雰囲気です。作家もの、でも堅苦しくなく民芸という域の作品が味わい深く置かれています。友人の作品はこれまで何度も見ていますが、こうしてお店に置かれていると、「うん、やっぱいいよ! そしていいと思うのは私だけじゃない。客観的にいいんだよー!!」と嬉しくなりました。「眞理」の店主さんは、「立ち姿がきれいな作品」と、友人の器についてコメントされてらっしゃって、うなずくことしきりでした。

 土から人の手によって作り出された器達。いろんな顔を持っています。手をかける人によって、そのたたずまいが違うのですから、奥の深い領域です。のめりこんで一生をかけている人たちがいるというのもうなずけます。