昨日は、郵便物を出しにポストまで歩いて、それだけで足元がびしょびしょでした。(自宅にいないので、長靴もない)
さて今年も早、一カ月が過ぎました。新しい命に日々向き合う一カ月でした。
それにしても、ホント出不精になっています。天気がどうということでなく、特に夜は出かける気力がありません。隔月で行われている読書会も、もう一年以上出かけていません。(もっとか?)暖かくなったらたまには顔を出したいのですが、体力落とさないようにしないと。
昨日は、郵便物を出しにポストまで歩いて、それだけで足元がびしょびしょでした。(自宅にいないので、長靴もない)
さて今年も早、一カ月が過ぎました。新しい命に日々向き合う一カ月でした。
それにしても、ホント出不精になっています。天気がどうということでなく、特に夜は出かける気力がありません。隔月で行われている読書会も、もう一年以上出かけていません。(もっとか?)暖かくなったらたまには顔を出したいのですが、体力落とさないようにしないと。
さいたま、寒っ。天気がよくても、風が冷たいです。って、さいたまだからではなく、関東一円が雪……。日野にいたら雪かきだったか。
さて、これまで何度もいろいろな合評会に出て、いわゆる生原稿というものを読んできました。その原稿の中で気になるものは保存しています。そして、最近その中から2冊実際に本として出版されたものがありました。そこで、完成した本とその生原稿をつきあわせて比べてみました。(具体的な書名もあればいいのでしょうが、ちょっとはばかられるのでやめておきますね)
うーん。実に細かいところを丁寧に直している。生原稿では仮名が多かったのに、結構漢字にしているなあとか。うん、ずっとわかりやすくなったなあとか。ラストに向けて序盤にきちんと布石が置かれたな、とか。合評で言われたからというより、作者の執念のようなものを感じた次第です。
普通の読者には味わえない味わい方。でも、本になるまで、プロの作家がどれだけ推敲という作業をしているのかと、衿を正す思いです。
猫も、居ずまいをただして。
すこし不思議文庫というシリーズの一冊として刊行されました。タイトルには、「季節風」書きおろし短編集という小見出し(?)もついています。「季節風」は、児童文学の会ですが、このたび初の試みとして、大人向けの短編としての募集があったのです。そこで数ある中から選ばれた6編が載っています。
キーワードは、「すこし不思議」。読んでみると、それぞれが不思議のとらえ方がまちまちで、とてもおもしろいです。そう、不思議って、日常に潜んでいるんだなと改めて思わせていただきました。
「うたう湯釜」(森川成美)は、明治時代の女の子の話。松山の道後温泉を思わせる設定で、主人公蕗は、町長の家に奉公をしています。町長は町の発展のため、温泉を新しく建て直そうとしていますが、ここに由緒ある湯釜はそのままにしないと、湯が止まってしまうという強力な反対派が存在します。しかも蕗が思いを寄せている同郷の男も、その反対派に属していて、町長の家で会合があったとき、間諜として忍び込もうと蕗を惑わすのです。蕗は迷いながらも、勝手口から男を招きいれてしまいます。尊敬する町長との間に立って、蕗は迷います。そして……。という骨太なストーリー。
「生まれたての笑顔」(井嶋敦子)は、小児科医である敦子さんならではの、未熟児を産んだ女医を主人公にした話。かすみは、看護師たちから「ロボット」とあだ名されているほど、感情を表に出すことが苦手としています。帝王切開で出産した、保育器の中の我が子に対しても淡々と接していました。そして……。この物語は、人の心の不思議を描いているのだと思います。物語は細部のリアリティがあってこそ成り立つというのも、改めて感じました。
他に、「正義の味方ヘルメットマン」(吉田純子)、「働き女子!」(工藤純子)、「裏木戸の向こうから」(村田和文)、「山小屋」(田沢五月)と、どれもおもしろかったです。「季節風」代表のあさのあつこさんが、児童文学という分野に留まらず活躍されているように、この6人の中から大人向けの小説を書き続ける方が出るのでは? という予感もしました。
冒頭の「季節風」代表、あさのあつこさんの文章がまたいいのです。本屋さんにありますので、(アマゾンでももちろん)ぜひぜひお求めください。
ホントに蔵という建物が好きです。
この写真は、散歩途中の農家のもの。コンクリートなので、そんなに古いものではないと思いますが、立派です。東日本大震災の後、家々が倒壊した中に、崩れずに建っていた蔵も見ています。頑丈なのです。
ピンクの表紙の今号は、昨年秋の季節風大会推薦作が載っているため、ずっしりとぶ厚く読み応えのあるものでした。投稿作品で掲載されたのは3作。厳しい!
松弥龍さんの「ふぶき」は、体が弱く長く生きることのできない妹を思う少女のせつない話。さて、この作品について3人の作家さんが作品評を書いています。そこでラストが不要という意見とあっていいという意見がわかれているのが、興味深かったです。つまり正解というのがあるわけではないのです。もちろん多数の意見というのがあるのでしょうが、このように意見が分かれることがあるというのも、文学ならではと思いました。ちなみに、私は俳句をやっているので、余計なことは言わない作品の方が好きなのですが、「ふぶき」に関しては、このラストは「あり!」と感じました。妹へのあふれる思いがほとばしるラストなのです。(読んでない方には、わかりにくい話ですみません)
私は今号では、「色のない物語」と題して、『石の神』(石井彩子・福音館)の書評を書かせていただきました。季節風大会の感想も、熱さの伝わってくる号でした。
散歩途中にあるのですが、人が登っているのを見たことはありません。消防署というわけではなく、集会所のようなところにあります。鉄塔ではありますが、たぶん古い時代からここにあったのに違いないと思っています。わかりずらいですが、半鐘もちゃんとあります。
火事、消防車なども冬の季語です。と思って確認したら、大きな歳時記では、火の見櫓も季語として載っていました。(角川大歳時記)
狐や狸の餌の少なくなる寒中に、野道や畦に餌を置いて施すこと。狸などの穴に置くことを穴施行と言います。
が、私の生活では実際に野山に餌を置きに行くなんてことはないわけで、でも年末から1月中くらいは、庭に穴を掘って、そこに生ゴミを捨てています。鳥や近所の猫がそれを食べたりもしていて、ちょっと「寒施行」という言葉を頭に浮かべながら、生ゴミを捨てているのです。
寒施行山の石段途切れたる あぶみ(『だだすこ』)
*きょうから一週間ほど(不確定)さいたま市におります。
? ばっかりですみません。ジョウビタキ(メス)かなと思うのですが、どうでしょうか? ジョウビタキのオスはまたちょっと毛色が別で、黒と茶のコントラストが強いようです。が、上の写真の鳥はよく見かけるけど、オスらしい鳥は見ません。メスがいるなら、オスだっているはずと思うのですがね。
散歩コースが、道路工事と浅川の護岸工事で味気ないことこの上ありません。かろうじて、昔からの農家の庭先などで、畑やこうした生きものを眺められるという昨今です。
正確には、帆立の殻焼きか。でも、秋田や津軽の方では、鍋物のことを「かやき」と言ったりするのですが、これがもともと「貝焼き」、大きなホタテ貝の殻の上で魚などを煮た料理のことをさしていたわけです。なので、殻焼きというよりやっぱり貝焼きかなあと。
と、もしやと思って歳時記を見たら、ちゃんと冬の季語として「貝焼」があるではありませんか。(角川大歳時記)「秋田地方では、郷土料理としてハタハタを使ったしょっつっる貝焼きがあり、「かやき」という。と書いてあります。北海道からの日本海側の各地に見られ、北前船によって広がったと思われる。だそうです。文化だ。
近所に角○○○という某チェーン店の大手魚屋さんがあります。土日にもなると、遠方から車で買い物に来るお客さんでにぎわっているお店ですが、私は徒歩でも行けるのに、普段あまり行きません。なんでかというと、魚介類しかないので、そのお店だけで買い物が済まないのが、面倒だからです。
でも、たまに出かけるとやはりいきのいい魚介類が豊富で、ついあれこれ買ってしまいます。そしてだいたいこの殻付き帆立を買います。ちょっと醤油と酒をたらして焼くとおいしい~。私はやはり素材を刻んで合えたり、いろんな具材を混ぜ合わせたハーモニー的な手の込んだ料理より、こういったダイレクトな食べ方の方が好きなようです。
でも、この焼き方、IHクッキングヒーターではできないのだろーなと、毎回思うのです。 別に貝殻じゃなくても、フライパンとかでも同じ味が出るのか? やってみたことがないのでわかりません。
童謡や唱歌の載っている本を借りてきました。小学校くらいのときに教科書に載っていた歌など、なつかしく歌っています。が、へえー、こういう歌詞だったの。というのもあり。
例えば、「気のいいあひる」という歌。一番は、「昔あひるは からだが大きくて、海も渡れば 魚も食べたよ ランラララ ランラララ‥」(ズンチャッチャッのワルツ)で、二番であひるは川辺に行きますが、流れが激しく、三番ではおぼれて死んだらつまらないと考え、四番では岸辺でブラブラ暮らし、「足はちぢまる からだは弱る」そして五番で、「とうとう人間に つかまえられて 気のいいあひるは ブタ小屋暮らし ランラララ ランララララ‥」となってしまうのです。身も蓋もない展開。
それから、「♪卯の花の匂う垣根に ほととぎす早やも来鳴きて~」の「夏は来ぬ」の作詞者は、歌人の佐々木信綱さんだったり。歌の歌詞はとても著作権がしっかり守られているので、印税は‥‥なんて、ゲスなことを考えてしまいました。信綱さんは、亡くなられてからどのくらい経っているのでしょうか。
そしてこの歌詞、「卯の花の匂う」の「匂う」というのは、古語で、「鮮やかに映えている」という意味なのだそうです。実際には卯の花は、匂いはないとか。(ただ私、卯の花がこれだ! という確たるものがないのですよ。卯木とは違うのか・・・)
猫の童謡って、あまりない。
迷子の仔猫ちゃんくらい?(タイトル違うかもしれないけど)
きょうは、大寒。一年で最も寒い時期です。
寒に入って四日目が寒四郎という言い方もします。この日が晴れると豊作となるとか。
九日目は、寒九。寒九郎とは言わないみたい。なぜ四日目だけ、特別こういう言い方をするのか? 酷暑の季語としては土用太郎、土用二郎、土用三郎とあるのにね。ん? 土用が三郎までだから、寒は四郎なのだろうか? (← これ、全く私の思いつきです)
「寒九の雨」は、その年の豊作の兆候とされ、「寒九の水」は、体によく薬になるといわれる寒中の水の中でもことに効用があるとされるということです。寒九郎という言葉はないのですよ。人の名前になぞらえるのは四郎さんまで。
ちなみに、今年は1月5日が寒の入り。1月9日が寒四郎。14日が寒九でした。
約束の寒の土筆を煮て下さい 川端茅舎
大寒の太きうどんも神楽坂 あぶみ(『だだすこ』)
春が待ち遠しいです。
日本刺繍をやっている友人Kさんから、自作のバックチェーンをいただきました。小さな紅葉の葉をそれはそれは細かく刺してあります。日本刺繍の糸は、とても繊細で一本が十二本の極細の絹糸からなっているということです。フランス刺繍のような糸の撚りを手のひらで作っていくのだとか。根気のいる手仕事であり、完成したものの美しさは見事なものです。
新年のプレゼントに、嬉しくて気持ちがシャンとしたようでした。
散歩途中のお宅の庭で放し飼いにしているウコッケイです。5、6羽いるかな。きっと卵を産んでいるんだろーなあ。いいなあ。
黒いのが烏骨鶏というのはわかりますが、(烏のように黒い)、白いのは? と思って調べたところ、皮膚も骨も内臓も黒いのだとか。へえ~。
枝の影がおしい…
緑色で、雀よりも小さな鳥が何羽もいました。目の回りの白さからしてもメジロかと思うのですが、以前国分寺に住んでいたときによく庭に来ていたメジロは、もっと大きかったので、イメージが違うのです。でも、他の鳥ではなさそう。
* 写真が好きな方だったら、この写真のように枝の影が映っているのは、ダメなんだろうなー。何十枚と撮って、そこからベストショットを公開するのですよね。ま、私の場合はこれでよし。(← この性格が、いいのか悪いのか)